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中日は5年間不在…プロ野球における背番号20の選手たち

2022 3/3 20:20SPAIA編集部
巨人の戸郷翔征・広島の栗林良吏・ソフトバンクの甲斐野央,ⒸSPAIA
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2022年現役選手の背番号「20」

投手の印象が強い背番号「20」。イメージ通り、2020年は空き番となっている中日とオリックスを除く10球団が投手に「20」を与えている。2022年各球団の「20」は下記の通りとなっている。

ヤクルト:木澤尚文投手
阪神:森木大智投手
巨人:戸郷翔征投手
広島:栗林良吏投手
中日:不在
DeNA:坂本裕哉投手
オリックス:不在
ロッテ:東條大樹投手
楽天:安樂智大投手
ソフトバンク:甲斐野央投手
日本ハム:上原健太投手
西武:浜屋将太投手

不在:2球団
永久欠番:0球団
投手:10球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

背番号「20」はプロ野球の歴史において大エースが背負うことも多かったが、不思議と永久欠番にはならず、各球団ともに継承しているのが現状だ。

広島は永川勝浩の引退後、2021年から栗林良吏が背番号とクローザーをともに受け継ぎ、1年目から37セーブを挙げて新人王に輝いた。巨人は定岡正二、ガリクソン、入来祐作、豊田清、マシソンらが背負い、2020年から戸郷翔征が継承している。

ソフトバンクは東洋大から2018年ドラフト1位で入団した甲斐野央、ヤクルトは慶応義塾大から2020年ドラフト1位で入団した木澤尚文、阪神は高知高から2021年ドラフト1位で入団した森木大智と各球団期待の右腕が背負っている。今後、この番号からエース級の投手が現れることに期待したい。

中日のエースナンバー「20」

多くの球団でエースナンバーが「18」となっている日本プロ野球。しかし、中日においては背番号「20」がエースの番号だ。その歴史は1949年に入団した杉下茂から始まっている。

杉下は2年目となる1950年に27勝をマークすると6年連続20勝以上を達成。フォークボールを駆使して「フォークの神様」と呼ばれ、現役引退までに215勝(中日で211勝)を挙げた名投手だ。沢村賞を歴代最多タイの3回受賞しており、球界を代表する右腕と言えるだろう。

その杉下の後に背番号「20」を受け継いだのが権藤博。現役時代は中日のエースとして奮闘し「権藤、権藤、雨、権藤」と表現されるほど連投につぐ連投だった。1年目に35勝、2年目に30勝を挙げて最多勝に輝いている。

引退後は横浜の監督として日本一に導き、2017年に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の投手コーチも務めた。

その後も背番号「20」は「燃える男」星野仙一、「スピードガンの申し子」と呼ばれた小松辰雄らに受け継がれた。小松以降は宣銅烈(ソン・ドンヨル)、ヤクルトから移籍した川崎憲次郎、中田賢一らが着用。2014年ドラフト1位の野村亮介が2017年に引退後は空き番となっている。次に「20」を背負う絶対エースの登場が待たれる。

北別府学から永川勝浩、栗林良吏へ受け継がれた広島

広島で長らく背番号「20」を背負ったのが北別府学だった。1975年ドラフト1位で都城農高から入団、背番号「20」を与えられた。3年目に初の二桁となる10勝を挙げると、以降11年連続二桁勝利を達成。1982年には20勝で最多勝に輝き、沢村賞も受賞している。

1994年の現役引退まで広島一筋でプレーし通算213勝をマーク。「精密機械」と呼ばれるほど正確なコントロールの持ち主だった。現役引退後にコーチを4年間務めている。

北別府の引退後、8年間の空白を経て背番号「20」を受け継いだのが永川勝浩だ。永川は2002年ドラフト自由獲得枠で広島に入団すると、1年目からクローザーに抜擢されフォークボールを武器に25セーブをマークした。以降もクローザーとして活躍し、2019年に引退するまで通算527試合登板、38勝42敗165セーブ79ホールドの成績を残している。

その後を受け継いだのが栗林良吏。トヨタ自動車からドラフト1位で入団すると開幕からクローザーとして22試合連続無失点の新人記録を樹立した。その後も安定感抜群の投球で53試合に登板して1敗37セーブ、防御率0.86をマーク。DeNAの牧秀悟、阪神の佐藤輝明らと争った新人王に輝いた。

いてまえ打線の中軸を担ったタフィ・ローズ

1996年、近鉄にやってきたタフィ・ローズ。日本で外国人選手として唯一の400本塁打を達成している選手でもある。ローズは近鉄、巨人、オリックスの3球団でプレーしたが、近鉄と巨人の2球団で背番号「20」を背負った。

来日1年目から27本塁打を放つと、近鉄在籍8年間で3度の本塁打王を獲得。2001年には当時の日本タイ記録となる55本塁打をマークしている。ローズ、中村紀洋、礒部公一らで形成した強力打線は「いてまえ打線」と呼ばれ、2001年にリーグ優勝する原動力となった。梨田昌孝監督が就任して2年目のシーズンだった。

巨人に移籍初年度も45本塁打で本塁打王を獲得し、両リーグでタイトル獲得。日本にやってきた外国人選手の中でトップ10に入る活躍を見せたスラッガーと言えるだろう。

メジャーリーグで最も永久欠番の多い背番号「20」

メジャーリーグでは背番号「42」が全球団の永久欠番となっている。黒人選手として初めてメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンを讃えてのものだが、「42」を除くと最も多くの球団が永久欠番に制定しているのが背番号「20」である。

全30球団中3分の1にあたる11球団が永久欠番としているが、そのうち3球団はフランク・ロビンソンである。ロビンソンはシンシナティ・レッズでデビューし、ボルチモア・オリオールズ、ロサンゼルス・ドジャース、カリフォルニア・エンゼルス、クリーブランド・インディアンスと渡り歩き、現役通算2943安打をマーク。オリオールズ時代の1966年には三冠王も獲得している名選手だ。

5球団のうちレッズ、オリオールズ、インディアンスで永久欠番となっている。3球団での永久欠番制定はノーラン・ライアンに次いで史上2人目の快挙でもあった。

その他にはニューヨーク・ヤンキースで「コア4」のひとりとして活躍したホルヘ・ポサダ、フィラデルフィア・フィリーズ一筋18年間で548本塁打を放ったマイク・シュミットらも背番号「20」で永久欠番となっている。

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