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期待の若手多数!プロ野球における背番号20の選手たち

2020 7/22 11:48SPAIA編集部
(左から)西武・浜屋将太、ソフトバンク・甲斐野央、DeNA・坂本裕哉ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「20」

投手の印象が強い背番号「20」。イメージ通り、2020年は空き番となっている広島と中日を除く10球団が投手に「20」を与えている。2020年各球団の「20」は下記の選手だ。

西武:浜屋将太投手
ソフトバンク:甲斐野央投手
楽天:安樂智大投手
ロッテ:東條大樹投手
日本ハム:上原健太投手
オリックス:近藤大亮投手
巨人:エンジェル・サンチェス投手
DeNA:坂本裕哉投手
阪神:中田賢一投手
広島:不在
中日:不在
ヤクルト:近藤一樹投手

不在:2球団
永久欠番:0球団
投手:10球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

背番号「20」はプロ野球の歴史において大エースが背負うことも多かったが、不思議と永久欠番にはならず、各球団ともに継承しているのが現状だ。

広島は永川勝浩の引退により空き番、中日は野村亮介が現役引退した2018年から空き番となっている。他の10球団は期待の若手からベテランまで様々なタイプの投手が着用している。

ソフトバンクは東洋大から2018年ドラフト1位で入団した甲斐野央、西武は三菱日立パワーシステムズから2019年ドラフト2位で入団した浜屋将太、DeNAは立命大から2019年ドラフト2位で入団した坂本裕哉が背負っている。今後、この番号からエース級の投手が現れることに期待したい。

中日のエースナンバー「20」

多くの球団でエースナンバーが「18」となっている日本プロ野球。しかし、中日においては背番号「20」がエースの番号だ。その歴史は1949年に入団した杉下茂から始まっている。

杉下は2年目となる1950年に27勝をマークすると6年連続20勝以上を達成。フォークボールを駆使して「フォークの神様」と呼ばれ、現役引退までに215勝(中日で211勝)を挙げた名投手だ。沢村賞を歴代最多タイの3回受賞しており、中日だけでなく球界を代表する右腕と言えるだろう。

その杉下の後に背番号「20」を受け継いだのが権藤博。現役時代は中日のエースとして奮闘し「権藤、権藤、雨、権藤」と表現されるほど連投につぐ連投だった。1年目に35勝、2年目に30勝を挙げて最多勝に輝いている。

引退後は横浜の監督として日本一に導き、2017年に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の投手コーチも務めた。

その後も背番号「20」は「燃える男」星野仙一、「スピードガンの申し子」と呼ばれた小松辰雄らに受け継がれた。小松以降は宣銅烈(ソン・ドンヨル)、ヤクルトから移籍した川崎憲次郎、中田賢一らが着用。2014年ドラフト1位の野村亮介の引退後は空き番となっている。次に「20」を背負う絶対エースの登場が待たれる。

北別府学から永川勝浩へ受け継がれた広島

広島で長らく背番号「20」を背負ったのが北別府学だった。1975年ドラフト1位で都城農業高校から入団。背番号「20」を与えられた。3年目に初の二桁となる10勝を挙げると、以降11年連続二桁勝利を達成。1982年には20勝で最多勝に輝き、沢村賞も受賞している。

1994年の現役引退まで広島一筋でプレーし通算213勝をマーク。「精密機械」と呼ばれるほど正確なコントロールの持ち主だった。現役引退後にコーチを4年間務めている。

北別府の引退後、8年間の空白を経て背番号「20」を受け継いだのが永川勝浩だ。永川は2002年ドラフト自由獲得枠で広島に入団すると、1年目からクローザーに抜擢されフォークボールを武器に25セーブをマークした。以降もクローザーとして活躍し、2019年に引退するまで通算527試合登板、38勝42敗165セーブ79ホールドの成績を残している。

先発の北別府、中継ぎ、抑えの永川と役割の違う投手が背負った広島の背番号「20」。次はどのような選手が受け継ぐことになるのか楽しみだ。

いてまえ打線の中軸を担ったタフィ・ローズ

1996年、近鉄にやってきたタフィ・ローズ。日本で外国人選手として唯一の400本塁打を達成している選手でもある。ローズは近鉄、巨人、オリックスの3球団でプレーしたが、近鉄と巨人の2球団で背番号「20」を背負った。

来日1年目から27本塁打を放つと、近鉄在籍8年間で3度の本塁打王を獲得。2001年には当時の日本タイ記録となる55本塁打をマークしている。ローズ、中村紀洋、礒部公一らで形成された強力打線は「いてまえ打線」と呼ばれ、2001年にリーグ優勝する原動力となった。梨田昌孝監督が就任して2年目のシーズンだった。

巨人に移籍初年度も45本塁打で本塁打王を獲得し、両リーグでタイトル獲得。日本にやってきた外国人選手の中でトップ10に入る活躍を見せたスラッガーと言えるだろう。

メジャーリーグで最も永久欠番の多い背番号「20」

メジャーリーグでは背番号「42」が全球団の永久欠番となっている。黒人選手として初めてメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンを讃えてのものだが、「42」を除くと最も多くの球団が永久欠番に制定しているのが背番号「20」である。

全30球団中3分の1にあたる11球団が永久欠番としているが、そのうち3球団はフランク・ロビンソンである。ロビンソンはシンシナティ・レッズでデビューし、ボルチモア・オリオールズ、ロサンゼルス・ドジャース、カリフォルニア・エンゼルス、クリーブランド・インディアンスと渡り歩き、現役通算2943安打をマーク。オリオールズ時代の1966年には三冠王も獲得している名選手だ。

5球団のうちレッズ、オリオールズ、インディアンスで永久欠番となっている。3球団での永久欠番制定はノーラン・ライアンに次いで史上2人目の快挙でもあった。

その他にはニューヨーク・ヤンキースで「コア4」のひとりとして活躍したホルヘ・ポサダ、フィラデルフィア・フィリーズ一筋18年間で548本塁打を放ったマイク・シュミットらも背番号「20」で永久欠番となっている。

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