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長距離砲の系譜受け継ぐ プロ野球における背番号25の選手たち

2023 4/22 06:30SPAIA編集部
広島の新井貴浩監督、巨人の岡本和真,ⒸSPAIA
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2023年現役選手の背番号「25」

最近まで新井貴浩(広島)、村田修一(巨人)、筒香嘉智(DeNA)といったプロ野球を代表するスラッガーたちが背負っていた背番号「25」。第5回WBCで3大会ぶりの世界一に輝いた日本代表「侍ジャパン」で、打線の中軸を担った岡本和真(巨人)も「25」を着用していた。

2023年、各球団の「25」は下記の選手が背負っている。

オリックス:内藤鵬内野手
ソフトバンク:不在
西武:平井克典投手
楽天:田中和基外野手
ロッテ:岡大海外野手
日本ハム:宮西尚生投手

ヤクルト:ドミンゴ・サンタナ外野手
DeNA:不在
阪神:渡邉諒内野手
巨人:岡本和真内野手
広島:新井貴浩監督
中日:石川昂弥内野手

不在:2球団
永久欠番:0球団
監督:1球団
投手:2球団
捕手:0球団
内野手:4球団
外野手:3球団

2023年は5球団で変更があった。阪神では昨オフにトレードで加入した渡邉諒が着用し、広島では新監督に就任した新井貴浩が現役時代と同じ「25」に。中日は2019年のドラフト1位・石川昂弥が「2」から変更、オリックスではドラ2新人の内藤鵬に「25」を託しており、将来有望なパワーヒッターが背負っている。

その一方で、宮西尚生(日本ハム)や平井克典(西武)のような実績ある投手も着用。DeNAは筒香がメジャーへ移籍して以降空き番で、昨年まで「25」を付けていた田中正義が日本ハムへ移籍した(近藤健介のFA移籍に伴う人的補償)ソフトバンクも空き番となっている。

次章以降では「25」を背負った歴代の選手たちを、メジャーリーガーも含め紹介する。

日大同期から背番号「25」が3人

日本大学から2002年のドラフトで4人の選手がプロ入りを果たした。村田修一(当時横浜)、館山昌平(元ヤクルト)、堤内健(元横浜)、大野隆治(元ダイエー)だ。

その4選手のうち村田、館山、大野が背番号「25」を与えられた。堤内は村田と同じ横浜への入団ということもあり、「47」となった。

村田は横浜で初年度からレギュラーを獲得し、25本塁打をマークするなど主砲として活躍。2007年、2008年には2年連続で本塁打王に輝いている。その後、2011年にFA権を行使して移籍した巨人でも横浜と同じく背番号「25」を着用した。

館山は入団2年目にトミージョン手術を受けるなど、故障に泣かされ続けながらも6度の二桁勝利を達成。2014年に受けた3度目のトミージョン手術から復帰した2015年には6勝をマークしてカムバック賞を受賞するなど、リーグ優勝に大きく貢献した。戦列を離れている期間が長かったものの背番号の変更はなく、最後まで「25」のままユニフォームを脱いだ。

大野はわずか7試合に出場に終わり、2007年に現役を引退しているが背番号の変更はなかった。

リーグ最年長MVPに輝いた新井貴浩

広島の顔でもあった新井は、広島工業高から駒澤大へ進学。大学時代に日米野球において好成績を残すなどの活躍が評価され、1998年ドラフト6位で広島に入団する。背番号は「25」を与えられた。3年目にあたる2001年に124試合に出場。規定打席には到達しなかったものの、打率.284(313打数89安打)、18本塁打、56打点を記録しレギュラーに定着。2005年には43本塁打を放ち本塁打王にも輝いた。

2007年オフにFA権を行使し阪神タイガースへ移籍。「アニキ」と呼ばれ、同郷の先輩でもあった金本知憲の後を追うようにタテジマのユニフォームに袖を通した。阪神でも広島同様に背番号「25」を着用し、移籍初年度の2008年に金本が2000安打を放った試合で新井も1000安打を記録。同時にメモリアルを達成している。

2014年オフに自由契約となり古巣・広島へ復帰。背番号「25」は高橋大樹が使用していたために「28」となった。しかし、翌2016年からは再び「25」に戻し、変更初年度の2016年シーズンに名球会入りとなる2000安打を達成した。

慣れ親しんだ「25」で25年ぶりとなる広島のリーグ優勝に大きく貢献し、リーグMVPにも輝いた。39歳シーズンでのMVPはセ・リーグ史上最年長でもあった。新井の引退後は空き番となっていたが、2023年に監督としてチームに復帰し、再び「25」を着用している。

「25」に変更後に飛躍した筒香嘉智

神奈川県の名門・横浜高校から2009年ドラフト1位で横浜に入団した筒香嘉智。高校時代は1年春から4番に抜擢されるなど、超高校級スラッガーとして活躍した。2年夏の甲子園では1試合8打点の甲子園タイ記録を作っている。

筒香には入団当時、背番号「55」が与えられた。同じ左打ちのスラッガーで、巨人からニューヨーク・ヤンキースへと移籍した松井秀喜と同じ番号だ。

筒香が入団した当時の横浜は投手陣に不安を抱えており、ドラフトでは即戦力投手の指名を期待されていたが、チームは開花まで時間のかかる高卒野手を指名。ファンからは驚きの声が挙がった。

しかし、筒香は3年目となる2012年から背番号「25」への変更、同時に初の二桁本塁打を達成すると、その後も24本塁打(2015年)、44本塁打(2016年)をマーク。2016年は本塁打王、打点王に輝いた。

もちろん、背番号の変更とタイトル獲得に因果関係はないが、結果として背番号「25」に変更したシーズンから成績が向上した。

これらの実績があり、2017年3月に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において日本代表の4番を任されている。背番号は所属するDeNAと同様「25」だった。大会では全7試合に出場し打率.320(25打数8安打)、3本塁打、8打点と結果を残している。準決勝で日本代表は敗れたものの、4番としての役割を果たしたと言えるだろう。

2019年オフにポスティングシステムでMLBのレイズと契約した。NPBでは長距離砲として活躍した筒香だったがメジャーでは苦戦を強いられ、2021年にドジャースへトレード。さらに、シーズン途中にパイレーツへと移籍し、8月には自由契約となった。その後、ブルージェイズとマイナー契約を結び、2023年からはレンジャーズ傘下でプレーしている。

ボンズ親子はともに背番号「25」を着用

メジャーリーグ史上でも1、2を争う親子であるボビー・ボンズとバリー・ボンズ。父ボビー・ボンズは1968年にサンフランシスコ・ジャイアンツでメジャーデビュー。8球団に在籍し332本塁打を記録するなどの実績を残している。所属した8球団中、テキサス・レンジャーズ、セントルイス・カージナルスを除く6球団で着用した「25」が代表的な背番号だった。

息子のバリー・ボンズは1986年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビュー。パイレーツでは背番号「7」「24」を着用していたが、1993年にジャイアンツへ移籍すると父と同じ背番号「25」となった。

移籍初年度に本塁打王、打点王のタイトルを獲得。その後も本塁打を量産し、2001年にはメジャーリーグ記録となる73本塁打を放っている。通算762本塁打をマークしたが、禁止薬物使用が発覚したことで野球殿堂入りはしていない。

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