プロ野球における背番号25の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号25の名選手たち


2017年現役選手の背番号「25」

投手、野手ともに利用する背番号「25」。2017年各球団の背番号「25」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:宮西尚生選手(投手)
ソフトバンク:田中正義選手(投手)
ロッテ:金澤岳選手(捕手)
西武:平井克典選手(投手)
楽天:田中和基選手(外野手)
オリックス:コーク選手(投手)
広島:新井貴浩選手(内野手)
巨人:村田修一選手(内野手)
DeNA:筒香嘉智選手(外野手)
阪神:江越大賀選手(外野手)
ヤクルト:館山昌平選手(投手)
中日:武藤祐太選手(投手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:1球団
内野手:2球団
外野手:3球団

背番号「25」は新井貴浩選手(広島)、村田修一選手(巨人)、筒香嘉智選手(DeNA)といったリーグを代表する野手が背負っている。一方で館山昌平選手(ヤクルト)、宮西尚生選手(日本ハム)のような実績ある投手も着用中。そのためか、なかなか投手、野手のイメージがしにくい番号でもある。

また、福岡ソフトバンクホークスは5球団競合となったドラフト1位の田中正義選手にこの番号を与え、数年後のエースへの期待をかけている。

日本大学同期から背番号「25」が3人

日本大学から2002年のドラフトで4名の選手がプロ入りを果たした。村田修一選手(当時・横浜)、館山昌平選手(ヤクルト)、堤内健選手(元・横浜)、大野隆治選手(元・ダイエー)だ。
その4選手のうち村田選手、館山選手、大野選手が背番号「25」を与えられたのだ。堤内選手は村田選手と同じ横浜ベイスターズへの入団ということもあり「25」ではなく、「47」となった。

村田選手は横浜で初年度からレギュラーを獲得し、25本塁打をマークするなど主砲として活躍。2007年、2008年には2年連続で本塁打王に輝いている。その後、2011年にFA権を行使し読売ジャイアンツに移籍。巨人でも横浜と同じく背番号「25」を着用している。

館山選手は入団2年目にトミージョン手術を受けるなど、故障に泣かされ続けながらも6度の二桁勝利を達成。2014年に受けた3度目のトミージョン手術から復帰した2015年には6勝をマークしカムバック賞を受賞するなどリーグ優勝に大きく貢献した。戦列を離れている期間が長かったものの、背番号の変更はなく入団以来「25」を着用し続けている。

大野選手はわずか7試合に出場に終わり、2007年に現役を引退しているが背番号の変更はなかった。

同期3人の背番号はプロ入り以来、2017年時点で「25」から変わっていないことになる。現役引退まで村田選手、館山選手の背番号変更があるのか注目が集まる。

リーグ最年長MVPを獲得!新井貴浩選手

広島東洋カープの顔でもある新井選手は、広島工業高校から駒澤大学へ進学。大学時代に日米野球において好成績をマークするなどの活躍を見せ、1998年ドラフト6位で広島に入団する。背番号は「25」を与えられた。3年目にあたる2001年に124試合に出場。規定打席には到達しなかったものの、打率.284(313打数89安打)、18本塁打、56打点を記録しレギュラーに定着。2005年には43本塁打を放ち本塁打王にも輝いた。

2007年オフにFA権を行使し阪神タイガースへ移籍。これは「アニキ」として慕っていた金本知憲選手(現・阪神監督)が所属しているからに他ならない。阪神でも広島同様に背番号「25」を着用し、移籍初年度の2008年に金本選手が2000本安打を放った試合で新井選手も1000本安打を記録。同時にメモリアルを達成している。

2015年に自由契約を経て古巣広島へ復帰。背番号「25」は高橋大樹選手が使用していたために「28」となった。しかし、翌2016年からはふたたび「25」に戻っている。変更初年度の2016年シーズンに名球会入り資格となる2000本安打を達成。
慣れ親しんだ「25」で25年ぶりとなる広島のリーグ優勝に大きく貢献し、リーグMVPにも輝いた。39歳シーズンでのMVPはセ・リーグ史上最年長でもある。年齢に負けじとプレーを続ける新井選手の背番号「25」はどのように継承されていくのか楽しみである。

背番号「25」に変更後リーグを代表する打者へ!筒香嘉智選手

神奈川県の名門高校である横浜高校から2009年ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団した筒香嘉智選手。高校時代は1年春から4番に抜擢されるなど、超高校級スラッガーとして活躍。
2年夏の甲子園では1試合8打点の甲子園タイ記録を作っている。この記録は2017年夏の甲子園終了時点でも破られていない記録でもある。
その筒香選手には入団当時、背番号「55」が与えられた。高校時代から活躍し読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースへと移籍した松井秀喜選手の背番号と同じ番号だ。

筒香選手が入団した当時の横浜は投手陣に不安を抱えており、ドラフトでは即戦力投手の指名を期待されていたが、チームは開花まで時間のかかる高卒野手を指名。ファンからは驚きの声が挙がっている。
しかし、筒香選手は3年目となる2012年から背番号「25」への変更、同時に初の二ケタ本塁打を達成すると、その後も24本塁打(2015年)、44本塁打(2016年)をマーク。2016年は本塁打王、打点王を獲得している。
もちろん、背番号の変更とタイトル獲得に因果関係はない。しかし、結果として背番号「25」に変更したシーズンから成績が向上したのだ。

これらの実績があり、2017年3月に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において日本代表の4番を任されている。その背番号は所属する横浜DeNAベイスターズと同様「25」だった。大会では全7試合に出場し打率.320(25打数8安打)、3本塁打、8打点と結果を残している。準決勝で日本代表は敗れたものの、4番としての役割を果たしたと言えるだろう。

次回のWBCまた、2020年に行われる東京オリンピックでも主砲としての活躍が期待される。

ボンズ親子はともに背番号「25」を着用!

メジャーリーグ史上でも1、2を争う親子であるボビー・ボンズ選手(父)、バリー・ボンズ選手(子)。父であるボビー・ボンズ選手は1968年にサンフランシスコ・ジャイアンツでメジャーデビュー。8球団に在籍し332本塁打を記録するなどの実績を残している。所属した8球団中テキサス・レンジャーズ、セントルイス・カージナルスを除く6球団で背番号「25」着用するなど「25」が代表的な背番号だった。

息子であるバリー・ボンズ選手は1986年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビュー。パイレーツでは背番号「7」「24」を着用していたが、1993年にジャイアンツへ移籍すると父と同じ背番号「25」となった。
移籍初年度に本塁打王、打点王のタイトルを獲得。その後も本塁打を量産し2001年にはメジャーリーグ記録となる73本塁打を放っている。現役通算762本塁打をマークしたが、禁止薬物使用が発覚したことで野球殿堂入りもできておらず今後の動向に注目が集まっている。

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