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スラッガー番号?プロ野球における背番号25の選手たち

2020 6/25 11:15SPAIA編集部
阪神・江越大賀(左)と巨人・岡本和真ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「25」

2020年各球団の背番号「25」は下記の選手が背負っている。

西武:平井克典投手
ソフトバンク:田中正義投手
楽天:田中和基外野手
ロッテ:岡大海外野手
日本ハム:宮西尚生投手
オリックス:西村凌外野手
巨人:岡本和真内野手
DeNA:不在
阪神:江越大賀外野手
広島:不在
中日:佐藤優投手
ヤクルト:ガブリエル・イノーア投手

不在:2球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:0球団
内野手:1球団
外野手:3球団

最近まで背番号「25」を背負っていた新井貴浩(広島)、村田修一(巨人)、筒香嘉智(DeNA)といったリーグを代表するスラッガーが相次いで引退やメジャー移籍などでチームを離れたが、岡本和真(巨人)や江越大賀(阪神)ら若き長距離砲が背負っている。

一方で、宮西尚生(日本ハム)のような実績ある投手も着用しており、投手、野手のイメージが定着していない番号でもある。ソフトバンクは5球団競合となった、かつてのドラフト1位・田中正義に期待をかけているが、いまだプロでは白星を挙げていない。

日大同期から背番号「25」が3人

日本大学から2002年のドラフトで4人の選手がプロ入りを果たした。村田修一(当時横浜)、館山昌平(元ヤクルト)、堤内健(元横浜)、大野隆治(元ダイエー)だ。

その4選手のうち村田、館山、大野が背番号「25」を与えられた。堤内は村田と同じ横浜への入団ということもあり、「47」となった。

村田は横浜で初年度からレギュラーを獲得し、25本塁打をマークするなど主砲として活躍。2007年、2008年には2年連続で本塁打王に輝いている。その後、2011年にFA権を行使して移籍した巨人でも横浜と同じく背番号「25」を着用した。

館山は入団2年目にトミージョン手術を受けるなど、故障に泣かされ続けながらも6度の二桁勝利を達成。2014年に受けた3度目のトミージョン手術から復帰した2015年には6勝をマークしてカムバック賞を受賞するなど、リーグ優勝に大きく貢献した。戦列を離れている期間が長かったものの背番号の変更はなく、最後まで「25」のままユニフォームを脱いだ。

大野はわずか7試合に出場に終わり、2007年に現役を引退しているが背番号の変更はなかった。

リーグ最年長MVPに輝いた新井貴浩

広島の顔でもあった新井は、広島工業高から駒澤大へ進学。大学時代に日米野球において好成績を残すなどの活躍が評価され、1998年ドラフト6位で広島に入団する。背番号は「25」を与えられた。3年目にあたる2001年に124試合に出場。規定打席には到達しなかったものの、打率.284(313打数89安打)、18本塁打、56打点を記録しレギュラーに定着。2005年には43本塁打を放ち本塁打王にも輝いた。

2007年オフにFA権を行使し阪神タイガースへ移籍。「アニキ」と呼ばれ、同郷の先輩でもあった金本知憲(前阪神監督)が所属していたからに他ならない。阪神でも広島同様に背番号「25」を着用し、移籍初年度の2008年に金本が2000安打を放った試合で新井も1000安打を記録。同時にメモリアルを達成している。

2015年に自由契約となり古巣・広島へ復帰。背番号「25」は高橋大樹が使用していたために「28」となった。しかし、翌2016年からは再び「25」に戻し、変更初年度の2016年シーズンに名球会入りとなる2000安打を達成。

慣れ親しんだ「25」で25年ぶりとなる広島のリーグ優勝に大きく貢献し、リーグMVPにも輝いた。39歳シーズンでのMVPはセ・リーグ史上最年長でもあった。新井の引退後は空き番となっている。

背番号「25」に変更後に飛躍した筒香嘉智

神奈川県の名門・横浜高校から2009年ドラフト1位で横浜に入団した筒香嘉智。高校時代は1年春から4番に抜擢されるなど、超高校級スラッガーとして活躍した。2年夏の甲子園では1試合8打点の甲子園タイ記録を作っている。

筒香には入団当時、背番号「55」が与えられた。同じ左打ちのスラッガーで、巨人からニューヨーク・ヤンキースへと移籍した松井秀喜と同じ番号だ。

筒香が入団した当時の横浜は投手陣に不安を抱えており、ドラフトでは即戦力投手の指名を期待されていたが、チームは開花まで時間のかかる高卒野手を指名。ファンからは驚きの声が挙がった。

しかし、筒香は3年目となる2012年から背番号「25」への変更、同時に初の二ケタ本塁打を達成すると、その後も24本塁打(2015年)、44本塁打(2016年)をマーク。2016年は本塁打王、打点王に輝いた。

もちろん、背番号の変更とタイトル獲得に因果関係はないが、結果として背番号「25」に変更したシーズンから成績が向上した。

これらの実績があり、2017年3月に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において日本代表の4番を任されている。背番号は所属するDeNAと同様「25」だった。大会では全7試合に出場し打率.320(25打数8安打)、3本塁打、8打点と結果を残している。準決勝で日本代表は敗れたものの、4番としての役割を果たしたと言えるだろう。

2019年オフにポスティングシステムでメジャーリーグのレイズと契約。日本人長距離砲として、松井秀喜選手を超える活躍が期待される。

ボンズ親子はともに背番号「25」を着用

メジャーリーグ史上でも1、2を争う親子であるボビー・ボンズ(父)、バリー・ボンズ(子)。父であるボビー・ボンズは1968年にサンフランシスコ・ジャイアンツでメジャーデビュー。8球団に在籍し332本塁打を記録するなどの実績を残している。所属した8球団中、テキサス・レンジャーズ、セントルイス・カージナルスを除く6球団で着用した「25」が代表的な背番号だった。

息子であるバリー・ボンズは1986年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビュー。パイレーツでは背番号「7」「24」を着用していたが、1993年にジャイアンツへ移籍すると父と同じ背番号「25」となった。

移籍初年度に本塁打王、打点王のタイトルを獲得。その後も本塁打を量産し、2001年にはメジャーリーグ記録となる73本塁打を放っている。現役通算762本塁打をマークしたが、禁止薬物使用が発覚したことで野球殿堂入りもできておらず、今後の動向に注目が集まっている。

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