2024年現役選手の背番号「11」
歴史的にも名投手が多い背番号「11」。2024年シーズン各球団の背番号「11」は下記の選手が背負っている。
阪神:永久欠番(村山実)
広島:九里亜蓮投手
DeNA:東克樹投手
巨人:不在
ヤクルト:不在
中日:小笠原慎之介投手
オリックス:山下舜平大投手
ロッテ:澤村拓一投手
ソフトバンク:津森宥紀投手
楽天:岸孝之投手
西武:上田大河投手
日本ハム:不在
不在:3球団
永久欠番:1球団
投手:8球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団
阪神は巨人・長嶋茂雄のライバルとして名勝負を繰り広げた村山実が背負い、その後、永久欠番となった。2024年現在、背番号「11」は8球団で着用されており、いずれも投手が背負う。楽天・岸孝之、DeNA・東克樹、中日・小笠原慎之介らベテランから若手まで、各球団ともにエース級の投手が多い。
今季は5球団で変更があった。オリックスでは山下舜平大が「12」から「11」へ。昨季一軍初登板で開幕投手を務めるなど9勝3敗、防御率1.61の好成績で新人王に輝いた。日本ハム時代から「11」を背負い、憧れの存在でもあるダルビッシュ有と同じ番号で、さらなる進化を目指す。
ロッテでは昨季まで佐々木千隼が背負っていたが、現役ドラフトによりDeNAへ移籍したことを受け、澤村拓一が自ら希望して「54」から変更。西武では大商大から昨年のドラフト2位で入団した上田大河が、岸孝之、今井達也らが背負った「11」を継承している。
巨人では平内龍太が昨季の支配下復帰時に入団時から2年間付けてきた「11」を再着用したが、オフに「66」へ変更。ヤクルトは2022年オフに奥川恭伸が「18」へ変更し、昨季は助っ人のキーオン・ケラが付けていたが退団。そのため、両球団とも今季は空き番となっている。
次章以降では、背番号「11」を背負った歴代のスタープレーヤーを紹介していく。
メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄
日本人史上2人目のメジャーリーガーとなった野茂英雄。新日鉄堺から1989年のドラフト会議で史上最多となる8球団競合の末に近鉄へ入団した。初年度から背番号「11」をつけエースとして期待を掛けられていた。
野茂は期待通りの活躍を見せ、4年連続最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得。球界のエースへと成長した。5年目の1994年後半は肩の故障により離脱。そのオフの契約更改で球団と揉めたこともあり、任意引退からロサンゼルス・ドジャースに移籍した。マッシー村上以来、日本人選手として2人目のメジャーリーガー誕生だった。
ドジャースでの背番号は「16」となったものの、1999年(ブルワーズ)、2001年(レッドソックス)、2005年(レイズ)では背番号「11」を着用している。
一方、近鉄では野茂以来のメジャーリーガーである大塚晶文らが背番号「11」を着用。しかし、2004年に球団が消滅したことで系譜は途切れた。
2代目ミスタータイガース・村山実
2代目「ミスタータイガース」と呼ばれた阪神・村山実。1959年に関西大から阪神に入団し18勝をマーク、沢村賞も受賞するなど新人離れした投球を見せたが、新人王は受賞できなかった。同じく新人ながら31本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した桑田武(大洋)が存在したからだ。また、天覧試合では長嶋茂雄(巨人)にサヨナラ本塁打を浴びるなど、壮絶な1年目を過ごしている。
2年目こそ8勝に終わったが、その後は10年連続で2桁勝利を達成。1970年には防御率0.98と1点未満を記録した。村山以降で防御率1点未満を達成した投手はいない。
1972年に現役を引退し、背番号「11」は初代ミスタータイガース・藤村富美男の「10」に続く、球団史上2人目の永久欠番となった(その後、1988、1989年の第二期監督時代に再び着用)。
一方で、田淵幸一、掛布雅之らは永久欠番となっていない。今後、次期「ミスタータイガース」には永久欠番となるような活躍が期待される。
「ミスター完投」斎藤雅樹
1989年、1990年と2年連続で20勝を達成した巨人の斎藤雅樹。1982年ドラフト1位で川口高から巨人に入団した当初の背番号は「41」だった。1989年に30試合で21完投して20勝をマーク、最多勝、最優秀防御率のタイトル獲得と沢村賞を受賞し、そのオフに背番号「11」へと変更された。
新しい背番号で迎えた翌1990年も20勝を達成。その後も1995年、1996年と2年連続で沢村賞を受賞するなど「平成の大エース」として通算180勝を挙げ、2001年に現役を引退した。
引退後は巨人でコーチ、二軍監督などを務めながら、2016年に行われたU-23ワールドカップの日本代表監督も務めている。日本代表監督時代の背番号は「77」だった。
ダルビッシュ有、大谷翔平の系譜
日本ハムでは2017年まで大谷翔平が背番号「11」をつけていた。2013年に入団して以来、投手、野手両方でハイレベルなプレーを見せ、「二刀流」として注目を浴びた。
新人時代は「どちらかに絞るべき」「プロ野球は甘くない」といった声もあったが、実力で封じ込めた。2014年シーズンにベーブ・ルースとなる10勝、10本塁打を達成。2016年には史上初となる投手、指名打者の2部門でベストナインを獲得するなど日本を代表する選手としてメジャー挑戦し、アメリカでも「二刀流」を貫いている。
その大谷の前に、背番号「11」を背負っていたのがダルビッシュ有(現パドレス)だ。ダルビッシュは、2004年ドラフト1巡目で東北高から日本ハムへ入団後、1年目半ばからローテーション投手として活躍。3年目の2007年から日本最終年となる2011年まで、5年連続で防御率1点台を達成し、日本球界最高の投手として海を渡った。
ポスティング制度によってテキサス・レンジャーズへ移籍するが、そこでも背番号「11」をつけてプレーした。2年目の2013年には最多奪三振のタイトルを獲得し、メジャーでも通用することを証明している。
その後、トミージョン手術を経て、2016年シーズンに復活。2017年シーズン途中に移籍したロサンゼルス・ドジャースでは背番号「21」、2018年から移籍したシカゴ・カブス、2021年から所属するサンディエゴ・パドレス では「11」を背負っている。
また、2008年北京オリンピックでは「18」、2009年、2023年と2回出場したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、いずれも「11」を着用した。
ダルビッシュから大谷へと受け継がれた日本ハムの背番号「11」。次に受け継ぐのは果たして誰だろうか。
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