プロ野球で背番号11を背負う名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球で背番号11を背負う名選手たち


2017年現役選手の背番号「11」

歴史的にも名投手の着用が多い背番号「11」。2017年シーズン各球団の背番号「11」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:大谷翔平選手(投手)
ソフトバンク:中田賢一選手(投手)
ロッテ:佐々木千隼選手(投手)
西武:今井達也選手(投手)
楽天:岸孝之選手(投手)
オリックス:松葉貴大選手(投手)
広島:福井優也選手(投手)
巨人:不在
DeNA:不在
阪神:永久欠番(村山実選手)
ヤクルト:由規選手(投手)
中日:小笠原慎之介選手(投手)

不在:2球団
永久欠番:1球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

各球団ともにエース級、またはその期待をかけられている選手が与えられる場号でもある背番号「11」。2017年シーズンでは北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手、東北楽天ゴールデンイーグルスの岸孝之選手らがエース級として活躍。

また、2016年ドラフト1位投手である埼玉西武ライオンズの今井達也選手、千葉ロッテマリーンズの佐々木千隼選手も期待の大きさから背番号「11」を与えられている。

阪神タイガースは長嶋茂雄選手(巨人)らと名勝負を繰り広げた村山実選手が背番号「11」を背負っていたことで永久欠番となった。

巨人はクルーズ選手が着用していた。しかし、シーズン途中に楽天へと移籍したために空き番号となっている。

メジャーリーガーのパイオニア野茂英雄選手

日本人史上2人目のメジャーリーガーとなった野茂英雄選手。新日鉄堺から1989年のドラフト会議で史上最多となる8球団競合の末に近鉄バファローズへ入団した。初年度から背番号「11」をつけエースとしての期待を掛けられていた。

野茂選手は期待通りの活躍を見せ4年連続最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得。球界のエースへと成長した。5年目のシーズンである1994年後半は肩の故障により離脱。そのオフに契約更改で球団と揉めたこともあり、任意引退からロサンゼルスドジャースへと移籍となった。マッシー村上選手以来、日本人選手にとって2人目のメジャーリーガー誕生であった。

ドジャースでの背番号は「16」となったものの、1999年(ブルワーズ)、2001年(レッドソックス)、2005年(レイズ)では背番号「11」を着用している。

一方近鉄では、野茂選手以降のメジャーリーガーである大塚晶文選手らが背番号「11」を着用している。しかし、2004年に球団が解散したことで系譜は途切れている。

2代目ミスタータイガース村山実選手

「ミスタータイガース」の1人でもある村山実選手。1959年に関西大学から阪神タイガースへと入団し18勝をマーク。この年、沢村賞も受賞するなど新人離れした投球を見せたが、新人王は受賞できなかった。これは同じく新人ながら31本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した桑田武選手(大洋)が存在したからだ。また、天覧試合では長嶋茂雄選手(巨人)にサヨナラ本塁打を浴びるなど、壮絶な1年目を過ごしている。

2年目こそ8勝に終わったが、その後は10年連続となる2桁勝利を達成。1970年には防御率0.98と1点台未満を記録した。村山選手以降で防御率1点台未満を達成した選手はいない。

1972年に現役を引退し背番号「11」は、阪神にとって初代ミスタータイガースの藤村富美男選手に続き、2代目の村山選手も永久欠番となり、史上2人目の永久欠番が誕生したのだ。(その後、1988年、1989年の第二期監督時代に再び着用している。)
一方でその後の田淵幸一選手、掛布雅之選手といった「ミスタータイガース」は永久欠番となっていない。しかし今後の新たな「ミスタータイガース」には、是非永久欠番となるような活躍を期待したい。

「ミスター完投」こと斎藤雅樹選手

1989年、1990年と2年連続で20勝を達成した読売ジャイアンツの斎藤雅樹選手。1982年ドラフト1位で川口高校から巨人へと入団し、当初の背番号は「41」だった。1989年に30試合で21完投を達成し20勝をマーク、最多勝・最優秀防御率の獲得と沢村賞を受賞し、そのオフに背番号が「11」へと変更された。

背番号「11」となった初年度の翌1990年も20勝を達成。その後も1995年、1996年と2年連続で沢村賞を受賞するなど「平成の大エース」として君臨し、通算180勝を挙げ2001年に現役を引退した。

引退後は巨人でコーチ二軍監督などを務めながら、2016年に行われたU-23ワールドカップの日本代表監督も務めている。日本代表監督としての背番号は「77」を着用している。

また、巨人の背番号「11」は斎藤選手から久保裕也選手に受け継がれている。

ダルビッシュ有選手・大谷翔平選手の系譜

北海道日本ハムファイターズで現在、背番号「11」をつけている大谷翔平選手。2013年に入団して以来、投手・野手の双方でプレーを続け「二刀流」として注目を浴びている。

新人時代は「どちらかに絞れ」「プロ野球をなめるな」といった声も聞こえてきたのは事実だが、実力で封じ込めてきた。2014年シーズンにベーブ・ルース選手以来となる10勝、10本塁打を達成。2016年には史上初となる投手、指名打者の二部門でベストナインを獲得するなど日本を代表する選手となった。

その大谷選手の前に、背番号「11」を背負っていたのがダルビッシュ有選手(現・ドジャース)だ。ダルビッシュ選手は、2004年ドラフト1巡目で東北高校から日本ハムへ入団後、1年目半ばからローテーション投手として活躍する。3年目の2007年から日本最終年となる2011年まで、5年連続となる防御率1点台を達成し、日本球界最高の投手として海を渡った。

ポスティング制度によってテキサス・レンジャーズへ移籍するが、そこでも背番号「11」をつけプレーした。2年目の2013年には最多奪三振のタイトルを獲得し、メジャーでも通用する姿を見せている。その後、トミージョン手術を経て2016年シーズンに復活。2017年シーズン途中にロサンゼルス・ドジャースへと移籍し、背番号「21」となっている。

2008年北京オリンピックでは「18」、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではチームと同じ「11」を着用した。

ダルビッシュ選手から大谷選手へと受け継がれた日本ハムの背番号「11」。次もスーパーエースに受け継がれることを期待したい。

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