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プロ野球で背番号2を背負った名選手たち

2017 9/13 14:03cut
城島健司,Ⓒゲッティイメージズ
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「ドカベン」の愛称で人気!香川伸行選手

浪商時代に牛島和彦投手(元横浜監督)とのバッテリーで1979年春のセンバツで準優勝。夏の甲子園では3試合連続本塁打と一世を風靡した香川伸行選手。愛くるしい笑顔と100キロは超えているであろう体型から、人気漫画にあやかり「ドカベン」の愛称で親しまれた。

同年、ドラフト2位で南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へ入団。高校時代と同様、入団後に付けた背番号も「2」だった。

プロ入り後は故障もあり派手な活躍はできなかったが、10年間プレーして78本塁打を放っており、記録よりも記憶に残る選手だった。現役引退後はマスターズリーグにも参加していたが、2014年に52歳という若さで亡くなっている。

メジャーでも背番号「2」を背負った城島健司選手

別府大付(現明豊)時代から強打の捕手として知られていた城島健司選手。高校3年時には駒大進学を表明していたものの、福岡ダイエーホークスが1994年のドラフト会議で強行指名。アマチュア球界との軋轢が生じることも、根本陸夫氏らダイエー球団幹部は恐れなかった。結局、城島選手は大学進学せずにダイエーに入団。香川選手が背負っていた背番号「2」を与えられ、大きな期待をかけられた。

城島選手はプロ入り3年目にレギュラーを獲得すると、攻守両面で活躍。2005年まで11年間ダイエーでプレーし、FAでシアトル・マリナーズへ移籍した。マリナーズでも背番号「2」を着用し、イチロー選手とともにプレー。2009年オフには日本球界へと戻り、入団した阪神でもやはり背番号「2」を着用した。2012年に現役引退するまで一貫して背番号「2」を付けた。

また城島選手は日本代表としても2006年、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場している。2006年は小笠原道大選手に譲ったものの、2009年は背番号「2」を着用している。

現役引退後は指導者としてユニフォームを着ていないが、仮に復帰したときは何番を背負うのだろうか。

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