2019年現役選手の背番号「1」
背番号「1」を背負った歴代のスタープレーヤーを紹介する前に現在の背番号「1」を確認したい。2019年各球団の背番号「1」は下記の選手が背負っている。
日本ハム:斎藤佑樹選手(投手)
ソフトバンク:内川聖一選手(内野手)
ロッテ:清田育宏選手(外野手)
西武:栗山巧選手(外野手)
楽天:松井裕樹選手(投手)
オリックス:―
広島:鈴木誠也選手(外野手)
巨人:永久欠番(王貞治選手)
DeNA:桑原将志選手(外野手)
阪神:鳥谷敬選手(内野手)
ヤクルト:山田哲人選手(内野手)
中日:京田陽太選手(内野手)
不在:1球団
永久欠番:1球団
投手:2球団
捕手:0球団
内野手:4球団
外野手:4球団
永久欠番は王貞治選手ただ1人。現役では投手が2人、内野手と外野手が4人ずつ付けている。1ケタの背番号を投手が背負うことは少なかったが、今シーズンは2選手が着用。新たなトレンドとなるかもしれない。
また、多くの野手がレギュラークラスで、格のある番号と言える。この番号をもらうことは球団からの期待の表れであることは間違いない。
「世界の王」こと王貞治選手
日本のプロ野球で背番号「1」といえば、真っ先に浮かぶのは巨人一筋で活躍した王貞治選手だろう。早稲田実業のエースとしてセンバツ優勝し、1959年に巨人入団。王は中国語で「ワン」と読むことから、背番号は「1」になったとも言われている。開幕戦からスタメンで起用されるも26打席連続ノーヒットと結果が出なかったものの、27打席目で生まれた初ヒットが本塁打となった。しかし、1年目は目立った成績を残すこともなく、打率.161、7本塁打に終わっている。
王選手が開花したのは4年目。一本足打法を荒川博コーチと猛特訓し、通算868本塁打まで積み重ねることになる。1977年にハンク・アーロンを超える756号の「世界記録」を認められ、国民栄誉賞を受賞。1989年には巨人軍史上6人目の永久欠番となっている。巨人では王選手以降の永久欠番は生まれていない。
1959年にプロ入りしてから監督を退任する1989年までの30年間にわたり、王選手は背番号「1」を着用。これは山本昌投手(1984年-2015年)が作った32年間の連続着用記録に次ぐ歴代2位。王選手は巨人の監督を退任後に1995年から福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)の監督に就任しているが、この際は背番号「1」ではなく背番号「89」を背負っている。
高卒2年目からクローザー 松井裕樹選手
2012年夏の甲子園で2年生ながら背番号「1」を背負っていた松井裕樹選手。桐光学園(神奈川)のエースとして甲子園に出場し、今治西(愛媛)戦で史上最多となる22奪三振、10者連続奪三振の新記録を樹立した。高校3年時は甲子園出場を逃したが、2013年のドラフト会議において目玉の一人となっていた。
ドラフトでは楽天、DeNA、日本ハム、中日、ソフトバンクの5球団が1巡目で入札。抽選の結果、楽天への入団が決まった。
楽天に入団した松井選手が背負った背番号は高校時代と同じく「1」だった。会見では「高校野球に自分の原点がある。だから1番でスタートしたい」とコメント。思い入れのある番号と明らかにしている。
1年目は先発で起用されたが2年目に中継ぎへ転向。チームメートの故障もあり、抑えに抜擢されると63試合に登板し、3勝2敗33セーブ、防御率0.87の成績を残す。その活躍ぶりから第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表にも選出され、2017年シーズンでも3勝3敗33セーブをマーク。プロ野球において背番号「1」は野手のイメージが強いが、松井投手がイメージを変えるかもしれない。
最後の300勝投手 鈴木啓示選手
近鉄バファローズ一筋20年で、通算317勝をマークした鈴木啓示投手。プロ野球史上4人目の300勝投手でもあり、鈴木投手以降にこの記録を達成した選手はおらず、最後の300勝投手となっている。また、入団当時から背番号「1」をつけ現役引退。のちに近鉄の監督を務めた際は「1」ではなく「70」を着用した。
2004年の球界再編問題によって近鉄が消滅する時点では鈴木投手の背番号「1」はパ・リーグ唯一の永久欠番だった。(※新球団として参入した東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号「10」がファンのための番号としてパ・リーグ2つめの永久欠番になる。さらに2018年には星野仙一監督の背番号「77」も欠番となった。また、西武は前身の西鉄時代のエースだった稲尾和久投手の背番号「24」を2012年に永久欠番とした)
しかし、1985年の引退時に制定された永久欠番は、合併したオリックス・バファローズでは永久欠番になっていない。2005年に後藤光尊選手が着用して以降、コリンズ監督、再び後藤選手、ベタンコート選手へと受け継がれ、昨年まで中島宏之選手が使用していた。
ヤクルトの背番号「1」はミスタースワローズ
東京ヤクルトスワローズの背番号「1」は継承制だ。その番号を背負った選手はミスタースワローズとも呼ばれ、チームの中心として活躍することが期待されている。
初代ミスタースワローズは若松勉選手だった。「小さな大打者」として積み上げた通算安打は2173本。現役通算打率.319(6808打数2173安打)は日本人歴代トップの数字となっている。(※4000打数以上)
この若松選手がプロ入り2年目から背負ったのが背番号「1」。1989年に若松選手が引退すると2年間のブランクが空き、1992年から99年までは「ブンブン丸」こと池山隆寛選手が着用。2001年から06年まで岩村明憲選手、2010、11年が青木宣親選手と、チームを代表する選手が付けてきた。
2016年からは山田哲人選手が背番号「1」を継承。3度のトリプルスリーを達成するなど、今では球界を代表するプレーヤーとなった。
王選手のように永久欠番として栄誉を讃えるだけでなく、ヤクルトのように歴代のスタープレーヤーたちが伝承していくのもまた、ファンにとっては感慨深いものがある。何年先になるか分からないが、山田選手の次にどのような選手が継承するのかヤクルトファンの楽しみは尽きない。