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誰がいる?プロ野球における背番号1の名選手たち


2017年現役選手の背番号「1」

背番号「1」を背負った歴代のスタープレーヤーを紹介する前に現在の背番号「1」を確認したい。

2017年各球団の背番号「1」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:斎藤佑樹選手(投手)
ソフトバンク:内川聖一選手(外野手)
ロッテ:清田育宏選手(外野手)
西武:栗山巧選手(外野手)
楽天:松井裕樹選手(投手)
オリックス:中島宏之選手(内野手)
広島:ー
巨人:永久欠番(王貞治選手)
DeNA:熊原健人選手(投手)
阪神:鳥谷敬選手(内野手)
ヤクルト:山田哲人選手(内野手)
中日:友永翔太選手(外野手)
不在:1球団
永久欠番:1球団
投手:3球団
捕手:0球団
内野手:3球団
外野手:4球団

永久欠番は王貞治選手ただ1人。現役選手では投手、内野手、外野手がまんべんなく着用していることがわかる。1ケタの背番号を投手が背負うことは少なかったが、今シーズンは3選手が着用。新たなトレンドとなるかもしれない。

また、多くの野手がレギュラー級となっており、格のある番号とも言えそうだ。入団時にこの番号をもらうことで球団から、期待されているとも言えるだろう。

「世界の王」こと王貞治選手

日本のプロ野球で背番号「1」といえば、読売ジャイアンツ一筋で活躍した王貞治選手だろう。早稲田実業学校から1959年に巨人へと入団。王(おう)を中国語読みにすると「ワン」と読むことから、背番号は「1」になったとも言われている。開幕戦からスタメンで起用されるも26打席連続ノーヒットと結果がでなかった王選手。27打席目で生まれた初ヒットが本塁打となった。しかし、1年目はこれといった成績を残すこともなく、打率.161、7本塁打に終わっている。

王選手が開花したのは4年目。一本足打法を荒川博コーチと生み出し、通算868本塁打まで積み重ねることになる。現役途中ではあったが1977年にその功績が認められ、国民栄誉賞を受賞。また、1989年には巨人史上6人目の永久欠番となっている。巨人では王選手以降の永久欠番は生まれていない。

1959年にプロ入りしてから監督を退任する1989年までの30年間にわたり、王選手は背番号「1」を着用。これは山本昌選手(1984年-2015年)が作った32年間の連続着用記録に次ぐ歴代2位。

王選手は巨人の監督を退任後に1995年から福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)の監督に就任しているが、この際は背番号「1」ではなく背番号「89」を着用している。

高卒2年目からクローザー!松井裕樹選手

2012年夏の甲子園選手権大会で2年生ながら背番号「1」を背負っていた松井裕樹選手。桐光学園高校(神奈川県)のエースとして甲子園に登場。今治西高校戦(愛媛県)で9回試合では史上最多となる22奪三振を記録し、10者連続奪三振の記録も樹立した。高校3年時は甲子園出場を逃したが、2013年のドラフト会議において目玉の一人となっていた。

ドラフトでは東北楽天ゴールデンイーグルス、横浜DeNAベイスターズ、北海道日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズ、福岡ソフトバンクホークスの5球団が1巡目で入札。抽選の結果、楽天への入団が決まった。

楽天に入団した松井選手が選んだ背番号は高校時代と同じく「1」だった。会見では「高校野球に自分の原点がある。だから1番でスタートしたい」とコメント。思い入れのある番号と言うことを明らかにしている。

1年目は先発で起用されたが2年目に中継ぎへ転向。チームメートの故障もあり、抑えに抜擢され63試合に登板し、3勝2敗33セーブ、防御率0.87の成績を残す。以降も2017年シーズンまではクローザーとして起用されている。その活躍ぶりから第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表にも選出された。プロ野球において背番号「1」は野手のイメージが強い番号だが、松井選手がイメージを変えるかもしれない。

最後の300勝投手!鈴木啓示選手

近鉄バファローズ一筋20年で、通算317勝をマークした鈴木啓示選手。プロ野球史上4人目の300勝投手でもあり、鈴木選手以降にこの記録を達成した選手はおらず、2016年終了時点で最後の300勝投手となっている。また、入団当時から背番号「1」をつけ現役引退。のちに近鉄の監督を務めた際は「1」ではなく「70」を着用した。

2004年の球界再編問題によって近鉄が消滅する時点において鈴木選手の背番号「1」はパ・リーグ唯一の永久欠番だった。(※近鉄に変わり新球団として参入した、東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号「10」がファンのための番号としてパ・リーグ2つめの永久欠番になる。また、選手としては稲尾和久選手の背番号「24」が2012年に西武で永久欠番として制定された。)

1985年の引退時に制定された永久欠番は2004年11月10日にオリックス・バファローズへと譲渡され現在は永久欠番になっていない。2005年にオリックスは後藤光尊選手が着用して以降、コリンズ監督、再び後藤選手、ベタンコート選手へと受け継がれた。そして現在は中島宏之選手が使用している。

ヤクルトの背番号「1」はミスタースワローズ!

東京ヤクルトスワローズの背番号「1」は継承制だ。その番号を背負った選手はミスタースワローズとも呼ばれ、チームの中心として活躍することが期待されている。

初代ミスタースワローズは若松勉選手だった。「小さな大打者」として積み上げた通算安打は2173本。現役通算打率.319(6808打数2173安打)は日本人歴代トップの数字となっている。(※4000打数以上、2016年終了時点)

この若松選手がプロ入り2年目から背負った番号が背番号「1」だ。1989年に若松選手が引退すると2年間のブランクが空き1992年から1999年までは「ぶんぶん丸」こと池山隆寛選手が着用。2001年から2006年まで岩村明憲選手。2010年から2011年が青木宣親選手(現ブルージェイズ)とヤクルトを代表する選手達が常に着用を続けてきた。

2016年からは山田哲人選手が背番号「1」を継承。1年目から見事に2年連続となるトリプルスリーを達成するなど、期待に応える働きを見せている。

巨人の王選手のように永久欠番として栄誉を讃える方法。ヤクルトのように歴代のスタープレーヤーたちが伝承していくのも、また、ファンにとって感慨深いものがある。どれくらい先になるのかはわからないが、山田選手の次にどのような選手が継承するのかヤクルトファンの楽しみは尽きない。

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