2024年現役選手の背番号「1」
高校野球ではエースナンバーとなっている背番号「1」。プロ野球では王貞治、若松勉、秋山幸二、前田智徳ら名だたる大打者たちが背負ってきた。
では、2024年に着用するのはどのような選手たちだろうか。今季、背番号「1」を背負っている選手は下記の通り。
阪神:森下翔太外野手
広島:不在
DeNA:桑原将志外野手
巨人:永久欠番(王貞治)
ヤクルト:山田哲人内野手
中日:岡林勇希外野手
オリックス:福田周平外野手
ロッテ:藤原恭大外野手
ソフトバンク:風間球打投手
楽天:不在
西武:栗山巧外野手
日本ハム:新庄剛志監督
不在:2球団
永久欠番:1球団
監督:1球団
投手:1球団
捕手:0球団
内野手:1球団
外野手:6球団
王貞治氏が付けていた巨人の背番号「1」は、永久欠番となっている。広島では2019年から鈴木誠也が着用していたが、2021年のオフにMLBのシカゴ・カブスへ移籍して以降は空き番に。楽天は2023年オフに松井裕樹が海外FA権を行使して、サンディエゴ・パドレスへ移籍したため、今季から空き番となっている。
日本ハムでは、2022年に監督へ就任した新庄剛志が着用。ただ、新ユニホーム発表記者会見で、背番号「1」に特にこだわりはなく、ふさわしい選手が現れれば、いつでも譲る意向であることを明らかにしている。
現役では投手1人、内野手1人、外野手6人と野手が圧倒的に多い。また、ヤクルト・山田哲人、西武・栗山巧らレギュラークラスの選手が多く、格のある番号と言える。この番号をもらうことは、球団からの期待の表れであることは間違いない。
中日では、若きリードオフマンの岡林勇希が今季「60」から変更した。ドラゴンズの「1」は、高木守道やメジャーでもプレーした福留孝介など球団の歴代主力が背負ってきた重みのある番号。次代の「ミスタードラゴンズ」として大きな期待を背負う。
鳥谷敬が2019年に退団して以降、3年間空き番となっていた阪神でも、2023年からドラフト1位ルーキーの森下翔太が継承。縦じまの背番号「1」のイメージを塗り替える活躍が期待されている。
次章以降では、背番号「1」を背負った歴代のスタープレーヤーを紹介していく。
「世界の王」こと王貞治
日本のプロ野球で背番号「1」といえば、真っ先に浮かぶのは巨人一筋で活躍した王貞治だろう。早稲田実業のエースとしてセンバツ優勝し、1959年に巨人入団。王は中国語で「ワン」と読むことから、背番号は「1」になったとも言われている。
開幕戦からスタメンで起用されるも26打席連続ノーヒットと結果が出なかったが、27打席目で生まれた初ヒットが本塁打となった。ただ、1年目は目立った成績を残すこともなく、打率.161、7本塁打に終わっている。
王が開花したのは4年目。一本足打法を荒川博コーチと猛特訓し、通算868本塁打まで積み重ねることになる。1977年にハンク・アーロンを超える756号の「世界記録」を認められ、国民栄誉賞を受賞。1989年には巨人軍史上6人目の永久欠番となっている。巨人では王以降の永久欠番は生まれていない。
1959年にプロ入りしてから監督を退任する1989年までの30年間にわたり、王は背番号「1」を着用。これは山本昌投手(1984年-2015年)が作った32年間の連続着用記録に次ぐ歴代2位だ。
王は巨人の監督を退任後、1995年から福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)の監督に就任しているが、この際は背番号「1」ではなく「89」を背負っている。
高卒2年目からクローザー 松井裕樹
2012年夏の甲子園で2年生ながら背番号「1」を背負っていた松井裕樹投手。桐光学園(神奈川)のエースとして甲子園に出場し、今治西(愛媛)戦で史上最多となる22奪三振、10者連続奪三振の新記録を樹立した。高校3年時は甲子園出場を逃したが、2013年のドラフト会議において目玉の一人となっていた。
ドラフトでは楽天、DeNA、日本ハム、中日、ソフトバンクの5球団が1巡目で入札。抽選の結果、楽天への入団が決まった。楽天に入団した松井が着用することになった背番号は、高校時代と同じ「1」。会見では「高校野球に自分の原点がある。だから1番でスタートしたい」とコメントし、思い入れのある番号であることを明らかにした。
1年目は先発で起用されたが2年目に中継ぎへ転向。チームメートの故障もあり、抑えに抜擢されると63試合に登板し、3勝2敗33セーブ、防御率0.87の成績を残す。その活躍ぶりから第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表にも選出され、2017年シーズンでも3勝3敗33セーブをマークした。
2018年に通算100セーブ、2021年に通算150セーブ、そして2023年4月5日の西武戦(楽天モバイル)で、通算200セーブを史上最年少の27歳5か月で達成。そして、その年のオフに海外FA権を行使してサンディエゴ・パドレスへと移籍した。プロ野球において背番号「1」は野手のイメージが強いが、松井がイメージを変えるかもしれない。
最後の300勝投手 鈴木啓示
近鉄バファローズ一筋20年で、通算317勝をマークした鈴木啓示投手。プロ野球史上4人目の300勝投手で、鈴木以降にこの記録を達成した投手はおらず、最後の300勝投手となっている。また、入団当時から背番号「1」をつけ現役引退。のちに近鉄の監督を務めた際は、「1」ではなく「70」を着用した。
2004年の球界再編問題によって近鉄が消滅する時点では、鈴木投手の背番号「1」はパ・リーグ唯一の永久欠番だった。
※新球団として参入した東北楽天ゴールデンイーグルスの背番号「10」がファンのための番号としてパ・リーグ2つめの永久欠番となる。さらに2018年には星野仙一監督の背番号「77」も欠番となった。また、西武は前身の西鉄時代のエースだった稲尾和久投手の背番号「24」を、2012年に永久欠番とした。
しかし、1985年の引退時に制定された永久欠番は、合併したオリックス・バファローズでは永久欠番になっていない。2005年に後藤光尊が着用して以降、コリンズ監督、再び後藤、ベタンコートらへと受け継がれ、今年から福田周平が着用する。
ヤクルトの背番号「1」はミスタースワローズ
東京ヤクルトスワローズの背番号「1」は継承制だ。その番号を背負った選手はミスタースワローズとも呼ばれ、チームの中心として活躍することが期待されている。
初代ミスタースワローズは若松勉だった。「小さな大打者」として積み上げた通算安打は2173本。現役通算打率.319(6808打数2173安打)は日本人歴代2位の数字となっている。(※4000打数以上)
この若松がプロ入り2年目から背負ったのが背番号「1」。1989年に若松が引退すると2年間のブランクが空き、1992年から99年までは「ブンブン丸」こと池山隆寛が着用。2001年から06年まで岩村明憲、2010、11年が青木宣親と、チームを代表する選手が付けてきた。
2016年からは山田哲人が背番号「1」を継承。3度のトリプルスリーを達成するなど、今では球界を代表するプレーヤーとなった。
巨人・王貞治のように永久欠番として栄誉を讃えるだけでなく、ヤクルトのように歴代のスタープレーヤーたちが伝承していくのもまた、ファンにとっては感慨深いものがある。何年先になるか分からないが、山田の次にどのような選手が継承するのかヤクルトファンの楽しみは尽きない。
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