2022年現役選手の背番号「27」
伊東勤、古田敦也、谷繁元信ら球史に残る名捕手たちが背負っていた背番号「27」。捕手のイメージが強い番号だが、2022年シーズンはどんな選手たちが着用するのだろうか。各球団の背番号「27」は下記の通りとなっている。
ヤクルト:中村悠平(捕手)
阪神:伊藤将司(投手)
巨人:岸田行倫(捕手)
広島:會澤翼(捕手)
中日:大野奨太(捕手)
DeNA:上茶谷大河(投手)
オリックス:元謙太(外野手)
ロッテ:山本大貴(投手)
楽天:岡島豪郎(外野手)
ソフトバンク:グラシアル(内野手)
日本ハム:古川裕大(捕手)
西武:内海哲也(投手)
不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:4球団
捕手:5球団
内野手:1球団
外野手:2球団
12球団中5球団が捕手で、半分近くを占める結果となった。背番号「27」が捕手の番号として認識されるようになったのは、やはり伊東、古田、谷繁らが背負っていたことが大きいだろう。さらに遡ると、巨人の森祇晶がV9時代に着用していた。
今季から「27」を背負うことになった、ヤクルト・中村悠平と巨人・岸田行倫の2人も捕手だ。
ヤクルトの「27」は古田敦也が2007年に引退して以降、「準永久欠番」となっていたが、今年から中村が受け継ぐことになる。中村は昨年、正捕手として6年ぶりのリーグ制覇、20年ぶりの日本一、さらに個人としても、日本シリーズMVP・べストナイン・ゴールデングラブ賞に輝くなど、大車輪の活躍を見せた。昨年「52」から「2」に変更したばかりだったが、今年さらに重みのある番号に変え、さらなる飛躍を誓う。
巨人の「27」は昨年まで炭谷銀仁朗が着用していたが、シーズン途中に楽天へ移籍。空き番となっていたところを、岸田が受け継いだ格好だ。名捕手の代名詞をもらい、正捕手奪取を目指す。
一方で、捕手以外が着用する番号となっている球団もある。DeNAは前身の大洋時代に、平松政次が背番号「27」を背負っていたことで、投手の番号として使用されることが多い。1984年に平松が引退して以降、投手以外が着用したのは2013年のモーガン外野手のみで、現在も投手の上茶谷大河が背負っている。
次章からは、背番号「27」を着用していた歴代の名選手たちを紹介していく。
「カミソリシュート」で201勝を挙げた平松政次
捕手の番号として定着していた背番号「27」だが、DeNA(前身球団含む)は捕手も野手もこの番号をほとんど着用していない。2017年に野球殿堂入りを果たした平松政次が使用していたからだ。
平松は1967年にDeNAの前身球団である大洋に入団し、当時は背番号「3」を背負っていたが、2年目の1968年から引退する1984年までは背番号「27」を着用していた。
1970年には25勝をマークし、最多勝を獲得。同時に沢村賞も受賞しており、翌1971年には17勝を挙げ2年連続最多勝に輝いた。
「カミソリシュート」と呼ばれていた切れ味鋭いシュートを武器に、通算201勝の成績を残し名球会入りも果たした。巨人戦では、金田正一(65勝)に次ぐ通算51勝をマーク。巨人キラーとしても知られている。また、同時期に現役生活を送っていた長嶋茂雄(巨人)が苦手にしていた投手でもあった。
平松が引退後は1998年、1999年、2002年と3年間の空白期間があったが、2013年のモーガン選手を除き全て投手が着用している。DeNAにおいては今後も背番号「27」は投手の番号として継承されそうだ。
「代打、俺!」古田敦也
近年のプロ野球において名捕手ランキングを行えば、上位にランクインすることは間違いないのが古田敦也(ヤクルト)だ。アマチュア時代は日本代表として野茂英雄(ドジャース他)らとともに、ソウルオリンピックで銀メダルを獲得。1989年のドラフト会議で2位指名を受け、ヤクルトへ入団した。
古田はチームの先輩捕手でもある、大矢明彦が着用していた背番号「27」を与えられた。このことからも期待の大きさがうかがい知れる。古田はその期待に応えて1年目でレギュラーを獲得し、2年目には首位打者に輝いた。その後、2007年までの18年間で2097安打を放ち名球会入りを果たしている。
また、2006年、2007年には選手兼任監督としてチームを引っ張った。その当時、自身が代打として登場する際に「代打、俺」と審判に告げることが大きく取り上げられた。2007年に現場を離れてからは、ユニフォームを着ての指導は行っていない。
古田選手兼任監督が退団後、初めてヤクルトの背番号「27」を背負うことになった中村悠平。古田のような名捕手になれるのか、今後の活躍に注目だ。
西武黄金時代の「頭脳」伊東勤
巨人がV9を達成した際の正捕手だった森祇晶が西武監督となった1986年。ここから90年代前半まで黄金時代を築くことになるが、その際の正捕手が伊東勤だった。
伊東は1982年の西武入団から背番号「27」を背負っており、引退する2003年まで22年間にわたり着用。その間に打撃タイトルの獲得こそなかったものの、ベストナインを10回、ゴールデングラブ賞を11回受賞し、西武の頭脳として一時代を築いた。
引退後の2004年に西武の監督に就任すると、4年間でAクラス3回の成績を残すなど実績をあげている。2013年からはロッテの監督に就任。2015年、2016年と2年連続でのAクラス入りを果たした。監督時代の背番号は両チームともに「83」を着用している。
また、選手、監督としての実績が認められ、2017年に同じ背番号「27」で一時代を築いた平松政次らと野球殿堂入りも果たした。2019年から中日のヘッドコーチを務めており、1年目は「91」だったが、2020、21年シーズンは「83」を着用していた。
ヤクルトの名捕手から横浜の監督へ大矢明彦
早稲田実業、駒澤大学を経て1969年ヤクルトアトムズにドラフト7位で入団した大矢明彦、入団当時は背番号「32」を与えられた。1年目から93試合に出場し、レギュラー格となると翌1971年に背番号「27」へ変更。2年目にしてオールスターゲームに出場するなど、正捕手に定着した。
以降、1986年まで16年間ヤクルト一筋でプレーし、ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を6回受賞。ヤクルトでは以降、古田敦也も背番号「27」を背負っており、この番号は完全に名捕手の番号となった。
現役引退後は、横浜の監督を2度(1996年ー1997年、2007年ー2009年)務めており、「81」「85」を背負った。
大矢が背番号「27」を着用し始めた1971年は、巨人のV9真っ只中。その正捕手を務めていた森祇晶も背番号「27」を背負っていた。森、大矢の2人が「27」を捕手の番号としてイメージ付ける先鞭をつけたと言えるだろう。
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