「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

プロ野球における背番号27の名選手たち

2017 10/13 10:05cut
キャッチャー
このエントリーをはてなブックマークに追加

2017年現役選手の背番号「27」

谷繁元信・元中日監督、古田敦也選手(ヤクルト)、伊東勤選手(西武)など捕手が背負っていたイメージの強い背番号「27」。だが、意外にも2017年シーズンの着用選手で捕手は多くない。2017年各球団の背番号「27」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:大野奨太選手(捕手)
ソフトバンク:ジェンセン選手(内野手)
ロッテ:古谷拓哉選手(投手)
西武:炭谷銀仁朗選手(捕手)
楽天:不在
オリックス:青山大紀選手(投手)
広島:會澤翼選手(捕手)
巨人:實松一成選手(捕手)
DeNA:久保康友選手(投手)
阪神:不在
ヤクルト:不在
中日:不在

不在:4球団
永久欠番:0球団
投手:3球団
捕手:4球団
内野手:1球団
外野手:0球団

このように12球団中4球団が未着用ということもあるが、捕手で背負っているのは4選手のみだ。
だが、そのうち大野奨太選手(日本ハム)、炭谷銀仁朗選手(西武)の2選手は第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表にも選ばれているため、やはり捕手の番号というイメージがあるだろう。

背番号「27」が名捕手の番号として認識されるようになったのは、谷繁選手、古田選手、伊東選手らが背負っていたことが大きい。しかし、元は読売ジャイアンツの森祇晶選手がV9時代に着用していたからだ。

また、横浜DeNAベイスターズは前身の大洋ホエールズ時代に、平松政次選手が背番号「27」を背負っていたことで、投手の番号として使用されることが多い。近年では2013年にモーガン選手が野手として着用しているのみだ。

「カミソリシュート」で201勝:平松政次選手

2017年現在において捕手の番号として定着しつつある背番号「27」。しかし、横浜DeNAベイスターズ(前身球団含む)は捕手だけでなく野手も近年、この番号を着用していない。それは、2017年に野球殿堂入りを果たした平松政次選手が使用していたからだ。
平松選手は1967年にDeNAの前身球団である大洋ホエールズに入団し、当時は背番号「3」を背負っていたが、2年目の1968年から引退する1984年までは背番号「27」を着用していた。

1970年には25勝をマークし、最多勝を獲得。同時に沢村賞も受賞しており、翌1971年には17勝を挙げ2年連続最多勝に輝いた。
「カミソリシュート」と呼ばれていた切れ味鋭いシュートボールを武器に、現役通算201勝の成績を残し名球会入りも果たした。巨人戦において、金田正一選手(65勝)に次ぐ通算51勝をマーク。巨人キラーとしても知られている。また、同時期に現役生活を送っていた長嶋茂雄選手(巨人)が苦手にしていた投手でもあった。

平松投手が引退後は1998年、1999年、2002年と3年間の空白期間があったが、2013年のモーガン選手を除き全て投手が着用している。DeNAにおいては今後も背番号「27」は投手の番号として継承されそうだ。

「代打、俺!」:古田敦也選手

近年のプロ野球において名捕手ランキングを行えば、上位にランクインすることは間違いないのが古田敦也選手(ヤクルト)だ。アマチュア時代は日本代表として野茂英雄選手(ドジャース他)らとともに、ソウルオリンピックで銀メダルを獲得。1989年のドラフト会議において2位指名を受け、ヤクルトスワローズへ入団した。
古田選手はチームの先輩でもある、大矢明彦選手が着用していた背番号「27」を与えられた。このことからも期待の大きさが、うかがいしれる。古田選手はその期待に応え1年目でレギュラーを獲得し、2年目には首位打者に輝いた。その後、2007年までの18年間で2097安打を放ち名球会入りを達成している。

また、2006年、2007年には選手兼任監督としてチームを引っ張った。その当時、自身が代打として登場する際に「代打、俺」と審判に告げることが大きく取り上げられた。

2007年に現場を離れてからユニフォームを着ての指導はない。また、古田選手兼任監督が退団後ヤクルトにおいて背番号「27」は空き番号となっている。古田選手のような名捕手、または候補が生まれたとき背番号「1」のように継承されるのだろう。背番号の敬承が続く伝統も永久欠番と違った趣があることをわからせてくれる。

西武黄金時代の頭脳:伊東勤選手

巨人がV9を達成した際の正捕手でもあった、森祇晶氏が監督となった1986年の西武ライオンズ。1980年代後半から黄金時代を築くことになるが、その際の正捕手が伊東勤選手だった。
伊東選手は1982年の西武入団から背番号「27」を背負っており、引退する2003年まで22年間にわたり着用し続けた。
その間に打撃タイトルの獲得こそなかったものの、ベストナイン10回、ゴールデングラブ賞11回の表彰を受け、西武の頭脳として一時代を築いている。

引退後の2004年に西武の監督へ就任すると、4年間でAクラス3回の成績を残すなど実績をあげている。2013年からはロッテの監督へ就任。2015年、2016年と2年連続でのAクラス入りを達成した。監督時代の背番号は両チームともに「83」を着用している。

また、選手、監督としての実績が認められ、2017年に同じ背番号「27」として一時代を築いた平松政次選手らと野球殿堂入りを果たしている。

ヤクルトの名捕手から横浜の監督へ:大矢明彦選手

早稲田実業学校、駒澤大学を経て1969年ヤクルトアトムズにドラフト7位で入団した大矢明彦選手、入団当時は背番号「30」を与えられた。1年目から93試合に出場し、レギュラー格となると翌1971年に背番号「27」へと変更。2年目にしてオールスターゲームに出場するなど、正捕手に定着。
以降、1986年まで16年間ヤクルト一筋でプレーし、ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)6回を受賞する。ヤクルトでは以降、古田敦也選手も背番号「27」を背負っており、この番号は完全に名捕手の番号となった。

現役引退後は、横浜ベイスターズの監督を2度務め(1996年ー1997年、2007年ー2009年)ている。その際は「81」「85」を背負っていた。

大矢選手が背番号「27」を着用し始めた1971年は、巨人のV9まっただ中。その正捕手を務めていた森祇晶選手も背番号「27」を背負っていた。森選手、大矢選手と背番号「27」の名捕手が続いたことで、以降もこの番号が捕手の番号になったと言えるだろう。

関連記事

おすすめの記事