プロ野球における背番号3の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号3の名選手たち


2017年現役選手の背番号「3」

内野の主力選手がつけることの多い背番号「3」。2017年各球団の背番号「3」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:田中賢介選手(内野手)
ソフトバンク:松田宣浩選手(内野手)
ロッテ:角中勝也選手(外野手)
西武:浅村栄斗選手(内野手)
楽天:不在
オリックス:安達了一選手(内野手)
広島:永久欠番(衣笠祥雄選手)
巨人:永久欠番(長嶋茂雄選手)
DeNA:梶谷隆幸選手(外野手)
阪神:大山悠輔選手(内野手)
ヤクルト:西浦直亨選手(内野手)
中日:高橋周平選手(内野手)

不在:1球団
永久欠番:2球団
投手:0球団
捕手:0球団
内野手:7球団
外野手:2球団

日本プロ野球界で背番号「3」といえば読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手だろう。ミスタープロ野球こと長嶋選手の影響はやはり大きい。2016年ドラフト1位で阪神タイガースに入団した大山悠輔選手は背番号「3」を与えられたが、「虎のミスターになれ」と発破を掛けられたほどだ。伝統のライバル球団でさえも意識するほどの存在なのである。

福岡ソフトバンクホークスの松田宣浩選手は2017年シーズンからこの番号を着用。長嶋選手へのあこがれを口にしていた。他球団の選手達も口に出すほど、長嶋選手=背番号「3」というイメージが、ファンだけでなく選手たちにも浸透している。

国民的プロ野球選手だった長嶋茂雄選手

日本のプロ野球において最も有名な背番号「3」の選手といえば長嶋茂雄選手だろう。立教大学から読売ジャイアンツに入団しチームの柱として活躍。現役引退まで、つねに第一線で体を張ってプレーしてきた。豪快なフルスイング、空振りをした際にヘルメットが宙を舞う仕草など成績だけでなくファンを魅了した。

その長嶋選手が生涯にわたって着用してきたのが背番号「3」だ。現役引退後に永久欠番として制定され監督初期は「90」「33」の背番号で指揮を執った。しかし、1999年オフシーズンにFAで広島東洋カープから巨人へやってきた江藤智選手に「33」を譲ると背番号「3」を解禁。春季キャンプで報道陣に披露する際もジャンパーを脱ぐタイミングを窺うなど多くの話題を振りまいてくれた。2001年に監督退任後は永久欠番ということもあり、着用している選手はいない。

アテネオリンピックの日本代表監督へ就任した際、JAPANのユニフォームではあるが背番号「3」を着用。任期中に脳梗塞となり中畑清監督へバトンタッチとなったが、中畑監督は「33」を着用している。

今後、長嶋選手を超える影響力を持つ背番号「3」のスーパースターは現れるだろうか。

「野球の神様」ことベーブ・ルース選手

「野球の神様」ことベーブ・ルース選手。メジャーリーグの歴史を語る上で、欠かすことのできない人物の一人である。1914年にボストン・レッドソックスでデビューを果たすと投手、野手の二刀流で活躍。1920年から1934年まではニューヨーク・ヤンキースで、1935年はボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)でプレーした歴史的名選手だ。通算本塁打714本はハンク・アーロン選手に塗り替えられるまで世界記録ともなっていた。

ベーブ・ルース選手がメジャーリーグ入りした当時は背番号の文化はなかった。背番号を初めて導入したのは現役も終盤に近づいた1929年に所属していたニューヨーク・ヤンキースだ。ヤンキースは観客が遠くからでも選手を判別できるように背番号を導入したのだ。当時は、打順がそのまま背番号として振られており、ベーブ・ルース選手は3番を打っていったことから背番号「3」となっている。

ベーブ・ルース選手は1935年に現役を引退後1948年に永久欠番として制定された。これはメジャーリーグ史上3番目であり、ヤンキースではルー・ゲーリッグ選手に次ぐ2番目の早さだった。

また、デレク・ジーター選手の背番号「2」が永久欠番となったことで、ルー・ゲーリッグ選手、ベーブ・ルース選手をはじめ、ヤンキースは背番号「1」から「10」までが永久欠番となっている。

「鉄人」こと衣笠祥雄選手

山本浩二選手とともに「赤ヘル軍団」を支え、当時の世界記録となる2215試合連続出場を達成した衣笠祥雄選手。その愛称はケガをしないプレーが身上だったこともあり「鉄人」だった。名球会入りの条件でもある2000本安打を達成しているが、連続試合出場記録のインパクトが大きく打撃面のことを語られることが少ない。しかし、打点王(1984年)、盗塁王(1976年)と打撃タイトルも獲得しており、通算504本塁打は歴代7位となっている。

衣笠選手の打撃面が取り上げられない要因のひとつは、主軸として活躍した「ミスター赤ヘル」こと山本選手の存在が挙げられる。山本選手は法政大学から広島東洋カープへの入団当時から、「法政大三羽烏」として注目を集めると首位打者1回(1975年)、本塁打王4回(1978年、1980年、1981年、1983年)、打点王3回(1971年、1980年、1981年)と打撃タイトルを多数獲得。通算536本塁打は大卒出身では史上最多とインパクトは大きかった。しかし、衣笠選手の功績は大きく1987年シーズン終了から広島は背番号「3」を永久欠番として制定している。

多くの名選手が背負った背番号「3」

背番号「3」は長嶋選手をはじめ多くのスタープレーヤーが背負ってきた番号だ。今回取り上げた選手以外にも「安打製造機」
こと榎本喜八選手、清原和博選手、立浪和義選手、松中信彦選手とそれぞれの時代において名選手と呼ばれる人物が背負ってきた。

2017年現在、「3」を背負っている選手でも浅村選手、角中選手、松田選手、田中選手、梶谷選手らはすでに実績もありチームの顔と呼べる選手達だ。また、入団と同時にこの番号を与えられた高橋選手、大山選手、西浦選手らには球団から大きな期待を掛けられていることがわかる。

一方で背番号「3」を与えられた期待に応えられなければ数年で剥奪され、次代のスター候補生へ受け渡さなければならないこともある。プロ野球選手である以上、結果で示すのは当然のことではあるが、スター候補生は背番号「3」の重みとも戦わねばならないのだ。

日米のスーパースターである長嶋選手、ベーブ・ルース選手が背負ってきた背番号「3」から、今後も新たなスーパースターが生まれることを期待したい。

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