4文字の系譜は金メダリストに
昨年夏のリオデジャネイロ五輪で大ブレークしたアスリートと言えば、間違いなくこの2人でしょう。
バドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得した高橋礼華(あやか)、松友美佐紀の「タカマツ」ペア。その愛称は、昨年の流行語大賞の候補にもなりました。
「オグシオ」から始まった4文字ペアの愛称の系譜は、「スエマエ」「フジカキ」と続き、ついに金メダリストへと受け継がれました。
昨年夏のリオデジャネイロ五輪で大ブレークしたアスリートと言えば、間違いなくこの2人でしょう。
バドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得した高橋礼華(あやか)、松友美佐紀の「タカマツ」ペア。その愛称は、昨年の流行語大賞の候補にもなりました。
「オグシオ」から始まった4文字ペアの愛称の系譜は、「スエマエ」「フジカキ」と続き、ついに金メダリストへと受け継がれました。
筆者は「タカマツ」として会う前に、松友1人の時に最初に顔を合わせました。今からおよそ8年前のことです。
松友は徳島の中学を卒業した後、地元を離れて宮城の聖ウルスラ学院英智高校に進学。話を聞いたときは3年生で、学年が一つ上の高橋は卒業し、すでに社会人選手になっていました。
あどけなさの残る17歳でしたが、バドミントンの世界では超一流。すでに全国の選手から目標とされる存在でした。
高校2年生の時にシングルス、ダブルス、団体のすべての種目でインターハイ優勝。なぜ強いのか、周囲に話を聞くと、共通して返ってきたのがこの言葉でした。
「頭がいい」
実際、質問してみると、それは合点がいきました。
松友の身長は158センチ。決して大きくはありません。彼女に自分のプレーの特長を聞くと、そのマイナス要素をしっかりと意識していました。
「背がないから、相手の動きをよんで、速く動く」
考えが賢いから、プレーもクレバーになっている印象でした。
インターハイの後は、海外を転戦することになっていました。それに向けて言った決意も思い出されます。
「自分の力がどこまで通用するのか肌で感じたい」
3年後にはロンドン五輪が控えていましたが、すでに視線は2016年のリオデジャネイロ五輪に向かっていました。
「タカマツ」2人に、じっくりと話を聞いたのはそれから5年後です。高橋24歳、松友22歳の時でした。
その直前、タカマツは世界の強豪が集うスーパーシリーズファイルで初優勝し、ペア結成9年目にして、ついに世界ランキング1位も経験。タカマツが世界の頂点に立った直後でした。
世界一になって、注目を浴び始めた時。でも、世界一に対して、2人はとても謙虚に受け止めていました。
松友は冷静に答えました。「世界のトップで戦える力はついてきていますが、自分たちがトップにいるという考えにはなっていません」。
その理由を問うとこうでした。
「世界のトップは常に優勝しているイメージがありますが、自分たちは昨年、国際大会での優勝は2回だけですから」
高橋は世界一になったことを「まぐれなのかなと思う」と言い切りました。
こんな謙虚な姿勢だからこそ、リオ五輪での金メダルに到達できたのかもしれません。
2人がペアを組んだのは高橋が高校2年生、松友が高校1年生の時です。その時のことについて、2人が同じようなことを言っていたのが、印象的でした。
高橋は「違和感があった」と言いました。その理由は「ダブルスは先輩が引っ張るというイメージがあるけど、シングルスも私の方が弱くて、足を引っ張ると思っていました」。先輩なのに謙虚です。
シングルスでも戦っていた松友はこう思っていました。「先輩と組むということは、シングルスに加えてダブルスでも勝たないといけないということ。私も足を引っ張らないようにと思っていました」
2人の思いが同じというのが、そもそもペアに向いていたのかもしれません。
お互いに足を引っ張らないようにと思いながら組んだダブルス。でも、最初からしっくりきたというのです。
高橋は「楽しかった。松友が裏をかいたショットを打ち、私がしっかり決めるというのがすぐにできた。私は技術がある方じゃなく、パワーの選手でしたが、松友にいいところを引き出してもらいました」
松友は「私は、シングルスでは全力でスマッシュを打つ方ではなかった。でも、ダブルスだと、相手を崩して上がってきたシャトルを、先輩がどんどん決めてくれた。こんなに簡単に決まるんだって」
自分にはないものを、ペアを組む相手が持っていて、お互いを補完し合える関係だったということです。そして、それを2人はすぐに感じ取れた。金メダリストになる運命だったのかもしれません。(続く)