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【スポーツ×地域】第4回 日本のスタジアムを変えたマツダスタジアムとまちづくり①

2019 1/25 15:00藤本倫史
マツダスタジアム,ⒸShutterstock.com
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旧広島市民球場跡地と広島駅周辺地域の関係

前回は広島市と広島東洋カープの転換期について述べた。2004年に球界再編問題と旧広島市民球場の老朽化問題が重なり、新球場の建設へつながっていく。その歴史を振り返りながら、マツダスタジアムとまちづくりの関係を述べて最終回としたい。

当時、旧広島市民球場の建て替え案が市民やファンの中で、根強く支持されていた。しかし、旧市民球場の建替えを実現するには技術的制約要因や困難が多く、広島市の厳しい財政状況などが判明。そのため、現在地での立替は極めて困難となり、広島駅近くにある東広島貨物駅貨物ヤード移転跡地の再利用をかねての建設計画がもちあがった。

この時期、研究の一環として大学で様々な取材を行っていた私も、政治のしがらみや思惑から色々と憶測した。

広島駅周辺の再開発が進んでいなかったのが、再利用計画の理由の1つだった当時の広島市。旧広島市民球場跡地周辺の紙屋町や八丁堀周辺の市街地と広島駅周辺を拠点とし、それぞれを機能させるという2大拠点構想を考えていた。

おそらく、広島市はマツダスタジアムがここまでの影響力を持つ地域資源になるとは考えていなかった。だが、構想のカンフル剤として秋葉前市長が強力なリーダーシップを発揮し、経済界を巻き込み、新球場の建設計画が急速に進んでいった。

マツダスタジアムの特長

2007年11月からはじまった球場建設は、球団と広島市が連携を取り、応援団やファンの意見も取り入れ完成した。

当初は天候に左右されないドーム球場にするという案もあったが、最終的には屋外球場として建設されることになった。これは、この球場をただの野球場ではなく、まちづくりにも寄与できる「ボールパーク構想」を実現する屋外球場にしたいと考えていた球団が、球団職員をアメリカ視察へ行かせたためだ。

そうして誕生したマツダスタジアム。概要については既に皆さんもご存知かもしれないが、簡単に述べる。

表1)マツダスタジアムと旧広島市民球場の比較


固定イスの数は30,350席、立ち見も踏まえて最大で33,000人の収容力がある。表1)を見てもわかるように、マツダスタジアムは左右非対称をベースとした作りになっており、グランドのサイズは左翼101m、中堅122m、右翼100mである。また、レフトスタンドの間からは電車が走り、JR山陽本線や山陽新幹線の車窓からも球場内が見えるような構造にしている。

「勝敗に左右されない」球団運営に活かされる器

また、毎年球場を「変化させる」ことができるのも特長。先日、この球場の設計に携わった有識者に話を聞くとことができた。その際、「変化させる」と「コンコースを一周する」ができる循環機能があることが、このスタジアムの大きな特長であると仰っていた。

マツダスタジアムと言えば、寝そべりシートや焼き肉ができるパーティー席が有名。しかし、これに留まらず、お化け屋敷やスポーツバーなど、毎年、座席や設備を変えている。まさにこれが「勝敗に左右されない」という球団方針の表れであり、運営やリピーターの創出にもつながっている。

その結果、優勝せずとも2009年開設時の観客動員数である187万3046人から150万人を切ることはなく、カープ女子ブーム到来の2014年の動員数は190万4781人、2015年は211万266人と年間200万人以上を突破。2018年の平均観客動員数は、収容定員数ほぼ一杯の31,001 人となった。

現在はチケットの転売問題がニュースになる程、日本で一番チケット入手が困難なスタジアムになっている。マツダスタジアムは球団の活性化だけでなく、広島市のまちづくりにも大きく影響を及ぼしているといえる。

次回はマツダスタジアムと広島市のまちづくりについて述べていく。

《ライタープロフィール》 藤本 倫史(ふじもと・のりふみ) 福山大学 経済学部 経済学科 講師。広島国際学院大学大学院現代社会学研究科博士前期課程修了。大学院修了後、スポーツマネジメント会社を経て、プランナーとして独立。2013年にNPO法人スポーツコミュニティ広島を設立。現在はプロスポーツクラブの経営やスポーツとまちづくりについて研究を行う。著書として『我らがカープは優勝できる!?』(南々社)など。