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井上尚弥が目指す4階級制覇を史上初めて達成した“ヒットマン”ハーンズの足跡

2023 4/5 06:00SPAIA編集部
現役時代のトーマス・ハーンズ,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

井上尚弥がフルトンに勝てば世界で23人目の偉業

プロボクシングのWBOスーパーバンタム級1位・井上尚弥(29=大橋)が7月25日、東京・有明アリーナでWBC・WBO同級統一王者スティーブン・フルトン(28=アメリカ)に挑戦する。

一度は「5月7日・横浜アリーナ」と発表されたが、井上が練習中に拳を痛めたため延期。2カ月半後にずれ込んだ。井上が勝てば井岡一翔(34=志成)に続いて日本で2人目、世界では23人目の4階級制覇となる。

長いボクシングの歴史上で達成者はわずか22人。史上初めて達成したのがトーマス・ハーンズ(アメリカ)だった。高い身長と長いリーチでKOの山を築き、「ヒットマン(暗殺者)」と呼ばれたハーンズの足跡を振り返る。

レナードとのウェルター級統一戦に敗れたハーンズ

アマチュア時代は155勝(12KO・RSC)8敗の成績を残したが、五輪には出場していない。ノックアウトの少なさから分かる通り、恵まれた身長とリーチを活かした戦法でパワーはなかった。

しかし、1977年のプロ転向後は類まれなパンチャーに変身を遂げる。1980年8月、11度の防衛中10度がKO勝ちというハードヒッターのWBAウェルター級王者ホセ・クエバス(メキシコ)に挑戦し、たった2回でノックアウト。ウェルター級(66.68キロ)では群を抜いて高い身長185センチの22歳が、無敗で世界王座を獲得した。

同じ頃、WBCの対立王者となっていたのがシュガー・レイ・レナード(アメリカ)。モントリオール五輪金メダリストからプロ転向し、無敗のままウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)から世界ウェルター級王座を強奪したスターだ。

レナードはロベルト・デュラン(パナマ)に一度は敗れたもののリベンジして王座奪回し、1981年6月にはアユブ・カルレ(ウガンダ)からWBCスーパーウェルター級王座を奪取して2階級制覇を果たしていた(同王座は返上)。

当時はWBAとWBCの2団体しかなく、一体どちらが強いのかファンの関心の的だった。1981年9月16日、アメリカ・ラスベガス。32戦全勝(30KO)のWBA王者ハーンズと30勝(21KO)1敗のWBC王者レナードの世界ウェルター級王座統一戦がついに実現した。

試合はハーンズが長いリーチを活かしてポイントでリードし、レナードは左目を腫らしていたが、13回に形勢逆転。ハーンズの脆い顎に右をクリーンヒットしたレナードが怒涛のラッシュでダウンを奪う。危うくリングから転落しかけたハーンズは、グローブをロープに引っかけて辛くも立ち上がり、13回終了のゴングに救われる。

続く14回もダメージの残るハーンズは、レナードのパンチを顎に受けてフラフラと力なく後退し、ロープに詰まって攻め込まれたところでレフェリーが試合を止めた。

屈辱の14回TKO負け。負け知らずだったハーンズのボクシング人生は、ここから栄光と苦難が交互に訪れるジェットコースターのような大きな波に吞み込まれる。

ロルダンを倒して史上初の4階級制覇

1982年12月には、史上最年少の17歳6カ月で世界王者となり、レナードとも戦ったベニテスに判定勝ちしてWBCスーパーウェルター級王座を獲得。ハーンズは2階級制覇を果たした。

1985年4月には統一ミドル級王座を10度防衛していたマービン・ハグラー(アメリカ)に挑んだが、3RTKOで敗れて3階級制覇に失敗。その後再起すると、1987年3月にはさらに階級を上げ、WBCライトヘビー級王者デニス・アンドリュース(イギリス)に10回TKO勝ちして3階級制覇を果たした。

リミット66.68キロのウェルター級から69.85キロのスーパーウェルター級、79.38キロのライトヘビー級を制したハーンズが、その間にある72.57キロのミドル級王座を狙うのは当然だった。

ライバルのレナードがハグラーを破って奪ったミドル級王座を返上。1987年10月、空位となったWBCミドル級王座決定戦に出場したハーンズは、ファン・ドミンゴ・ロルダン(アルゼンチン)に4回KO勝ちし、ついに史上初の4階級制覇を達成した。

レナードとの再戦はダウン奪うもドロー

この頃、ミドル級とライトヘビー級の間に76.20キロのスーパーミドル級が新設された。ハーンズにとっては5階級制覇の大チャンス。WBAスーパーミドル級王者フルヘンシオ・オベルメヒアス(ベネズエラ)への挑戦が決まったが、王者のケガでキャンセルとなった。

一方、WBCもWBAに遅れてスーパーミドル級を新設。初代王座決定戦を当時のライトヘビー級王者ドン・ラロンデ(カナダ)とレナードで1988年11月7日に争うことになった。WBCライトヘビー級とスーパーミドル級のダブルタイトルマッチとして行われ、レナードが勝てば一気に2階級のベルトを獲得して5階級制覇となる異例の措置。WBCはレナードを優遇しているという批判もあった。

慌てたのがハーンズ。「史上初」の5階級制覇の栄誉をライバルに譲りたくないと、新設されたばかりの統括団体WBOで、初代スーパーミドル級王座決定戦に臨むことになった。なんと1988年11月4日、レナード戦の3日前に行われるタイトルマッチで「史上初」の称号にこだわったのだ。

結果はジェームス・キンチェンにダウンを奪われながらも判定勝ちで、無事に「史上初」の5階級制覇を達成。しかし、当時は新興団体のWBO王座に価値があるのか疑問を呈する声も少なくなかった。

3日後にはレナードがラロンデを倒して5階級制覇。宿命のライバルは、1989年6月にWBC・WBOスーパーミドル級王座統一戦で8年ぶりに再戦することになる。

今度はハーンズが2度のダウンを奪うなど優勢に進めたが、結果はドロー。ハーンズはレナードと2度対戦して1敗1分けだった。

その後はバージル・ヒルを下してWBAライトヘビー級王座を獲得し、WBUやIBOといったマイナー団体のクルーザー級王座も奪取。これらも含めれば6階級制覇したことになるが、現在認められている主要4団体では5階級制覇としてカウントされている。

生涯戦績61勝(48KO)5敗1分け。稀有な才能を持ちながら、グラスジョーのためここ一番で敗れた悲運のスターだった。特にレナードに一度も勝てなかったことが、長く現役を続けたモチベーションだったのかも知れない。

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