強すぎるゆえライバル不在の井上尚弥
プロボクシングの世界バンタム級王座を4団体統一した井上尚弥。24戦全勝(21KO)のパーフェクトレコードを誇る「モンスター」は強すぎるあまり、ライバルがいない。防衛せずに4本のベルトを返上してスーパーバンタム級に上げる意向を示したのも強い相手を求めてのことだ。
ただ、スーパーバンタム級に上げても「ライバル」と呼べるほどの存在が見つかるかと言えば疑問が残る。1階級違えば体格もパワーも違うとはいえ、現在の世界王者やランカーを見渡しても井上を負かす可能性のある相手は多くないだろう。
身長165センチとバンタム級でも背が高くない井上にとっては、2階級上のフェザー級まで上げれば体格差のハンデも大きくなる。逆に言うと、フェザー級まで上げない限り負けないのではないか。4月で30歳になるが、現状ではスピードや動体視力の衰えもないだけに、全勝街道は当面続くと見る。
ライバル不在について井上には何の責任もない。己の精神と技術を磨き続けた結果、誰も届かない頂きに到達しただけだ。ただ、どんな競技でもそうだが、ライバルがいるからこそ観る者がより熱狂することも確か。「不幸中の幸い」という言葉があるが、井上にとってライバル不在は「幸い中の不幸」と言えるかも知れない。
史上最高の名勝負だったウェルター級王座統一戦
これまで世界のリングでは数多くのライバル対決があったが、1980年代の中量級スターウォーズはその代表例のひとつだ。シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラー、ロベルト・デュランが覇権を争い、名勝負は本場ラスベガスのファンを熱狂させた。
中でもレナードとハグラーは戦った階級もほぼ同じで、ともに5階級制覇したレジェンド。しかも5階級制覇達成は3日しか違わない終生のライバルだった。
レナードは1956年5月17日生まれ、ハーンズは1958年10月18日生まれと2歳違い。1976年のモントリオール五輪ライトウェルター級で金メダルに輝いたスター選手のレナードを、ハーンズがいつも追いかけていたかのようなボクサー人生だった。
最初に世界タイトルを獲ったのはレナード。1979年11月、ウィルフレド・ベニテスに15回TKO勝ちでWBC世界ウェルター級タイトルを奪取した。ハーンズは翌1980年8月に、11度防衛のうち10度をKOで飾っていたメキシコの強打者ホセ・クエバスをたった2回で倒し、WBA世界ウェルター級王者となった。
当時のボクシング界を統括する団体はWBAとWBCのみ。IBFもWBOもなかった時代だ。レナードはライト級から上げてきた「石の拳」ロベルト・デュランに苦杯を喫したが雪辱して王座を奪回。両雄はウェルター級の対立王者として何かと比較されていた。
1981年9月、ついに2人は世界ウェルター級王座統一戦で激突する。25歳のレナードは30勝(21KO)1敗、22歳のハーンズは32戦全勝(30KO)。世界最強の2人が戦えばどちらが勝つのか予想は難しく、戦前から注目度は高かったが、試合は予想以上に白熱した歴史に残るファイトとなった。
身長186センチ、リーチ198センチと体格で上回るハーンズは、「デトロイトスタイル」と呼ばれたフリッカージャブでペースをつかむが、中盤からレナードが反撃。13回、ハーンズの速くて強いフリッカージャブを浴びて左目を腫らしたレナードが渾身の右でハーンズをぐらつかせ、怒涛のラッシュでついにダウンを奪う。
辛くもゴングに救われたハーンズだったが、いったん失った流れは取り戻せない。14回にはレナードが右ロングフックをハーンズの顎にヒットしてふらつかせると、両拳を天に突き上げた後に猛ラッシュ。ロープに詰めて一方的に攻撃したところでレフェリーが試合を止めた。
レナードvsハーンズ第2戦はドロー
その後、ハーンズは1985年4月に3階級制覇を懸けて統一世界ミドル級王者マービン・ハグラーに挑戦したが3回TKO負け。1987年3月7日にはさらに階級を上げてWBC世界ライトヘビー級王者デニス・アンドリュースを破って3階級制覇を達成した。
一方、網膜剥離で引退していたレナードは1987年4月に現役復帰し、ハグラーに判定勝ちで3階級制覇。同年10月にはレナードが返上して空位となったWBC世界ミドル級王座をハーンズがファン・ドミンゴ・ロルダンと争い、4回KOで史上初の4階級制覇を果たした。
1988年11月4日にはハーンズがジェームス・キンチェンにダウンを奪われながら判定勝ちし、新設されたWBOの世界スーパーミドル級王座を奪って史上初の5階級制覇。3日後の同7日には、レナードがWBC世界ライトヘビー級王者ドン・ラロンデに9回TKO勝ちし、スーパーミドル級王座とライトヘビー級王座を一挙に獲得して5階級制覇した。
当時、ハーンズは新設されたばかりのWBO王座、レナードはライトヘビー級のウェイトで戦っていない(ラロンデ戦はスーパーミドル級のウェイト)ため、どちらも5階級制覇と呼ぶには説得力不足だという批判もあった。
そんな両雄が再び拳を交えたのが1989年6月、WBC・WBO世界スーパーミドル級王座統一戦だった。試合はハーンズが2度のダウンを奪いながらも引き分け。判定に不服を示すブーイングがラスベガスのシーザース・パレス特設リングに広がった。
生涯戦績はレナードが36勝(26KO)3敗1分け、ハーンズが61勝(48KO)5敗1分け。スマートでスター性抜群のレナードと、ハードパンチャーながら顎のもろさを併せ持つハーンズは、あまりにも好対照なスターだった。
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