プロ野球における背番号49の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号49の名選手たち


2017年現役選手の背番号「49」

2017年各球団の背番号「49」は下記の選手が背負っていた。


  • 日本ハム:公文克彦選手(投手)
  • ソフトバンク:古谷優人選手(投手)
  • ロッテ:チェン・グァンユウ選手(投手)
  • 西武:上本達之選手(捕手)
  • 楽天:アマダー選手(内野手)
  • オリックス:澤田圭佑選手(投手)
  • 広島:天谷宗一郎選手(外野手)
  • 巨人:石川慎吾選手(外野手)
  • DeNA:クライン選手(投手)
  • 阪神:今成亮太選手(内野手)
  • ヤクルト:渡邉大樹選手(内野手)
  • 中日:アラウホ選手(投手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:1球団
内野手:3球団
外野手:2球団


背番号「49」は投手、野手ともに使用されておりポジション的な特徴はない。そのなかで目立つのは外国人選手の着用の多さだ。「4」や「9」は日本では忌み数とされ避ける傾向があり、実際、阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)では1936年の創設時から1973年まで使用してこなかった。

最後の30勝投手でもある皆川睦雄選手

2017年現在、プロ野球市場最後の30勝投手となっている皆川睦雄選手。1950年代、1960年代に南海ホークスの主力選手として活躍した大投手だ。1954年南海に入団すると3年目の1956年に11勝をマーク。そこから8年連続で2桁勝利を達成した。

入団当初から背番号「49」を背負っていたが、1961年に「22」へと変更し引退する1971年までその番号を背負っている。同時期に南海のエースとして活躍した杉浦忠選手と同じくアンダースローでもあり、ストレートの速さではなくシンカーとのコンビネーション、制球力を武器に活躍した。
1968年には、31勝をマークしプロ入り15年目にして初めて最多勝のタイトルを獲得した。20勝以上を挙げたのも初めてだった。

しかし翌1969年からは2桁勝利をマークすることもできず、1971年に現役を引退。通算221勝139敗、防御率2.42という成績を残し野球殿堂入りも果たしている。
山形県米沢市出身の皆川選手は2005年に死後、山形県県民栄誉賞を受賞し米沢市営球場が皆川球場へと改称されている。

陽気なキャラクターでファンに愛されたクロマティ選手

読売ジャイアンツ史上最強の助っ人とも呼ばれているウォーレン・クロマティ選手。背番号「49」の代表的選手でもある。また、成績だけではなく陽気なキャラクターもあり、多くのプロ野球ファンからも愛されていた。
とくに、観客席に向かって行う『バンザイコール』は定番にもなった。現在でも気に入っているようで2017年に来日した際、解説した日本公式のtwitterでもハッシュタグで #banzaibanzaibanzai を使用していた。

クロマティ選手は1984年から1990年までを巨人でプレー。1989年には打率.378(439打数166安打)で首位打者にも輝いた。
この年のクロマティ選手は夏場まで打率4割をキープ。規定打席到達時点で4割を超えており残り試合を欠場すれば、史上初の4割打者が誕生していた。しかし、その後も試合に出場し続け、最終的な打率は4割を割ってしまったのである。
また、敬遠された球をスイングしサヨナラ安打にしたこともあった。このようにクロマティ選手は記録、記憶両方に残る選手だったのだ。

背番号「49」では一軍出場なしだったラルフ・ブライアント選手

近鉄バファローズで3度の本塁打王を獲得するなど、伝説的な長距離砲でもあるラルフ・ブライアント選手は、1988年途中に中日ドラゴンズから近鉄へ移籍。近鉄では背番号「16」として1995年までプレーをした。
そのブライアント選手が、一軍として出場機会がなかった中日で背番号「49」を背負っていた。ブライアント選手が中日に加入した1988年当時のプロ野球では、一軍で外国人選手を起用できるのはふたりまでだった。

既に中日の外国人枠は、郭源治選手とゲーリー・レーシッチ選手の2選手で埋まっていため、ブライアント選手は二軍での調整が続いていたのだ。 一方でこの年、近鉄は外国人選手のリチャード・デービス選手が大麻を不法所持していたことで逮捕となり退団したため、緊急補強選手を探していた。
そのとき、目にとまったのがブライアント選手だった。シーズン半ばではあったが、中日・近鉄両球団の金銭トレードは成立し、ブライアント選手は近鉄へと移籍する。
そのため、背番号も「49」から「16」へと変更。一軍で「49」を背負ったブライアント選手を見る機会はなかった。

ナックルボーラーのウェイクフィールド選手

メジャーリーグを代表するナックルボーラーでもあったティム・ウェイクフィールド選手。1992年にピッツバーグ・パイレーツでデビューし、2011年にボストン・レッドソックスで引退するまで背番号「49」を背負い続けた。
投手タイトルこそないものの、ナックルボーラーとして通算200勝を達成するなど歴史に名を残している。

不規則に変化するナックルボールを捕球するには技術がいり、専属捕手が必要でもあった。専属捕手が移籍するとバッテリーエラーが増え、移籍した選手を再び呼び戻すこともあったほどだ。
ウェイクフィールド選手が現役引退後は、R.A.ディッキー選手がナックルボーラーとして活躍。ウェイクフィールド選手が受賞できなかったサイヤング賞を2012年に手に入れた。

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中地区
西地区
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
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