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助っ人ナンバーから投手番号へ? プロ野球における背番号49の選手たち

2023 8/10 11:00SPAIA編集部
広島の戸根千明、DeNAのJ.B.ウェンデルケン、ソフトバンクの松本晴,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2023年現役選手の背番号「49」

かつて巨人のクロマティが背負っていた印象の強い背番号49。2023年各球団の「49」は下記の選手が背負っている。

オリックス:渡邉大樹外野手
ソフトバンク:松本晴投手
西武:ブランドン内野手
楽天:西垣雅矢投手
ロッテ:本前郁也投手
日本ハム:山田遥楓内野手

ヤクルト:成田翔投手
DeNA:J.B.ウェンデルケン投手
阪神:大竹耕太郎投手
巨人:アルベルト・バルドナード投手
広島:戸根千明投手
中日:伊藤康祐外野手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:8球団
捕手:0球団
内野手:2球団
外野手:2球団

2023年は投手が8球団で最多となっている。現役ドラフトで阪神に加入した大竹耕太郎や、亜細亜大からソフトバンクにドラフト5位で入団した松本晴など左腕の着用が目立つ。

「4」や「9」は日本では忌み数として避ける傾向があり、実際、阪急(現オリックス)では1936年の創設時から1973年まで使用していなかった過去がある。今季もDeNA・ウェンデルケン、巨人・バルドナードと2人の新外国人選手が着用している。

ただ、最近は日本人選手が背負う例も増えている。広島はエディ・ディアスやジョン・ベイルら外国人が背負ったこともあったが、天谷宗一郎や正隨優弥が受け継ぎ、2023年からは戸根千明が着用。オリックスでも入団当時の後藤光尊や中山慎也、大阪桐蔭高時代に藤浪晋太郎の控えだった澤田圭佑らが背負い、今季から渡邉大樹が着用している。

次章以降では、背番号「49」にまつわる選手や球団の歴史などを紹介していく。

最後のシーズン30勝投手・皆川睦雄

プロ野球史上最後のシーズン30勝投手となっている皆川睦雄は1950年代から60年代にかけて南海の主力として活躍した大投手だ。

1954年南海に入団すると3年目の1956年に11勝をマーク。そこから8年連続で2桁勝利を挙げた。1968年には、31勝をマークしプロ入り15年目にして初めて最多勝のタイトルを獲得。20勝以上を挙げたのも初めてだった。

入団当初から背番号49を背負ったが、1961年に「22」へ変更。引退する1971年まで背負った。同時期に南海のエースとして活躍した杉浦忠と同じアンダースローで、ストレートとシンカーとのコンビネーション、制球力を武器にしていた。

1969年からは成績が下降線を辿り、1971年に現役を引退。通算221勝139敗、防御率2.42の成績を残し、野球殿堂入りも果たしている。2005年の死後、輝かしい功績を称えて、出身地の山形県は県民栄誉賞、米沢市は市民栄誉賞を贈呈し、米沢市営球場は「皆川球場」に改称された。

陽気なキャラクターでファンに愛されたクロマティ

巨人史上最強の助っ人とも呼ばれるウォーレン・クロマティは、背番号49の代表的選手でもある。成績だけではなく陽気なキャラクターもあり、多くのプロ野球ファンから愛されていた。

クロマティは1984年から1990年までを巨人でプレー。特に1989年は夏場まで打率4割をキープし、シーズン規定打席到達時点で4割を超えており、史上初の4割打者誕生が期待された。

残り試合を欠場すれば実現できたが、その後も試合に出場し続け、最終的には打率.378(439打数166安打)で首位打者のタイトルを獲得した。

また、敬遠球をスイングしてサヨナラ打にしたこともあれば、グラウンドから観客席に向かって行う「万歳三唱」は定番になった。まさに記録にも、記憶にも残る助っ人だった。

背番号49では一軍出場なしだったラルフ・ブライアント

近鉄で優勝に貢献するなど伝説的な長距離砲でもあるラルフ・ブライアントは、1988年途中に中日から移籍。近鉄では背番号16で1995年までプレーした。

ブライアントが外国人枠の関係で一軍出場できなかった中日で背負っていたのが背番号49。1988年当時のプロ野球では、一軍で外国人選手を起用できるのは2人までだった。

既に中日の外国人枠は、郭源治とゲーリー・レーシッチの2選手で埋まっていため、ブライアントは二軍での調整が続いていたのだ。一方、近鉄は助っ人外国人のリチャード・デービスが大麻不法所持で逮捕されて退団したため、緊急補強できる選手を探していた。

そのとき、目にとまったのが二軍で活躍するブライアントだった。シーズン中ではあったが、中日・近鉄両球団の金銭トレードが成立し、ブライアントは近鉄へ移籍した。

近鉄では3度の本塁打王に輝くなど、NPB通算259本塁打をマーク。球史に残る名助っ人となった。

ナックルボーラーのウェイクフィールド

メジャーリーグを代表するナックルボーラーでもあったティム・ウェイクフィールド。1992年にパイレーツでメジャーデビューし、2011年にレッドソックスで引退するまで背番号49を背負い続けた。

不規則に変化するナックルボールを捕球するには技術を持つ専属捕手が必要だった。専属捕手が移籍するとバッテリーエラーが増え、移籍した選手を再び呼び戻すこともあったほどだ。タイトルこそないものの、ナックルボーラーとして通算200勝を達成するなど歴史に名を残している。

ウェイクフィールドが現役引退後は、R.A.ディッキーがナックルボーラーとして活躍。ウェイクフィールドが受賞できなかったサイヤング賞を2012年に獲得した。

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