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プロ野球における背番号49の名選手たち

2017 12/26 15:14mono
ベースボールプレイヤー
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陽気なキャラクターでファンに愛されたクロマティ選手

読売ジャイアンツ史上最強の助っ人とも呼ばれているウォーレン・クロマティ選手。背番号「49」の代表的選手でもある。また、成績だけではなく陽気なキャラクターもあり、多くのプロ野球ファンからも愛されていた。
とくに、観客席に向かって行う『バンザイコール』は定番にもなった。現在でも気に入っているようで2017年に来日した際、解説した日本公式のtwitterでもハッシュタグで #banzaibanzaibanzai を使用していた。

クロマティ選手は1984年から1990年までを巨人でプレー。1989年には打率.378(439打数166安打)で首位打者にも輝いた。
この年のクロマティ選手は夏場まで打率4割をキープ。規定打席到達時点で4割を超えており残り試合を欠場すれば、史上初の4割打者が誕生していた。しかし、その後も試合に出場し続け、最終的な打率は4割を割ってしまったのである。
また、敬遠された球をスイングしサヨナラ安打にしたこともあった。このようにクロマティ選手は記録、記憶両方に残る選手だったのだ。

背番号「49」では一軍出場なしだったラルフ・ブライアント選手

近鉄バファローズで3度の本塁打王を獲得するなど、伝説的な長距離砲でもあるラルフ・ブライアント選手は、1988年途中に中日ドラゴンズから近鉄へ移籍。近鉄では背番号「16」として1995年までプレーをした。
そのブライアント選手が、一軍として出場機会がなかった中日で背番号「49」を背負っていた。ブライアント選手が中日に加入した1988年当時のプロ野球では、一軍で外国人選手を起用できるのはふたりまでだった。

既に中日の外国人枠は、郭源治選手とゲーリー・レーシッチ選手の2選手で埋まっていため、ブライアント選手は二軍での調整が続いていたのだ。 一方でこの年、近鉄は外国人選手のリチャード・デービス選手が大麻を不法所持していたことで逮捕となり退団したため、緊急補強選手を探していた。
そのとき、目にとまったのがブライアント選手だった。シーズン半ばではあったが、中日・近鉄両球団の金銭トレードは成立し、ブライアント選手は近鉄へと移籍する。
そのため、背番号も「49」から「16」へと変更。一軍で「49」を背負ったブライアント選手を見る機会はなかった。

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