プロ野球における背番号45の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号45の名選手たち


2017年シーズン現役選手の背番号「45」

2017年シーズン各球団の背番号「45」は下記の選手が背負っていた。

日本ハム:平沼翔太選手(内野手)
ソフトバンク:谷川原健太選手(捕手)
ロッテ:宗接唯人選手(捕手)
西武:本田圭佑選手(投手)
楽天:菅原秀選手(投手)
オリックス:飯田大祐選手(捕手)
広島:桒原樹選手(内野手)
巨人:今村信貴選手(投手)
DeNA:綾部翔選手(投手)
阪神:藤谷洸介選手(投手)
ヤクルト:土肥寛昌選手(投手)
中日:杉山翔大選手(捕手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:4球団
内野手:2球団
外野手:0球団

2017年シーズンを見てもバッテリーの着用が多い背番号「45」。特定のポジションによるイメージはあまりない。日本プロ野球界において目立った成績を残した選手がいないことに由来する。

2017年に着用している選手では北海道日本ハムファイターズの平沼翔太選手、広島東洋カープの桒原樹選手、横浜DeNAベイスターズの綾部翔選手と若手有望株が同番号を背負っており、今後の躍進に期待が掛かっている。

また、2017年に新人ながら一軍で活躍した東北楽天ゴールデンイーグルスの菅原秀選手も「45」を自身の番号として憶えてもらえるような活躍を見たいものだ。

本塁打王に輝いたランス選手

本塁打か三振かという豪快なスイングが魅力だったランス選手。1987年に広島へ新外国人選手として加入した。持ち前の長打力を発揮し、日本プロ野球史上2位となる6試合連続本塁打を達成し、39本塁打で来日1年目にして本塁打王を獲得する。
また、打率.218(403打数88安打)と規定打席到達者の中でワーストを記録。三振数114はリーグワーストとなっており、まさに「本塁打か三振」という打撃を見せてくれた。

翌1988年は不調が響きシーズン途中に自由契約となり帰国。しかし、79試合で19本塁打を放つなどパワーは健在だった。その後、広島において背番号「45」で大きな実績を残している選手はいない。ランス選手に次ぐ一発の魅力ある打者が出てくることに期待が掛かる。

オリックスで活躍後にタレントへ転身したパンチ佐藤選手

1989年にドラフト1位で熊谷組からオリックス・ブルーウェーブへと入団した佐藤和弘選手。1994年に仰木彬監督の発案もありイチロー選手(現・マーリンズ)とともに、佐藤和弘から「パンチ」と登録名を変更したことで有名だ。その佐藤選手は、1990年から「パンチ」へと登録名を変更する直前の1993年まで「45」を背負っていた。

ドラフト1位で社会人から入団し、即戦力候補だった佐藤選手。ルーキーイヤーの1990年には42試合の出場ながら打率.331(133打数44安打)と結果を残す。しかし、2年目以降に伸び悩み1993年はわずか3試合の出場に終わっていた。

登録名を心機一転「パンチ」として臨んだ1994年も、2試合の出場で打率.273(22打数6安打)に終わり、シーズン終了後に退団。以降はタレントに転身しながらクラブチームでプレーをしていた。

松井秀喜選手とワールドシリーズで対戦したペドロ・マルティネス選手

メジャーリーグにおいて近年活躍した背番号「45」の選手といえば、ペドロ・マルティネス選手の名前が挙げられる。ドミニカ出身のマルティネス選手は、投手で20歳にしてロサンゼルスドジャースでデビューを果たした。2年目には主に中継ぎとして起用され、65試合に登板。10勝5敗の成績を残している。
その後、モントリオールエクスポズ、ボストンレッドソックス、ニューヨークメッツ、フィラデルフィアフィリーズと渡り歩き通算219勝をマークした。背番号はエクスポズにおける2年間(1994年、1995年)を除いて「45」を着用した。

日本人にとってなじみ深いのが2009年のワールドシリーズだろう。ニューヨークヤンキースとフィリーズの間で争われたこのシリーズ。マルティネス選手はヤンキースの松井秀喜選手に2本塁打を浴びたのだ。結局、このシーズンでマルティネス選手は現役を引退。2015年に野球殿堂入りを果たしている。同年にレッドソックスで背番号「45」は永久欠番として制定された。

また、2006年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にもドミニカ代表として出場を果たしている。

その他のメジャーリーガーではボブ・ギブソン選手が有名なところだ。セントルイスカージナルスでメジャーデビュー2年目に背番号「45」となると引退まで番号は変わらなかった。ギブソン選手はカージナルス一筋17年間で251勝174敗の成績を残した大投手でもあり、1981年にはアメリカ野球殿堂入りも果たしている。
また、1968年にはメジャーリーグ史上第3位となる防御率1.12を記録し、リーグ優勝に貢献している。ギブソン選手が背負った、この背番号「45」は引退と同時にカージナルスの永久欠番にもなっている。

西武の背番号「45」

1981年に、サンフランシスコジャイアンツから西武ライオンズへとやってきたテリー選手。前年もメジャーリーグで118試合に出場し、打率.296(321打数95安打)をマークしているバリバリのメジャーリーガーだ。

来日1年目から打率.316(469打数148安打)、22本塁打、100打点の成績と期待に応えてくれた。3年間西武に在籍し打率.289(1407打数406安打)、85本塁打、280打点と結果を残している。同時期に西武へやってきていたスティーブ選手とともに1982年、1983年の日本一連覇に大きく貢献した。
1984年からは再びメジャーリーグへ戻り、ロサンゼルスドジャースでプレー。まさに、キャリアのなかでベストの状態の時に日本へとやってきたのだ。

その、テリー選手はジャイアンツ、西武、ドジャースと3球団で背番号「45」を着用。他の番号を背負ったのは、メジャーデビューを果たしたニューヨークヤンキースに所属した3年間のみだった。

そのテリー選手の後に西武で背番号「45」を着用したのが大久保博元選手だ。1984年ドラフト1位で入団すると同番号を与えられ、読売ジャイアンツへ移籍する1992年まで着用することになる。以降は7人の選手を経て本田圭佑選手が着用中。投手ではあるが、テリー選手、大久保選手の実績を超える活躍に期待したい。

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