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12球団とも投手!プロ野球における背番号47の選手たち

2020 4/10 21:07SPAIA編集部
ソフトバンク・工藤公康監督ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「47」

2020年各球団の背番号「47」は下記の選手が背負っている。

西武:松岡洸希投手
ソフトバンク:髙橋純平投手
楽天:渡邊佑樹投手
ロッテ:田中靖洋投手
日本ハム:鈴木健矢投手
オリックス:海田智行投手
巨人:藤岡貴裕投手
DeNA:砂田毅樹投手
阪神:川原陸投手
広島:山口翔投手
中日:笠原祥太郎投手
ヤクルト:高橋奎二投手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:12球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

2020年は全12球団で投手が背番号「47」を着用している。10番台以外でここまで偏っている番号も珍しい。やはり通算224勝左腕の工藤公康(現ソフトバンク監督)のイメージが強いからだろう。

ソフトバンクの高橋純平(2015年ドラフト1位)、ヤクルトの高橋奎二(2015年ドラフト3位)、広島の山口翔(2017年ドラフト2位)ら期待の若手が背負うことも多い。

26年間にわたり背番号「47」を背負った工藤公康

2017年から昨年まで日本シリーズ3連覇を果たしたソフトバンクの工藤公康監督。現役時代はダイエーに移籍した1995年、翌1996年(背番号21)と西武へ再び戻った2010年(背番号55)を除き、背番号「47」を背負い続けた。

1986年に11勝(5敗)をマークすると、引退する2010年までに通算13度の2桁勝利を記録。224勝142敗の成績を残し、名球会入りも果たしている。工藤の長きにわたる活躍で、「47」は左腕のイメージが定着したと言えるだろう。

西武、ダイエー、巨人、横浜、西武と4度の移籍をした工藤は29年間の現役生活を送ったが、そのうち26年間を「47」で過ごしたことになる。その後、解説者などを経て2015年からソフトバンクの監督に就任。1年目に日本一を達成し、翌2016年は2位、2017年から3年連続日本一と、監督としても球史に名を刻むこととなった。

9年連続60試合登板を果たした山口鉄也

巨人で2000年から2006年まで背番号「47」を背負った工藤が横浜へ移籍し、その後2007年の松本哲也を挟んで、2008年から山口鉄也が背負った。

山口は2005年育成ドラフトで巨人に入団。2007年シーズン途中に支配下登録されると、一軍で32試合に登板し、翌2008年には67試合で11勝2敗、防御率2.32の好成績を残して新人王に輝いた。これは育成ドラフト出身としては初の快挙だった。

2009年には第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表にも選出され、2016年までプロ野球記録となる9年連続60試合以上に登板。そのうち3度、最優秀中継ぎ投手(2009年、2012年、2013年)のタイトルを獲得し、リーグを代表する中継ぎ左腕となった。通算273ホールドはセ・リーグ記録となっている。

「精密機械」こと小山正明

プロ野球史上3位の320勝を挙げた小山正明。阪神、東京(現ロッテ)、大洋(現DeNA)の3球団でプレーし、21年間の現役生活で1958年から1973年までの16年間は背番号「47」で過ごしている。

小山は1963年に阪神から東京へトレードで移籍。村山実との両輪だった小山と、「ミサイル打線」の中核を担っていた山内一弘の交換トレードは「世紀のトレード」と言われ、大きな話題となった。移籍初年度に30勝をマークし、自身初の最多勝を獲得。山内は31本塁打を放つ活躍で、トレードは大成功となった。

現役引退後は複数球団でコーチとして指導。2001年には野球殿堂入りも果たしている。

ブレーブスの黄金時代を支えたトム・グラビン

アトランタ・ブレーブスで2度にわたり、サイヤング賞を受賞したトム・グラビン。1987年のメジャーデビューから現役引退まで、所属チームが変わっても背番号「47」を背負い続けた。

グラビンは1989年に初の2桁勝利となる14勝8敗の成績を残すと、1991年から3年連続で20勝以上をマーク。1991年、1998年の2度にわたりサイヤング賞を受賞するなど、ブレーブスの黄金時代を支えたひとりだった。

また、投手ながら打撃もよく、シルバースラッガー賞を4度受賞するなど投打に渡り活躍。2003年から2007年まではニューヨーク・メッツでプレーし、2008年からブレーブスに復帰したもののケガのため引退した。

通算305勝をマークし、引退後には野球殿堂入りも果たすなど、レジェンドとして球史に名を刻んだ。

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