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プロ野球における背番号47の名選手たち

2017 12/26 15:07mono
ベースボールプレイヤー
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2017年現役選手の背番号「47」

2017年各球団の背番号「47」は下記の選手が背負っていた。


  • 日本ハム:田中豊樹選手(投手)
  • ソフトバンク:髙橋純平選手(投手)
  • ロッテ:田中靖洋選手(投手)
  • 西武:シュリッター選手(投手)
  • 楽天:大塚尚仁選手(投手)
  • オリックス:海田智行選手(投手)
  • 広島:小野淳平選手(投手)
  • 巨人:山口鉄也選手(投手)
  • DeNA:砂田毅樹選手(投手)
  • 阪神:山本翔也選手(投手)
  • ヤクルト:高橋奎二選手(投手)
  • 中日:笠原祥太郎選手(投手)


不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:12球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団


2017年は全12球団で背番号「47」を投手が着用している。比較的大きい番号ではあるが、有力選手または期待の新人がつけることが多い。
福岡ソフトバンクホークスの高橋純平選手(2015年1位)、東京ヤクルトスワローズの高橋奎二選手(2015年3位)らが期待の若手枠といったところだろう。

26年間にわたり背番号「47」を背負った工藤公康選手

2017年シーズン福岡ソフトバンクホークスを率いて日本一に輝いた工藤公康監督。現役時代は、福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)に移籍した際の1995年、1996年(背番号21)そして埼玉西武ライオンズへ再び戻った2010年(背番号55)を除き背番号「47」を着用した。

1986年に11勝(5敗)をマークすると、引退する2010年までに通算13度の2桁勝利を記録。224勝142敗の成績を残し名球会入りも果たしている。この工藤選手の長期間による活躍があり背番号「47」は左腕のイメージが定着したと言えるだろう。

西武、ダイエー、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ、西武と4度の移籍をした工藤選手は29年間にわたって現役生活を送っているが、これはプロ野球タイ記錄でもある。その後、解説者などを経て2015年からコーチの経験なしでソフトバンクの監督に就任。1年目で日本一を達成し、翌2016年は2位、2017年は再び日本一と結果を残している。名監督として球史に名を刻むこととなった。

9年連続60試合登板を果たした山口鉄也選手

巨人で2000年から2006年まで背番号「47」を背負った工藤選手が横浜ベイスターズへ移籍。その後2007年に松本哲也選手がこの番号を背負ったが、2008年からは山口鉄也選手が背負い続けている。

山口選手は2005年育成ドラフトで巨人に入団。2007年シーズン途中に支配下登録されると、一軍で32試合に登板。翌2008年には67試合に登板し11勝2敗、防御率2.32の成績を残し新人王を獲得。
育成ドラフト出身の選手としては初の快挙となった。2009年には第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表にも選出されている。

以降も2016年までプロ野球記録となる9年連続60試合以上に登板。その中で3度、最優秀中継ぎ投手(2009年、2012年、2013年)のタイトルを獲得しリーグを代表する中継ぎ投手となった。
また、2017年終了時点で273ホールドを記録しており、こちらもプロ野球記録となっている。

『精密機械』こと小山正明選手

プロ野球史上第3位となる320勝をマークしている小山正明選手。大阪タイガース(現・阪神タイガース)、東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の3球団でプレーした。
21年間現役生活を送ったが1958年から1973年までの16年間を背番号「47」で過ごしている。

小山選手は1963年に阪神から東京へトレードで移籍。このトレードは『世紀のトレード』と形容されており、阪神へは主砲であり『ミサイル打線』の中核を担っていた山内一弘選手が加わった。
小山選手は移籍初年度に30勝をマークし自身初の最多勝を獲得。山内選手は31本塁打を放つなど活躍しトレードは成功に終わっている。
現役引退後に監督を務めることはなかったものの、コーチとして複数球団で指導を行った。また、2001年には野球殿堂入りも果たしている。

ブレーブスの黄金時代を支えたトム・グラビン選手

アトランタ・ブレーブスで2度にわたり、サイヤング賞を受賞したトム・グラビン選手。1987年のメジャーデビューから2008年の現役引退まで、所属チームが変わっても背番号「47」で過ごし続けた。
グラビン選手は、1989年に14勝8敗の成績を残し初の2桁勝利を達成すると1991年から3年連続で20勝以上をマークし、1991年、1998年の2度にわたりサイヤング賞を受賞するなど、ブレーブスの黄金時代をさせたひとりでもあった。

また、投手ながら打撃もよく、シルバースラッガー賞を4度受賞するなど投打に渡り活躍した選手でもあった。2003年から2007年まではニューヨーク・メッツでプレーし2008年に再びブレーブスに復帰するが、この年限りで現役を引退。
通算で305勝をマークし引退後には野球殿堂入りも果たすなど、レジェンドとして球史に名を刻んでいる。

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