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プロ野球における背番号44の名選手たち

2017 12/28 12:24cut
野球ボール
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2017年現役選手の背番号「44」

2017年各球団の背番号「44」は下記の選手が背負っていた。

日本ハム:森山恵佑選手(外野手)
ソフトバンク:バンデンハーク選手(投手)
ロッテ:井上晴哉選手(内野手)
西武:外崎修汰選手(内野手)
楽天:足立祐一選手(捕手)
オリックス:園部聡選手(内野手)
広島:松山竜平選手(外野手)
巨人:カミネロ選手(投手)
DeNA:佐野恵太選手(内野手)
阪神:梅野隆太郎選手(捕手)
ヤクルト:岩橋慶侍選手(投手)
中日:バルデス選手(投手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:4球団
捕手:2球団
内野手:4球団
外野手:2球団

背番号「44」は投手、野手ともに使用される番号で外国人選手の着用も多い。過去にはランディ・バース選手(元・阪神)、ブーマー・ウェルズ選手(元・阪急他)、タイロン・ウッズ選手(元・横浜他)といった長距離砲が着用していた。

2017年もリック・バンデンハーク選手(ソフトバンク)、アルキメデス・カミネロ選手(巨人)、ラウル・バルデス選手(中日)と3球団で外国人選手が「44」を背負っている。

日本人選手でも森山恵佑選手(日本ハム)、井上晴哉選手(ロッテ)、松山竜平選手(広島)、佐野恵太選手(DeNA)、梅野隆太郎選手(阪神)といった長打の期待される選手が多く使用していることも見逃せない。

「不惑の大砲」こと門田博光選手

外国人選手の着用が多い背番号「44」だ。日本人選手でも大きな実績を残した選手はいる。プロ野球史上歴代第3位となる567本塁打、1678打点を誇る門田博光選手だ。
門田選手は1969年ドラフト2位でクラレ岡山から南海ホークスへ入団。2年目には打率.300(506打数152安打)、31本塁打、120打点の成績を残し打点王のタイトルを獲得した。
以降も順調にキャリアを積むが、1979年の春季キャンプ中にアキレス腱を断裂。終盤戦までリハビリに費やしわずか19試合の出場に終わっている。

1980年からは心機一転、背番号を「44」に変更すると41本塁打をマーク。翌1981年には44本塁打で自身初の本塁打王に輝いた。「44」を背負ったのは1980年から1982年までの3年間だけであったが、十分な成績を残している。
また、背番号を「44」に変更したのは44本塁打を目指すことからつけられたものでもあった。44本塁打を達成したことから門田選手は1983年に背番号を「60」へと変更。これは60本塁打を目指す意思表示でもあった。

以降も1983年、1988年と本塁打王を獲得。その後、オリックス・ブルーウェーブに移籍。再び南?の後継球団である福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンクホークス)とチームを渡り歩き1992年に23年間の現役生活にピリオドを打った。

40歳を超えても尚、活躍をしたことから「不惑の大砲」と呼ばれていたことでも知られている。現役引退後にプロ野球チームの指導者にはなっていない。

外国人選手初の三冠王ブーマー選手

1980年代に阪急ブレーブスで活躍したブーマー・ウェルズ選手は背番号「44」を背負っていた。1983年に来日すると2年目のシーズンに打率.355(482打数171安打)、37本塁打、130打点を記録し三冠王に輝いた。1991年まで阪急に在籍し、1992年は福岡ダイエーホークスでプレー。
ダイエーでは1年しかプレーしていないものの、38歳で打点王を獲得するなどその力は衰えていないように見えた。しかし終盤に調子を崩したこともあり、この年で現役を引退する。日本でプレーした10年間での通算打率.317は4000打数を超えた右打者では最高打率だ。

身長2メートル、体重100キロと大柄で、1989年にはプロ野球記録の34併殺打を記録するなど足は遅かった。一方でゴールデングラブ賞を2度獲得するなど守備は安定していた。野球殿堂入りも期待されたものの、わずかに票が足りず資格喪失となっている。

ブーマー選手と同僚の門田博光選手には笑えないエピソードがある。ある日の試合で門田選手が本塁打を打った際にホームベース付近で出迎えたハイタッチを交わす。しかし、そのハイタッチの衝撃が強く原因で門田選手は脱臼してしまう。それに責任を感じたブーマー選手は翌日の試合で本塁打を放ったのであった。

史上最高の助っ人バース選手

阪神タイガースのみならず、日本プロ野球界において史上最高の助っ人とも呼ばれることがあるのはランディ・バース選手だ。1983年に阪神へ入団すると1年目から打率.288(371打数107安打)、35本塁打、83打点の成績を残しチームに貢献する。

そして、1985年には打率.350(497打数170安打)、54本塁打、134打点で三冠王に輝き、チーム史上初の日本一に大きく貢献した。翌1986年も打率.389(453打数176安打)、47本塁打、109打点で二年連続となる三冠王を手中にした。この年の打率.389は2017年終了時点においても、日本プロ野球記録となっている。

バース選手の次に背番号「44」を背負ったのは、セシル・フィルダー選手だ。フィルダー選手は来日初年度となる1989年から106試合の出場で38本塁打を放つ活躍を見せたが1年で退団。翌1990年にはデトロイトタイガースで51本塁打を放ち本塁打王に輝いている。

このように阪神の背番号「44」は、伝説的な外国人選手が背負っていた歴史があるのだ。2017年現在は「打てる捕手」として梅野隆太郎選手が着用中。史上最強助っ人を超える活躍に期待したい。

755本塁打を記録したハンク・アーロン選手

メジャーリーグにおいて長らく本塁打記録を持っていたのがハンク・アーロン選手だ。アーロン選手はベーブ・ルース選手が記録した714本塁打を更新し755本まで記録を伸ばした名選手だ。後にバリー・ボンズ選手がこの記録を更新しているものの、薬物疑惑もありアーロン選手がナンバー1と唱えるファンも多い。

アーロン選手は1954年のメジャーデビューこそ背番号「5」を着用していたが、翌1955年から背番号「44」に変更。引退する1976年まで同番号を背負い続けている。現役引退後にはアトランタブレーブス、ミルウォーキーブルワーズにおいて永久欠番に制定された。

また、「世界の王」こと王貞治選手とも親交が深く、ふたりが中心となって世界野球少年野球大会を行うなど野球界の発展に尽くしている。

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