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プロ野球における背番号28の名選手たち

2018 1/3 10:05cut
野球ボール
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スローカーブが代名詞の星野伸之選手

阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)、阪神タイガースでプレーし通算176勝をマークした星野伸之選手。1983年ドラフト5位で旭川工業高校から阪急に入団し、背番号は「28」となった。2年目の1985年に一軍デビューを果たすと、1986年には9勝を挙げローテーションに定着。翌1987年からは11年連続二ケタ勝利を達成し、1989年、1996年には最高勝率のタイトルを獲得している。

星野選手はスローカーブが代名詞となっており、130キロ台のストレートとの緩急で打者を打ち取っていた。球速だけでみると決して速い球とは言えないが、多くの選手が星野選手の球を速いと感じていた。それはこの緩急とフォームに秘密があったからだ。星野選手のフォームは球の出所が見えにくく打者は、タイミングを取ることがむずかしかったのだ。球が遅いということを苦にせず、工夫を凝らし多くの勝ち星を挙げた選手の一人と言えるだろう。

その後1999年オフにFA権を行使し、阪神へ移籍した際に背番号「34」を着用した。現役引退後は所属した球団である阪神やオリックスの投手コーチとなり、若手選手の指導を行っている。

左腕が多い巨人の背番号「28」

読売ジャイアンツの背番号「28」は、左腕投手が多くつけている。これは1970年代に巨人で活躍した新浦寿夫選手から始まった。

静岡商業高校で、1968年夏の甲子園で準優勝を果たし注目を集めた新浦選手。韓国籍だったこともあり、ドラフト会議での指名は必要なく争奪戦となっていた。(当時外国籍の選手は、日本の学校を卒業してもドラフトにかける必要がなかった)
その結果、静岡商業高校を中退し、1968年ドラフト外で読売ジャイアンツに入団することを選択する。入団当時の背番号は「42」だったが、その後「40」を経て1973年には「28」へ変更した。1976年から1979年までは4年連続二ケタ勝利をマークし、1978年、1979年には最優秀防御率のタイトルも獲得している。

その後、韓国リーグでプレーし1987年に大洋ホエールズへ入団。1992年に福岡ダイエーホークス、シーズン途中にヤクルトスワローズへ移籍する。ヤクルトでは背番号「49」を背負ったが、その他の球団では「28」を一貫して背負い続けた。

巨人では新浦選手以降も阿波野秀幸選手、岡島秀樹選手、金刃憲人選手、高木京介選手と多くの左腕がこの番号を背負っている。新浦選手以降で右腕が背番号「28」を背負ったのは廣田浩章選手ひとりだけだ。

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