プロ野球における背番号29の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号29の名選手たち


2017年現役選手の背番号「29」

投手の着用が目立つ背番号「29」。2017年各球団の背番号「29」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:井口和朋選手(投手)
ソフトバンク:石川柊太選手(投手)
ロッテ:西野勇士選手(投手)
西武:小石博孝選手(投手)
楽天:小関翔太選手(捕手)
オリックス:ウエスト選手(投手)
広島:江草仁貴選手(投手)
巨人:不在
DeNA:尾仲祐哉選手(投手)
阪神:キャンベル選手(内野手)
ヤクルト:小川泰弘選手(投手)
中日:山井大介選手(投手)

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:9球団
捕手:1球団
内野手:1球団
外野手:0球団

2017年に背番号「29」を背負っている選手で、エース格は小川泰弘選手(ヤクルト)ただひとり。井口和朋選手(日本ハム)、小石博孝選手(西武)、江草仁貴選手(広島)など中継ぎとして起用され選手も多い番号というのが理由のひとつといえそうだ。

「サンデー兆治」こと村田兆治選手

千葉ロッテマリーンズ(ロッテオリオンズ含む)の背番号「29」は、村田兆治選手が代表的な選手だろう。村田選手は1967年ドラフト1位で福山電波工業高校からロッテへ入団し、背番号「29」を与えられた。
高卒ルーキーということもあり1年目は3試合の登板に終わっているが、2年目に37試合に登板し先発も20試合任されている。その後、1971年に初の二桁勝利となる12勝をマーク。1975年には中継・先発とフル回転し13セーブで最多セーブを獲得した。また、最優秀防御率も2年連続で獲得した。

その後、ヒジを故障し1983年にトミー・ジョン手術を受けている。当時は一般的な手術ではなかったため、アメリカへ渡っての施術と言うことで話題になった。リハビリを経て1984年終盤に復帰。
本格的に復帰した1985年には、日曜日のローテーションを守り連勝記録を続けたことから「サンデー兆治」と呼ばれていた。1989年には自身3度目の最優秀防御率のタイトルを獲得し、通算200勝を達成。1990年には二桁勝利(10勝)を挙げ、余力があるようにみえたが現役を引退している。

村田選手はロッテ一筋で215勝をマークしたが、背番号「29」は永久欠番とはならなかった。しかし、引退から15年経った2005年に野球殿堂入りを果たしている。

「サンデー兆治」から「サンデー晋吾」へ

ヒジの故障から「サンデー兆治」として復活した村田兆治選手。その後、ロッテの背番号「29」は4選手を経て、2001年から小野晋吾選手が着用した。小野選手は1993年ドラフト6位で御殿場西高校からロッテへ入団し、背番号は「60」となった。1997年に一軍デビューを果たすものの結果は残せなかった。
しかし、プロ入り7年目となる2000年、日曜日に9連勝を達成したことで突如ブレイクし「サンデー晋吾」と呼ばれ、13勝をマークし最高勝率のタイトルを獲得。そのオフに、村田選手の背負っていた背番号「29」へと変更になった。

2001年以降もロッテの先発として活躍。タイトルの獲得こそなかったものの、2度の二ケタ勝利を達成するなど、ローテーションを守り続けた。2013年に現役を引退するまで85勝(77敗)をマーク。現役引退後はスカウトを経て二軍投手コーチを務めている。

「ベンチがアホやから野球がでけへん」発言の江本孟紀選手

歯に衣着せない物言いが売りでもある江本孟紀選手は、1971年に東映フライヤーズへ入団し1972年から1975年まで南海ホークスでプレーした。1976年から現役引退となる1981年までは、阪神タイガースで戦った江本選手。3球団めの所属となった阪神時代の背番号が「29」だった。

移籍初年度からリーグ最多の36試合に先発し、15勝を挙げる活躍をみせる。1979年まで5年連続で二ケタ勝利を達成するなど先発の柱として大きく貢献し、その後も現役引退までに113勝をマークするなど実績を残している。

江本選手は、1981年に現役引退しているがこれにはエピソードがあるのだ。この年の8月、江本選手が打ち込まれた試合降板後のロッカールームでグラブを投げつけ「ベンチがアホやから野球がでけへん」といった趣旨の発言をし、監督批判ととられ謝罪後に現役引退表明を行った。

この発言に関して江本選手は、実際には言っていないと否定をしていたが、最終的には認めている。

速球派が続いた中日の背番号「29」

中日ドラゴンズにおいて背番号「29」は、速球派のイメージが強い。鈴木孝政選手、与田剛選手と2人の剛球投手が続けてこの番号を着用したからだ。1972年ドラフト会議で1位指名を受け千葉県・成東高校から中日へ入団。
高卒2年目の1974年から中継ぎとして出番が増え始め、翌1975年にはリーグ最多の67試合に登板。21セーブをマークし、最多セーブのタイトルを獲得している。中継ぎ投手でありながら、規定投球回に到達するなど2017年現在のように1イニング限定ではない起用法だった。

その後も1976年、1977年と連続で規定投球回に到達。1976年には最多セーブ、最優秀防御率の二冠を達成している。スピードガンが普及する前の時代のため、正確な球速はわからないものの、150キロは超えていたと言われていた。

1982年途中に先発へ転向すると1984年に16勝をマークするなど、先発としても実績を残している。1989年に現役を引退するまでに124勝、96セーブを挙げるなど中日を代表する投手といえるだろう。また、鈴木選手は長嶋茂雄選手・長嶋一茂選手親子の両者と公式戦で唯一対戦した投手でもある。

その鈴木選手が引退した直後の1990年から、背番号「29」を着用したのが与田剛選手だ。1989年ドラフト1位でNTT東京から中日へ入団した与田選手。150キロを超えるストレートが武器ということもあり、鈴木選手の「29」を受け継いだ。
すると1年目から抑えに抜擢され31セーブをマークし、最優秀救援投手のタイトルを獲得。新人王も受賞している。その後は故障もあり、1年目がキャリアハイとなってしまった。1999年に現役を引退後は野球解説者を経て日本代表のコーチを歴任。2016年からは、東北楽天ゴールデンイーグルスの投手コーチを務めている。

与田選手以降は3選手を経て、2002年より山井大介選手が着用しており、2017年シーズンで16年目となる。2018年シーズンも同番号を背負えば、鈴木選手と並び背番号「29」の球団最長タイの17年目だ。山井選手の背番号に注目したい。

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