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実力派投手揃う!プロ野球における背番号29の選手たち

2020 8/19 12:00SPAIA編集部
(左から)ロッテの西野勇士、ヤクルトの小川泰弘、阪神の髙橋遥人ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「29」

投手の着用が目立つ背番号「29」。2020年各球団の背番号「29」は下記の選手が背負っている。

西武:小川龍也投手
ソフトバンク:石川柊太投手
楽天:山下斐紹捕手
ロッテ:西野勇士投手
日本ハム:井口和朋投手
オリックス:田嶋大樹投手
巨人:吉川尚輝内野手
DeNA:伊藤光捕手
阪神:髙橋遥人投手
広島:ケムナ誠投手
中日:山井大介投手
ヤクルト:小川泰弘投手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:9球団
捕手:2球団
内野手:1球団
外野手:0球団

背番号「29」は実績のある投手が少なくない。8月15日にノーヒットノーランを達成した小川泰弘(ヤクルト)、2013年にノーヒットノーランを達成している山井大介(中日)、2018年に13勝を挙げた石川柊太(ソフトバンク)、2014年から3年連続20セーブ以上を挙げた西野勇士(ロッテ)、2017年ドラフト1位の田嶋大樹(オリックス)、先発ローテの一角として期待される髙橋遥人(阪神)ら実力派が揃っている。

その一方で、山下斐紹(楽天)と伊藤光(DeNA)の捕手2人や内野手の吉川尚輝(巨人)も「29」を背負っており、必ずしも投手の番号という訳ではない。

「サンデー兆治」こと村田兆治

ロッテの背番号「29」と言えば、村田兆治が代表的だろう。村田は1967年ドラフト1位で福山電波工業高校からロッテに入団し、背番号「29」を与えられた。

高卒ルーキーということもあり1年目は3試合の登板に終わったが、2年目には37試合に登板し、先発も20試合任されている。その後、1971年に初の二桁勝利となる12勝をマーク。1975年には先発、中継ぎとフル回転し、13セーブで最多セーブに輝いた。また、この年から2年連続で最優秀防御率のタイトルも獲得、1981年には最多勝にも輝いた。

その後、ヒジを故障し、1983年にトミー・ジョン手術を受けている。当時の日本では一般的ではなかったため、アメリカへ渡っての施術は話題になった。

リハビリを経て1984年終盤に復帰。翌1985年には、日曜日に先発するローテーションで連勝記録を続けたことから「サンデー兆治」と呼ばれ、17勝をマークした。1989年には自身3度目の最優秀防御率のタイトルを獲得し、通算200勝を達成。1990年には二桁勝利(10勝)を挙げながら現役を引退している。

村田はロッテ一筋で215勝をマークしたが、背番号「29」は永久欠番とはならなかった。引退から15年経った2005年に野球殿堂入りを果たしている。

「サンデー兆治」から「サンデー晋吾」へ

ヒジの故障から「サンデー兆治」として復活した村田兆治の引退後、ロッテの背番号「29」は4選手を経て、2001年から小野晋吾が着用した。

小野は1993年ドラフト6位で御殿場西高校からロッテへ入団し、背番号は「63」だった。1997年に一軍デビューを果たすものの結果は出ず、プロ入り7年目となる2000年、日曜日に9連勝したことでブレイクし「サンデー晋吾」と呼ばれた。

この年は13勝をマークして最高勝率のタイトルを獲得。同年オフに、村田の背負っていた背番号「29」に変更となった。

2001年以降もタイトル獲得こそなかったものの、2度の二桁勝利をマークするなど、先発ローテーション投手として活躍。2013年に現役を引退するまで85勝(77敗)を挙げた。現役引退後はスカウトを経て二軍投手コーチを務めている。

「ベンチがアホやから野球がでけへん」江本孟紀

歯に衣着せない物言いが売りでもある江本孟紀は、1971年に東映へ入団したものの、わずか1年で南海にトレード移籍。1972年から1975年まで4年連続で2桁勝利をマークした。

1975年オフには3球団目となる阪神にトレードされ、現役引退する1981年まで阪神で背負ったのが「29」だった。

阪神1年目の1976年から15勝を挙げる活躍。1979年まで南海時代を含めて8年連続で二桁勝利をマークするなどチームに貢献した。その後も現役引退までに通算113勝をマークしている。

江本の現役引退にまつわるエピソードは有名だ。1981年8月、江本が打ち込まれて降板した際、「ベンチがアホやから野球がでけへん」といった趣旨の発言をし、監督批判と取られたため謝罪、同年限りでの現役引退を表明した。この発言に関して江本は、実際には言っていないと否定をしていたが、最終的には認めている。

速球派が続いた中日の背番号「29」

中日における背番号「29」は、速球派のイメージが強い。鈴木孝政、与田剛(現監督)と2人の剛球投手が続けてこの番号を着用したからだ。

鈴木孝政は1972年ドラフト会議で1位指名を受け、千葉県・成東高校から中日に入団。2年目の1974年から中継ぎとして出番が増え始め、翌1975年にはリーグ最多の67試合に登板。21セーブを挙げて最多セーブに輝いている。リリーフ投手ながら、規定投球回に到達するなど、現在のような1イニング限定ではなかった。

その後も1976年、1977年と連続で規定投球回に到達。1976年には最優秀救援投手、最優秀防御率の二冠に輝いている。スピードガンが普及する前の時代のため正確な球速はわからないものの、150キロを超えていると言われていた。

1982年途中に先発へ転向すると1984年には16勝をマーク。1989年に現役を引退するまでに124勝、96セーブを挙げた。鈴木は長嶋茂雄・長嶋一茂親子と公式戦で対戦した唯一の投手でもある。

その鈴木が引退した直後の1990年から、背番号「29」を着用したのが与田剛だ。1989年ドラフト1位でNTT東京から中日へ入団。150キロを超えるストレートで押す強気の投球は評価が高く、鈴木の「29」を受け継いだ。

1年目から抑えに抜擢され、31セーブをマークして最優秀救援投手のタイトルを獲得。佐々岡真司(現広島監督)と争った新人王にも輝いた。

しかし、その後は故障もあり、1年目がキャリアハイとなった。2000年に現役を引退後は、野球解説者を経て日本代表のコーチを歴任。2016年からは楽天の投手コーチを務め、2019年から中日で指揮を執っている。

与田以降は3選手を経て、2002年から山井大介が着用。鈴木の17年を上回り、背番号「29」を背負う右腕として球団最長の19年目に突入している。

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