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プロ野球における背番号23の名選手たち

2017 10/13 10:05cut
野球ボール,グローブ
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7年連続3割達成!ロバート・ローズ選手

横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)だけでなく、日本球界で見てもトップランクの外国人選手といえるロバート・ローズ選手。1993年から2000年までの8年間日本でプレーし、背番号は1度も変わることなく「23」を背負い続けていた。

日本初年度である1993年に打点王を獲得。1994年から2000年まで7年連続打率3割以上をマーク。1999年には打率.369(521打数192安打)、37本塁打、153打点の成績を残し首位打者、打点王の二冠を達成している。翌2000年も最多安打のタイトルを獲得するなど衰えを見せることはなかった。
しかし、このシーズン終了後の契約交渉で球団と決裂。アメリカへ帰国することになってしまう。アメリカではプレーをしなかったが、自宅などでトレーニングは続けており、その後2003年に千葉ロッテマリーンズと契約。しかし、キャンプ中に退団し現役を引退することになった。

ロッテではプレーできなかったが、日本で大きなケガをすることもなく8年間で1039試合に出場。打率.325(3929打数1275安打)、167本塁打、808打点をマーク。打撃だけでなく二塁の守備でゴールデングラブ賞(1998年)も受賞。攻守において活躍した外国人選手だった。

その後、横浜ではローズ選手以降、小川博文選手、藤田一也選手、内村賢介選手、松尾大河選手と二遊間の選手がこの番号を着用している。

「打てる捕手」木俣達彦選手

中日ドラゴンズ一筋19年で2142試合に出場し1876安打を放っている木俣達彦選手。背番号は1964年の入団から一貫して「23」を背負っていた。入団2年目となる1965年に132試合に出場しレギュラー捕手として定着。しかし、打率.212(419打数89安打)と打撃は奮わなかった。

その後、1967年に21本塁打をマークすると5年連続20本塁打以上をマーク。1969年には33本塁打、1970年には30本塁打を記録している。また、1974年には打率.322(438打数141安打)を記録し初めて打率を3割に到達させるなど徐々に向上。「打てる捕手」として中日を支えていた。

捕手としては野村克也選手に次ぐ1876安打を記録していたが、引退後に谷繁元信選手(元・中日他)、古田敦也選手(元・ヤクルト)に更新された。2016年終了時点では歴代第4位の安打数となっている。

木俣選手以降、中日の「23」は野手・投手ともに着用し捕手伝統の番号とはならなかった。

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