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WBC最年少右腕から現役最年長左腕まで プロ野球における背番号19の選手たち

2024 6/24 06:00SPAIA編集部
中日の髙橋宏斗、ヤクルトの石川雅規、巨人の山﨑伊織,ⒸSPAIA
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2024年現役選手の背番号「19」

背番号10番台は投手のイメージが強いが、ソフトバンクでは甲斐拓也が「19」を背負う。往年の名捕手・野村克也氏が現役時代に背負っていた番号だ。

2024年各球団の背番号「19」は下記の通りとなっている。

阪神:下村海翔投手
広島:野村祐輔投手
DeNA:山﨑康晃投手
巨人:山﨑伊織投手
ヤクルト:石川雅規投手
中日:髙橋宏斗投手

オリックス:山岡泰輔投手
ロッテ:唐川侑己投手
ソフトバンク:甲斐拓也捕手
楽天:荘司康誠投手
西武:佐藤隼輔投手
日本ハム:玉井大翔投手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:11球団
捕手:1球団
内野手:0球団
外野手:0球団

12球団中11球団が投手の番号として使用している背番号「19」。現役最年長の44歳で、6月2日の楽天戦でプロ野球史上初となる新人年から23年連続勝利をマークした石川雅規(ヤクルト)をはじめ、野村祐輔(広島)、山﨑康晃(DeNA)、山岡泰輔(オリックス)といった実績のある投手たちが背負っている。

また、若手有望株の着用も目立つ。中日では2020年ドラフト1位で入団し、2023年のWBCにも出場した髙橋宏斗、巨人では東海大から2020年ドラフト2位で入団した山崎伊織、西武では筑波大から2021年ドラフト2位で入団した佐藤隼輔などが「19」を背負っている。

阪神では青山学院大からドラフト1位で入団したルーキーの下村海翔が、“ノムさん”が監督時につけていた楽天では、2022年ドラフト1位で入団した荘司康誠がそれぞれ着用。日本ハムでは2023年から玉井大翔が2022年限りで現役を引退した金子千尋の付けていた「19」を継承した。

次章以降では、背番号「19」の系譜や着用していた歴代の名選手たちを紹介していく。

野村克也氏以来43年ぶりに捕手として背負った甲斐拓也

戦後初の三冠王に輝き、ヤクルト、阪神、楽天の3球団で監督として通算1565勝を挙げた野村克也氏。現役時代の多くをともにした背番号が「19」だった。

1954年に南海に入団した当初は「60」で現役生活をスタート。1年目はわずか9試合出場、2年目の1955年も未出場だったが、期待のホープは背番号を「19」へ変更することになった。

すると1956年からレギュラーに定着。1957年には初の打撃タイトルとなる本塁打王を獲得した。1961年から1968年まで8年連続本塁打王となり、1965年には戦後初の三冠王。その後、選手兼任監督に就任するなど南海の中心人物として活躍した。南海を退団後もロッテ、西武で「19」を背負いプレーを続けた。

そんなホークスの「19」を2020年から捕手として43年ぶりに背負ったのが甲斐拓也だ。「甲斐キャノン」と呼ばれる強肩で2017年から5年連続ゴールデングラブ賞を受賞。2018年の日本シリーズではMVPに輝いた。

今や球界を代表する捕手の一人となった甲斐。投手が多い背番号「19」のイメージを変えることができるか。

「19」で始まり「19」で終わった上原浩治

かつて巨人の背番号「19」は小林繁が背負っていた。小林はエース級の活躍を見せていたものの、「空白の1日」騒動で巨人に入団することになった江川卓との交換トレードで阪神へ移籍した非運の投手でもある。

その後、北海道拓殖銀行からドラフト1位で入団した吉田修司や、メジャーリーグでもプレーした木田優夫らが着用し、1999年から上原浩治が背負った。上原はルーキーイヤーから背番号を超える20勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、新人王などタイトルを総なめ。2008年まで先発、抑えと様々な役割をこなし、海外FA権を行使してメジャーリーグへ移籍した。

新天地のボルチモア・オリオールズでも背番号「19」を与えられ、その後移籍したテキサス・レンジャーズ、ボストン・レッドソックス、シカゴ・カブスの全球団で背番号「19」を背負っている。

また、アテネオリンピック、北京オリンピック、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)など日本代表でも背番号「19」を着用。日本球界復帰となった2018年は「11」だったが、現役ラストイヤーの2019年は「19」に戻し、ユニフォームを脱いだ。

2021年からは山﨑伊織が背負う。1年目は右肘手術のリハビリに費やしたが2023年に自身初の2ケタ勝利をマークするなど目覚ましい活躍を見せている。

名選手が背負ってきた阪神の「19」

阪神では、チームを代表する選手が「19」を背負ってきた。名外野手として活躍した藤井栄治、巨人から移籍した1979年に巨人戦8連勝を含む22勝を挙げた小林繁、1985年の胴上げ投手・中西清起、ノーヒットノーランを達成した川尻哲郎。

そして、2013年から藤浪晋太郎がその系譜を受け継いだ。大阪桐蔭のエースとして甲子園で春夏連覇した右腕は、身長197センチの恵まれた体格から威力のあるストレートを投げ込む地元・大阪出身のスター候補として入団。1年目から3年連続2桁勝利を挙げた。

4年目以降は下降線を辿ったが、2021年から2年連続で開幕投手を務めるなど復活。2022年オフにポスティングシステムでMLBのアスレチックスへ移籍するまで10年間、「19」を背負った。

2024年からは青山学院大からドラフト1位で入団した下村海翔が継承。開幕直後に「トミー・ジョン手術」を受けたことが球団から発表された。リハビリに専念し、2年目以降の活躍に期待したい。

「火の玉投手」ボブ・フェラー

メジャーリーグの伝説として名を残す一人でもあるボブ・フェラー。スピードガンのない時代のため正確な球速はわからないものの、剛速球を投げたことで知られている。その投げっぷりからついた異名は「Heater from Van Meter」(日本では「火の玉投手」)だった。

ボブ・フェラーはクリーブランド・インディアンスで1936年のメジャーデビュー時は背番号「9」だったが、その後「14」を経て、1939年から1956年の引退まで背番号「19」を背負った。

その間に挙げた勝利数は実に266。6度の最多勝、7度の最多奪三振、1度の最優秀防御率を獲得するなど歴史に残る活躍を見せ、引退後に「19」はインディアンスの永久欠番となった。1962年にはアメリカ野球殿堂入りを果たしている。

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