プロ野球における背番号19の名選手たち|【SPAIA】スパイア

「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

プロ野球における背番号19の名選手たち


2017年現役選手の背番号「19」

背番号10番台は投手のイメージが強いが、背番号「19」もそのイメージ通り投手の着用が目立つ。

2017年各球団の背番号「19」は下記の通り。

日本ハム:増井浩俊選手(投手)
ソフトバンク:不在
ロッテ:唐川侑己選手(投手)
西武:豊田拓矢選手(投手)
楽天:藤平尚真選手(投手)
オリックス:金子千尋選手(投手)
広島:野村祐輔選手(投手)
巨人:菅野智之選手(投手)
DeNA:山﨑康晃選手(投手)
阪神:藤浪晋太郎選手(投手)
ヤクルト:石川雅規選手(投手)
中日:吉見一起選手(投手)

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:11球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

12球団中11球団が投手の番号として使用している背番号「19」。金子千尋選手(オリックス)、吉見一起選手(中日)、石川雅規選手(ヤクルト)、菅野智之選手(巨人)といった球界を代表する先発投手が背負っている。

また、2016年ドラフト1位で東北楽天ゴールデンイーグルスへ入団した藤平尚真選手も、期待を込めて同番号を与えられだ。

唯一、空き番号となっている福岡ソフトバンクホークスは2016年まで森福允彦選手が着用。しかし、FA権を行使し移籍したために2017年シーズンは不在となった。

入団以来1度も背番号変更のない上原浩治選手

かつて、巨人で背番号「19」は小林繁選手が背負っていた。小林選手はエース級の活躍を見せていたものの、江川卓選手とのトレードで阪神タイガースへ移籍した非運の投手でもある。その後、メジャーリーグ移籍を果たしている木田優夫選手が着用し金石昭人選手を挟み上原浩治選手が着用。
上原選手は1998年のドラフト会議で逆指名を経て巨人へ入団し、初年度から背番号以上となる20勝を挙げる活躍を果たしている。故障がありながらも2008年まで巨人において先発、抑えと様々な役割をこなし海外FA権でメジャーリーグへ移籍した。

移籍先であるボルチモア・オリオールズでも背番号「19」を与えられた上原選手。その後、テキサス・レンジャーズ、ボストン・レッドソックス、シカゴ・カブスと合計4球団でプレーしたが、全球団で背番号「19」を背負っている。

また、アテネオリンピック、北京オリンピック、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)といった日本代表でも全て背番号「19」を着用。2017年時点でプロ入りから一度も背番号を変更したことがないことになる。

今後、上原選手が移籍した際には背番号の変更にも注目したい。

日本のエースとなった菅野智之選手

2017年に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本のエースとして活躍した菅野智之選手(巨人)。日本代表では背番号「11」を背負ったものの、巨人では入団以来、背番号「19」を背負っている。
日本代表で背番号「19」を背負わなかったのは、北海道日本ハムファイターズで同番号を着用している増井浩俊選手がいたためだ。年齢が上となる増井選手に菅野選手が背番号を譲ったのである。

その菅野選手は2012年ドラフト1位で巨人へ入団。原辰徳監督(当時)の甥っ子ということもあり注目度は高かった。また、前年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズが強行指名し、抽選の末に交渉権を獲得。入団を拒否した経緯もある。

晴れて憧れでもある巨人に入団の決まった菅野選手は、上原浩治選手が着用していた背番号「19」を与えられ1年目から活躍。新人王こそ受賞できなかったものの13勝6敗、防御率3.12をマークしエースとしての働きをみせた。
楽天との日本シリーズでは、その年24勝0敗の成績を誇った田中将大選手に投げ勝つインパクトも残している。その後も上原選手の背番号を受け継いだ選手として恥じない成績を残しているといえるだろう。

野村克也監督から期待のルーキー藤平尚真選手へ

戦後初の三冠王でもあり、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスと3球団で監督を務めた野村克也氏。現役時代の多くをともにした背番号が「19」だった。
1954年に南海ホークスへ入団した野村選手は、背番号「60」で現役生活をスタートさせた。高卒新人ということもあり初年度はわずか9試合に出場に終わっている。翌1955年も未出場だったもが背番号を若い「19」へ変更することとなった。

すると1956年からレギュラーに定着し、1957年には初の打撃タイトルとなる本塁打王を獲得。1961年から1968年まで8年連続本塁打王となり、1965年には戦後初の三冠王にも輝いた。その後、選手兼任監督を行うなど中心人物として活躍。球史に残る成績を残した。
南海を退団後もロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレーを続けたが、その際も背番号は「19」を選択している。

現役引退後ヤクルト、阪神の監督を経て東北楽天ゴールデンイーグルス創設2年目の2006年から、4年間にわたり指揮を執った。その監督時代に背負ったのも「19」だった。選手時代の大半を過ごした慣れ親しんだ番号で、最後の監督生活を過ごしたのだ。監督最終年度となる2009年にはチームを史上初のクライマックスシリーズへ導き、有終の美を飾っている。

その後、楽天では背番号「19」は空き番号となっていたが、2016年ドラフト1位の藤平尚真選手に受け継がれた。藤平選手は偉大な監督のプレッシャーに負けることなく大きく育って欲しい。

「火の玉投手」ことボブ・フェラー選手

メジャーリーグの伝説として名を残している一人でもあるボブ・フェラー選手。スピードガンのない時代ということもあり、正確な球速はわからないものの剛速球を投げたことで知られている。その、剛速球の投げっぷりからついた異名は「Heater from Van Meter」だった。(日本では「火の玉投手」)

ボブ・フェラー選手はクリーブランド・インディアンスで1936年のメジャーデビュー時は背番号「9」だったが、その後「14」を経て1939年からは背番号「19」を背負い1956年の引退まで着用していた。

その間に挙げた勝利数は266。6度の最多勝、7度の最多奪三振、1度の最優秀防御率を獲得するなど歴史に残る活躍を見せ、引退後の1957年にインディアンスにおいて永久欠番となった。その5年後となる1962年にアメリカ野球殿堂入りを果たしている。

おすすめの記事

関連記事

プロ野球 試合経過・結果

セ・リーグ

5/22 18:31更新

パ・リーグ

5/22 18:31更新

交流戦

オールスター

クライマックスシリーズ

日本シリーズ

5/22 18:31更新

B1 順位表

東地区
中地区
西地区
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}

プロ野球 OPS順位

セ・リーグ
パ・リーグ
 選手名・所属チームOPS 
{{index + 1}}{{item.raw.Name}}{{item.raw['ShortName-Team']}}{{item.metrics.ops.toFixed(3)}}{{item.metrics.ops.toFixed(3).substring(1)}}
 選手名・所属チームOPS 
{{index + 1}}{{item.raw.Name}}{{item.raw['ShortName-Team']}}{{item.metrics.ops.toFixed(3)}}{{item.metrics.ops.toFixed(3).substring(1)}}

人気記事ランキング

関連記事

SPAIA スポーツコラム ライター募集中!