プロ野球における背番号16の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号16の名選手たち


2017年現役選手の背番号「16」

かつては野手の名選手が多かった背番号「16」だが、近年は投手が着用することが増えた。2017年現在、各球団の背番号「16」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:有原航平選手(投手)
ソフトバンク:東浜巨選手(投手)
ロッテ:涌井秀章選手(投手)
西武:菊池雄星選手(投手)
楽天:森雄大選手(投手)
オリックス:平野佳寿選手(投手)
広島:今村猛選手(投手)
巨人:永久欠番(川上哲治選手)
DeNA:加賀繁選手(投手)
阪神:安藤優也選手(投手)
ヤクルト:原樹理選手(投手)
中日:又吉克樹選手(投手)

不在:0球団
永久欠番:1球団
投手:11球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

読売ジャイアンツが川上哲治選手を讃え永久欠番とした背番号「16」。2017年シーズンはその他11球団が投手にこの番号を与えている。各球団共にエース級の投手、または中継ぎ、抑えの格となる選手が使用しておりその番号の重みがよくわかる。

なかでも、西武は松沼雅之選手(1979年-1989年)から潮崎哲也選手(1990年-2004年)、涌井秀章選手(2005年-2008年)、石井一久選手(2009年-2013年)と好投手に受け継がれてきた。そして2014年から菊池雄星選手が背負い2017年シーズンはエースとして活躍。歴史が刻み込まれている番号でもある。
涌井選手は背番号「16」から背番号「18」へ変更したが、FAで移籍したロッテで再び背番号「16」を背負っている。

巨人の名選手そして名監督:川上哲治選手

熊本工業高校時代に甲子園で2度の準優勝を経験。1938年(昭和13年)に東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)へと入団。吉原正喜選手、千葉茂選手、内海五十雄選手、岩本章選手、三田政夫選手、野村高義選手ら有力選手も同年に巨人入りを果たしており「花の昭和13年組」と呼ばれたいた。
その川上選手は入団時から背番号「16」を背負い活躍。太平洋戦争の影響でペナントレースが開催されない年もあったが、1958年までプレー。1979試合に出場し2351安打を記録している。日本プロ野球界で初めて2000本安打を達成した選手でもある。

現役引退後1961年から巨人の監督を務め14年間で9連覇を含む11度のリーグ優勝。そのすべてで日本一に輝いた名将でもある。監督時は1961年から1964年までの4年間を現役時代と同じく「16」を着用。1965年1月に永久欠番となってからは「77」となった。1965年から始まった9連覇はすべて背番号「77」で優勝しているのだ。

永久欠番となっているために1965年以降で背番号「16」を着用した選手はいない。しかし、国民的なアニメとなった『巨人の星』では主人公の星飛雄馬が背番号「16」を背負っている。

最強助っ人の一人:ラルフ・ブライアント選手

1988年中日ドラゴンズにやってきたラルフ・ブライアント選手。当時は一軍の外国人枠が2名までとなっており、枠の埋まっていた中日では二軍でプレーしていた。
しかし、シーズン途中に近鉄バファローズへ移籍すると一軍で大活躍。74試合の出場で打率.307(267打数82安打)、34本塁打、73打点の成績を残す。中日では背番号「49」を背負っていたが、近鉄では「16」を着用し1995年に近鉄を退団するまで同番号でプレーし続けた。

背番号「16」がもっとも輝いたと言えるのが、1989年の10月12日だろう。西武ライオンズと近鉄バファローズのダブルヘッダーで4打数連続本塁打。優勝を争っていた西武に引導を渡し近鉄優勝の立役者となった。以降も1993年、1994年と2年連続本塁打王に輝くなど息の長い活躍をみせている。
また、長距離ヒッターにありがちなフリースインガーでもあり三振も多く、1993年に記録した204三振はプロ野球史上最多だ。ブライアント選手は、本塁打か三振かといった魅力を兼ね備えていた選手だったのだ。

2005年にオリックス・バファローズの打撃コーチを務めているがその際も現役時代と同様に背番号「16」を着用。近鉄のユニフォームではなかったが、オールドファンを喜ばせている。

6球団競合から阪神へ入団:岡田彰布選手

早稲田大学時代に大学日本代表にも選ばれるなど注目を浴びていた岡田彰布選手。1979年のドラフト会議では当時史上最多となる6球団が1位指名で入札。抽選の結果、阪神タイガースが交渉権を獲得。憧れの番号でもあった背番号「16」を与えられ入団を果たしている。
岡田選手が背番号「16」に憧れていたのは理由がある。幼少時、当時の阪神で背番号「16」を背負っていた三宅秀史選手とキャッチボールを行った思い出からだ。

岡田選手はルーキーイヤーの1980年から108試合に出場。打率.290(376打数109安打)、18本塁打、54打点の成績を残し新人王を獲得。1993年まで阪神でプレーし晩年はオリックスへ移籍。オリックスでは背番号「16」ではなく背番号「10」でプレーしている。

現役引退後は2004年から2008年まで阪神の監督、2010年から2012年まではオリックスの監督を務めたが背番号「16」は着用していない。両球団ともに背番号「80」で指揮を執っていた。

日本人史上2人目となるメジャーリーガー:野茂英雄選手

1989年のドラフト会議において、史上最多となる8球団競合の末に近鉄バファローズへと入団した野茂英雄選手。ルーキーイヤーの1990年から1994年までエースとして活躍。
4年連続最多勝を獲得するなど78勝を挙げ1995年から海を渡り、メジャーリーグ挑戦を果たした。その野茂選手が最初に契約を果たしたのは西海岸であるロサンゼルスの名門ロサンゼルス・ドジャースだった。そのときに野茂選手へ与えられた番号が背番号「16」だ。

1995年に野茂選手は背番号「16」を背負いマッシー村上こと村上雅則選手(ジャイアンツ)に次いで、日本人選手として史上2人目となるメジャーデビューを果たたのだ。1998年までの4シーズンで野茂選手はこの番号でプレー。以降、メッツ、ブリュワーズ、タイガース、レッドソックスを渡り歩き、再びドジャースに戻ってきたときは背番号「10」でプレーした。

メジャーリーグデビューを果たした1995年から1998年までのわずか4シーズンのみの着用ではあるが、野茂選手の背番号は「16」というイメージが強い。やはり、メジャーリーグ移籍という大きなことをやってのけたからだろう。

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