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投手番号も1人だけ野手!プロ野球における背番号13の選手たち

2020 8/17 19:00SPAIA編集部
ソフトバンク・二保旭(左)とオリックス・宮城大弥ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「13」

2020年各球団の背番号「13」は下記の選手が背負っている。

西武:髙橋光成投手
ソフトバンク:二保旭投手
楽天:森原康平投手
ロッテ:平沢大河内野手
日本ハム:生田目翼投手
オリックス:宮城大弥投手
巨人:戸郷翔征投手
DeNA:伊勢大夢投手
阪神:不在
広島:矢崎拓也投手
中日:橋本侑樹投手
ヤクルト:中尾輝投手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:10球団
捕手:0球団
内野手:1球団
外野手:0球団

阪神は榎田大樹との交換トレードで加入し「13」を背負っていた岡本洋介が、2019年に引退したため不在。残る11球団のうち、ロッテの平沢大河を除いた10球団で投手が着用している。

西武は西口文也の引退後、空き番になっていたが、2019年に髙橋光成が「17」から変更。巨人は森福允彦が引退したため「68」だった戸郷翔征が2020年から受け継いだ。

オリックスは山岡泰輔の「19」への変更に伴いドラフト1位の宮城大弥、DeNAはドラフト3位の伊勢大夢、中日は岩瀬仁紀の後を受けてドラフト2位の橋本侑樹と、2020年のルーキーも多く着用している。

1002試合登板、407セーブのレジェンド・岩瀬仁紀

中日の守護神として長きにわたって活躍した岩瀬仁紀。2017年シーズンに米田哲也(元阪急など)が持っていた949試合登板の日本記録を更新し、日本プロ野球界最多の1002試合に登板したレジェンド左腕は、1998年ドラフト2位で中日に入団してから2018年に引退するまで背番号「13」を背負い続けた。

1年目から中継ぎとしてリーグ最多となる65試合に登板し、10勝を挙げた。入団6年目となる2004年から抑えに転向すると、2005年にプロ野球記録となる46セーブをマークし、引退するまで5回の最多セーブを獲得。プロ野球記録となる通算407セーブを挙げている。

武器であるスライダーは「死神の鎌」と呼ばれるほど大きく変化し、他球団の選手から恐れられた。特に日本シリーズでは無類の強さを発揮し、20試合に登板し17.2回を投げて無失点、防御率0.00をマークしている。

また、中日の歴史において背番号「13」は、近藤真市がルーキーイヤーの1987年(その後1992~1994年)に背負っていた番号でもある。プロ初登板ノーヒットノーランを達成した左腕から、抑えのレジェンドに受け継がれ、2020年からはドラフト2位で大商大から入団した左腕・橋本侑樹が背負っている。

ノーヒットノーラン未遂に終わった西口文也

西武におけるレジェンドのひとり、西口文也は西武一筋の21年間で通算182勝をマークし、2015年に引退した。成績だけではなく、人柄も良く、多くの選手から慕われていた選手だ。

西口は1994年ドラフト3巡目で立正大から西武へ入団し、当初から背番号「13」を着用した。2年目に16勝を挙げてから7年連続2ケタ勝利を達成するなどエース格に成長し、1997年には最多勝(15勝)、最多奪三振(192個)、最高勝率(.750)のタイトル獲得、MVP、沢村賞にも輝くなど球界を代表する右腕となった。

松坂大輔とともに2000年代のチームを支え、松坂がメジャーリーグへ移籍した後も若手の手本として役割を果たした。

西口は9回2死までノーヒットノーランながら、あと一人で大記録を逃したことが2回あり、9回まで一人の走者も許さず完全試合だったものの延長10回に安打を許したこともあった。これらの出来事から西口は記録よりも記憶に残る選手として認識しているファンもいる。

2020年シーズンは西武で投手コーチをしており、背番号「74」を着用している。

メジャー通算696本塁打のアレックス・ロドリゲス

近年、メジャーリーグにおいて背番号「13」を背負って結果を残した選手は、アレックス・ロドリゲスだろう。

1994年にシアトル・マリナーズでメジャーデビューを果たすと、3年目に打率.358(601打数215安打)で首位打者を獲得。その後、2001年にテキサス・レンジャーズに移籍し、3年連続本塁打王を獲得するなど球界を代表する選手となった。ロドリゲスの背番号はレンジャーズ時代まで「3」だった。「13」となったのは2004年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍してからだ。

ヤンキースの背番号「3」は「野球の神様」と呼ばれたベーブ・ルースが背負い、永久欠番となっていたため「13」を選択。ヤンキースでは本塁打王2度、打点王1度を獲得するなど実績を残した。その後、禁止薬物使用が発覚し、2013年途中から2014年シーズン全試合の出場停止処分を受けることになる。

2015年に復帰した後は各地でブーイングを浴びながらも33本塁打を放って健在をアピール。しかし2016年シーズン途中に引退を表明し、自身最後の試合では慣れ親しんだヤンキースタジアムで、三塁守備につき観客を沸かせた。記録と記憶に残る選手として、波瀾万丈のメジャーリーグ人生を過ごした。

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