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全球団とも投手!プロ野球における背番号17の選手たち

2020 4/22 20:00SPAIA編集部
佐々木朗希ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「17」

投手のイメージが強い背番号「17」。それもそのはず、2020年は12球団全て投手が背負っている。各球団の背番号「17」は下記の通り。

西武:松本航投手
ソフトバンク:岩嵜翔投手
楽天:塩見貴洋投手
ロッテ:佐々木朗希投手
日本ハム:浦野博司投手
オリックス:増井浩俊投手
巨人:大竹寛投手
DeNA:三嶋一輝投手
阪神:岩貞祐太投手
広島:岡田明丈投手
中日:柳裕也投手
ヤクルト:清水昇投手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:12球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

各球団ともエース級や期待の若手投手が付けている。中でも注目度が高いのは、いまだベールを脱いでいないロッテの黄金ルーキー・佐々木朗希だろう。2016年に背負っていたナバーロが1年限りで退団してからは空き番だったが、かつて成瀬善久が背負っていた番号を受け継いだ。早く「17」がマウンドで躍動する姿を見たいものだ。

他球団を見渡しても、西武・松本航、オリックス・増井浩俊、巨人・大竹寛、広島・岡田明丈、中日・柳裕也ら一軍で活躍する投手が揃っている。

巨人の初代「17」は沢村栄治

1リーグ時代の1935年から、巨人の背番号「17」はエース格の選手が着用している。1935年に初代「17」を背負ったのは沢村栄治だった。沢村は永久欠番になっている背番号「14」のイメージが強いが、最初に背負ったのは「17」だった。その後、300勝投手・スタルヒン、史上初の完全試合を達成した藤本英雄らに受け継がれた。

近年では1987年に槙原寛己が「54」から変更し、2001年の引退まで背負い続けた。槙原も完全試合を達成しており、巨人の背番号「17」から2人の完全試合達成者が生まれたことになる。

槇原以降は高橋尚成、東野峻らが着用し、2014年から大竹が継承。歴代の主戦クラスが背負っている。

「史上最高のサブマリン」山田久志

史上最高のサブマリンと称される山田久志は阪急で「17」で背負った。アンダースローの投手ではプロ野球史上最多となる284勝をマークするなど、阪急の黄金時代を支えた名投手だ。

山田は1968年ドラフト1位で富士製鉄釜石から阪急入りし、背番号「25」で現役生活をスタート。プロ入り2年目の1970年に50試合に登板し10勝をマーク。この年から1986年まで17年連続2ケタ勝利を達成している。

「17」に変更した1971年には22勝6敗、防御率2.37の好成績を残し、最優秀防御率のタイトルを獲得。その後も最多勝3回など数々のタイトルを獲得した。1976年から1978年まで3年連続パ・リーグMVPを受賞。これは日本プロ野球タイ記録(もう1人は1994年から1996年のイチロー)でもある。

現役引退した1988年オフに阪急は身売りし、オリックスへと親会社が変更。そのために偉大な記録を残したにも関わらず、背番号「17」は永久欠番にならなかった。

引退後はオリックス、中日でコーチを務め、中日では監督にも就任したが、背番号「17」を着用しなかった。

大洋初優勝の立役者・秋山登

DeNAの前身、大洋で大エースとして活躍し、1960年の初優勝時に21勝をマークした秋山登も「17」だった。

明治大学時代に通算33勝を挙げて1956年に大洋入団。プロ入り1年目から25勝25敗、防御率2.39の成績を残し新人王を受賞した。その後1964年まで9年連続で50試合以上に登板し、いずれの年も2ケタ勝利をマーク。1960年には21勝10敗、勝率.677、防御率1.75の成績で最高勝率、最優秀防御率のタイトルを獲得し、チーム史上初の優勝に大きく貢献した。

1967年に現役を引退するまでに通算193勝をマークし、引退後は監督も務めている。監督時は背番号「17」ではなく、17を逆さにした「71」を着用した。秋山は2000年に亡くなったが、その4年後に野球殿堂入りも果たしている。

秋山の引退以降、「17」は斉藤明夫、盛田幸希らが受け継いだ。現在は2012年ドラフト2位で入団した三嶋一輝が背負っている。

松岡弘から受け継がれるヤクルトの背番号「17」

ヤクルトのエースとして長らくチームを支えた松岡弘は、1967年ドラフト5位で三菱重工水島からヤクルトの前身、サンケイに入団。入団当初の背番号は「25」だった。

ルーキーイヤーの1968年は2試合の登板に終わったが、オフに背番号「17」へと変更すると、1969年に43試合の登板で8勝をマーク。1971年に初の2ケタ勝利となる14勝を挙げ、投球回数もリーグ最多の281.2回を記録した。その後も6年連続で2ケタ勝利をマークするなど、ヤクルトのエースとしてチームを支え、通算191勝を挙げている。

優勝した1978年には16勝11敗、119奪三振、199.1回、11完投(4完封)、防御率3.75の成績で、タイトルには届かなかったものの沢村賞を受賞。これが自身初の栄誉となった。それから2年後の1980年に初のタイトルとなる最優秀防御率を獲得した。

1985年にユニフォームを脱いだ後は、川崎憲次郎が背番号「17」を受け継いだ。川崎は通算88勝をマーク、巨人キラーとして活躍した。

その後、新人王を獲得した川島亮、クリス・ラルーらが着用。2015年からはFAでロッテから移籍した成瀬善久、さらに2018年ドラフト1位の清水昇に受け継がれている。

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