プロ野球における背番号17の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号17の名選手たち


2017年現役選手の背番号「17」

投手のイメージが強い背番号「17」。そのイメージ通り2017年シーズンも11球団が投手の番号となっている。各球団の背番号「17」は下記の通り。

日本ハム:浦野博司選手(投手)
ソフトバンク:岩嵜翔選手(投手)
ロッテ:不在
西武:髙橋光成選手(投手)
楽天:塩見貴洋選手(投手)
オリックス:山﨑福也選手(投手)
広島:岡田明丈選手(投手)
巨人:大竹寛選手(投手)
DeNA:三嶋一輝選手(投手)
阪神:岩貞祐太選手(投手)
ヤクルト:成瀬善久選手(投手)
中日:柳裕也選手(投手)

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:11球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

千葉ロッテマリーンズは2016年シーズンにナバーロ選手が背番号「17」を着用していた。しかし、1年限りで退団したため、2017年シーズンは不在となっている。

その他の球団はやはり期待される新人や大物選手が加入した際に、この番号を誠意のひとつとして渡されることが多い。大竹寛選手(巨人)、成瀬善久選手(ヤクルト)がFA宣言をし移籍した際に、それぞれ背番号「17」を与えられている。

巨人における背番号「17」

1リーグ時代の1935年から、読売ジャイアンツにおいて背番号「17」はエース格の選手が着用している。
1935年に初代の背番号「17」を背負ったのは沢村栄治選手だった。沢村選手は背番号「14」で永久欠番にもなっており、そのイメージが強い。しかし、最初に背負ったのは「17」だったのだ。その後、300勝投手でもあるスタルヒン選手、史上初の完全試合達成者である藤本英雄選手らに受け継がれた。

近年では1987年に槙原寛己選手が「54」から変更し2001年の引退まで背負い続けた。槙原選手も完全試合を達成しており、巨人の背番号「17」は2名の完全試合達成者が生まれたことになる。

槇原選手以後は高橋尚成選手、東野峻選手らが着用し2014年からは大竹選手へと継承。このように、巨人の背番号「17」はエース、またそれに準ずる選手が使用している。

「史上最高のサブマリン」こと山田久志選手

史上最高のサブマリンと称されることもある山田久志選手(阪急)。アンダースローの投手ではプロ野球史上最多となる284勝をマークするなど、阪急ブレーブスの黄金時代を支えて名投手だ。山田選手は1968年ドラフト1位で富士製鐵釜石から阪急入りすると背番号「25」で現役生活をスタート。

プロ入り2年目の1970年に50試合に登板し10勝をマーク。この年から1986年まで17年連続二ケタ勝利を達成している。1971年には22勝6敗、防御率2.37の成績を残し最優秀防御率のタイトルを獲得。
この年から背番号「17」へと変更になっており、幸先よいスタートとなった。その後も数々のタイトルを獲得。1976年から1978年まで3年連続パ・リーグMVPを受賞している。これは日本プロ野球タイ記録(もう1名は1994年から1996年のイチロー選手)でもある。

現役引退後に阪急は身売りしオリックスへと親会社が変更。そのために偉大な記録を残したにも関わらず、背番号「17」は永久欠番とならなかった。これに対し山田選手は同時期に背番号「7」で活躍した福本豊選手を引き合いに出し「7と17は永久欠番にして欲しかった」と後に語っている。

現役引退後にオリックス・ブルーウェーブ、中日ドラゴンズでコーチを務め最終的には中日で監督も歴任した。その際は背番号「17」を着用していない。

大洋初優勝の立役者!秋山登選手

大洋ホエールズで大エースとして活躍し、1960年の初優勝時にも21勝をマークしていた秋山登選手。明治大学時代に通算33勝をマークし1956年に大洋へ入団。背番号は「17」を与えられた。
プロ入り1年目から25勝25敗、防御率2.39の成績を残し新人王を受賞。その後1964年まで9年連続で50試合以上に登板し二ケタ勝利をマーク。1960年には21勝10敗、勝率.677、防御率1.75の成績で最高勝率、最優秀防御率のタイトルを獲得しチーム史上初の優勝に大きく貢献。MVPにも輝いた。

1967年に現役を引退するまでに通算193勝をマークし引退後は監督も務めている。監督時は背番号「17」ではなく、17を逆さにした「71」を着用した。秋山選手は2000年に亡くなっているが、その4年後となる2004年に野球殿堂入りも果たしている。

秋山選手の引退以降この番号を斉藤明夫選手、盛田幸希選手らが受け継がれた。そして現在は2012年ドラフト2位で入団した三嶋一輝選手の番号となっている。三嶋選手は近年、好成績を残せていないが、秋山選手の番号に恥じない活躍を見せてもらいたい。

松岡弘選手から受け継がれるヤクルトの背番号「17」

ヤクルトスワローズのエースとして長らくチームを支えた松岡弘選手。1967年ドラフト5位で三菱重工水島からヤクルトの前身球団である、サンケイアトムズに入団した松岡選手。入団当初の背番号は「25」だった。ルーキーイヤーの1968年は2試合の登板に終わったが、オフに背番号「17」へと変更。
すると1969年に43試合の登板を果たし8勝をマーク。1971年に初の二ケタ勝利となる14勝を達成し投球回数もリーグ最多となる281.1回を記録した。その後も6年連続で二ケタ勝利をマークするなど、ヤクルトのエースとしてチームを支え通算191勝を挙げている。

1978年には投手タイトルを獲得していないものの16勝11敗、119奪三振、199.1回、11完投(4完封)、防御率3.75の成績で沢村賞を受賞。これが自身初の栄誉となった。それから2年後の1980年に初の投手タイトルである最優秀防御率を獲得。これが、唯一のタイトルになっている。

1985年にユニフォームを脱いだあとは川崎憲次郎選手が背番号「17」を受け継いだ。川崎選手は巨人キラーとして活躍し、ヤクルトで通算88勝をマーク。エースとしての役割を果たしていた。
川崎選手のあとには新人王を獲得した川島亮選手、クリス・ラルー選手らが着用。2015年からはFA権を行使し、千葉ロッテマリーンズから移籍してきた成瀬善久選手に受け継がれている。

松岡選手以降、ヤクルトではエースナンバーに近い形で背番号「17」は受け継がれていた。しかし、近年着用している選手の成績は奮わない。成瀬選手の奮起に期待したい。

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西地区
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