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準エースナンバー?プロ野球における背番号17の選手たち

2022 3/9 17:25SPAIA編集部
巨人の山口俊・中日の柳裕也・ロッテの佐々木朗希,ⒸSPAIA
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2022年現役選手の背番号「17」

投手のイメージが強い背番号「17」。それもそのはず、2022年は不在のソフトバンクを除く11球団全て投手が背負っている。各球団の背番号「17」は下記の通り。

ヤクルト:清水昇投手
阪神:岩貞祐太投手
巨人:山口俊投手
広島:岡田明丈投手
中日:柳裕也投手
DeNA:三嶋一輝投手
オリックス:増井浩俊投手
ロッテ:佐々木朗希投手
楽天:塩見貴洋投手
ソフトバンク:不在
日本ハム:伊藤大海投手
西武:松本航投手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:11球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

各球団ともエース級や期待の若手投手が付けている。中でも注目度が高いのはロッテの佐々木朗希だろう。160キロを超えるストレートを小気味よく投げ込む姿は、高い将来性を感じさせる。プロ入り2年間はマウンドに立つ回数を制限しながら大切に育てられてきたが、2022年は「令和の怪物」がいよいよ本領を発揮しそうだ。

中日の柳裕也は2021年に防御率2.20、168奪三振で二冠に輝いた。日本ハムの伊藤大海も昨季はルーキーながら10勝9敗、防御率2.90をマーク。東京五輪にも出場するなど高い実力を証明している。

他にも史上最多50ホールドを挙げたヤクルト・清水昇、メジャーから復帰した巨人・山口俊、昨季23セーブのDeNA・三嶋一輝ら一軍で活躍する投手が揃っている。

巨人の初代「17」は沢村栄治

1リーグ時代の1935年から、巨人の背番号「17」はエース格の選手が着用している。1935年に初代「17」を背負ったのは沢村栄治だった。沢村は永久欠番になっている背番号「14」のイメージが強いが、最初に背負ったのは「17」だった。その後、300勝投手スタルヒン、史上初の完全試合を達成した藤本英雄らに受け継がれた。

近年では1987年に槙原寛己が「54」から変更し、2001年の引退まで背負い続けた。槙原も完全試合を達成しており、巨人の背番号「17」から2人の完全試合達成者が生まれたことになる。

槇原以降は高橋尚成、東野峻、大竹寛らが継承し、2022年から山口俊が「99」から変更して受け継いだ。

「史上最高のサブマリン」山田久志

史上最高のサブマリンと称される山田久志は阪急で「17」を背負った。アンダースローの投手ではプロ野球史上最多となる284勝をマークするなど、阪急の黄金時代を支えた名投手だ。

山田は1968年ドラフト1位で富士製鉄釜石から阪急入りし、背番号「25」で現役生活をスタート。プロ入り2年目の1970年に50試合に登板し10勝をマークすると、同年から1986年まで17年連続2ケタ勝利を達成している。

「17」に変更した1971年には22勝6敗、防御率2.37の好成績を残し、最優秀防御率のタイトルを獲得。その後も最多勝3回など数々のタイトルを獲得した。1976年から1978年まで3年連続パ・リーグMVPを受賞。これは日本プロ野球タイ記録(もう1人は1994年から1996年のイチロー)でもある。

現役引退した1988年オフに阪急は身売りし、オリックスへ親会社が変更。そのために偉大な記録を残したにも関わらず、背番号「17」は永久欠番にならなかった。

引退後はオリックス、中日でコーチを務め、中日では監督にも就任したが、背番号「17」は着用しなかった。現在、オリックスでは増井浩俊が背負っている。

大洋初優勝の立役者・秋山登

DeNAの前身、大洋で大エースとして活躍し、1960年の初優勝時に21勝をマークした秋山登も「17」だった。

明治大学時代に通算33勝を挙げて1956年に大洋入団。プロ入り1年目から25勝25敗、防御率2.39の成績を残し新人王を受賞した。その後1964年まで9年連続で50試合以上に登板し、いずれの年も2ケタ勝利をマーク。1960年には21勝10敗、勝率.677、防御率1.75の成績で最高勝率、最優秀防御率のタイトルを獲得し、チーム史上初の優勝に大きく貢献した。

1967年に現役を引退するまでに通算193勝をマークし、引退後は監督も務めている。監督時は背番号「17」ではなく、17を逆さにした「71」を着用した。秋山は2000年に亡くなったが、その4年後に野球殿堂入りも果たしている。

秋山の引退以降、「17」は斉藤明夫、盛田幸希らが受け継いだ。現在は2012年ドラフト2位で入団した三嶋一輝が背負っている。

松岡弘から受け継がれるヤクルトの背番号「17」

ヤクルトのエースとして長らくチームを支えた松岡弘は、1967年ドラフト5位で三菱重工水島からヤクルトの前身、サンケイに入団。入団当初の背番号は「25」だった。

ルーキーイヤーの1968年は2試合の登板に終わったが、オフに背番号「17」へ変更すると、1969年に43試合の登板で8勝をマーク。1971年に初の2ケタ勝利となる14勝を挙げ、投球回数もリーグ最多の281.2回を記録した。その後も6年連続で2ケタ勝利をマークするなど、ヤクルトのエースとしてチームを支え、通算191勝を挙げている。

優勝した1978年には16勝11敗、119奪三振、199.1回、11完投(4完封)、防御率3.75の成績で、タイトルには届かなかったものの沢村賞を受賞。これが自身初の栄誉となった。それから2年後の1980年に初のタイトルとなる最優秀防御率を獲得した。

1985年にユニフォームを脱いだ後は、川崎憲次郎が背番号「17」を継承。川崎は通算88勝をマーク、巨人キラーとして活躍した。

その後、新人王を獲得した川島亮、クリス・ラルーらが着用。2015年からはFAでロッテから移籍した成瀬善久、さらに2018年ドラフト1位の清水昇に受け継がれている。

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