プロ野球における背番号15の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号15の名選手たち


2017年現役選手の背番号「15」

背番号「14」とならび投手の番号として定着している背番号「15」。2017年各球団の背番号「15」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:メンドーサ選手(投手)
ソフトバンク:不在
ロッテ:関谷亮太選手(投手)
西武:大石達也選手(投手)
楽天:小野郁選手(投手)
オリックス:佐藤達也選手(投手)
広島:永久欠番(黒田博樹選手)
巨人:澤村拓一選手(投手)
DeNA:井納翔一選手(投手)
阪神:横山雄哉選手(投手)
ヤクルト:不在
中日:永久欠番(西沢 道夫選手)

不在:2球団
永久欠番:2球団
投手:8球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

2016年シーズン限りで現役を引退し、広島東洋カープの黒田博樹選手が背負っていた背番号「15」。広島は日本シリーズ終了後に永久欠番として制定。日本球界で最も新しい永久欠番となっている。

中日ドラゴンズの背番号「15」は西沢道夫選手がつけていたが、引退時に永久欠番となった。これが中日にとって最初の永久欠番でもある。また、西沢選手は首脳陣時代に背番号「15」を着用していた。

福岡ソフトバンクホークスの背番号「15」は、ダイエー時代に病死した藤井将雄選手がつけていた番号で、親会社が変わった今も伝統は受け継がれており、藤井選手以後誰もつけていない。

2016年に永久欠番へ!黒田博樹選手

2016年シーズン限りで現役を引退した黒田博樹選手が、広島時代に背負っていた背番号「15」は引退後に永久欠番となった。日本プロ野球史上、2017年現在でもっとも新しい永久欠番である。

黒田選手は1996年ドラフト2位(逆指名)で専修大学から広島へ入団し、その際に背番号「15」を与えられた。広島の背番号「15」は過去に安仁屋宗八選手、津田恒美選手(入団当初)らがつけていた番号でもあった。黒田選手は初年度から先発として一軍で登板、4年目となる2000年に9勝をマークしブレイクし、その後2001年から2007年までの間に2006年を除き2ケタ勝利を達成するなど、エースとして活躍した。また、2005年には最多勝(15勝)、2006年には最優秀防御率(防御率1.85)のタイトルを獲得した。

2008年からはメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキースでプレーし、7年間で79勝をマークしている。メジャーでの背番号は「18」で、7年間にわたり着用していた。

広島は黒田選手が不在の間も背番号「15」を空き番号として残すなど、最大限の誠意を表した。これが、2015年の広島復帰に繋がったひとつの理由と言えるだろう。

初代「ミスタードラゴンズ」こと西沢道夫選手

中日ドラゴンズの永久欠番で、もっとも早く制定されたのが西沢道夫選手の背番号「15」である。西沢選手は一リーグ時代の1937年に入団し、投手と野手の二刀流として初期のチームを支えていた。1940年には20勝(9敗)、1950年には46本塁打をマークしており、日本プロ野球において20勝、40本塁打を達成したのは、西沢選手ただひとりである。

二リーグ制となった後も、1952年に打率.353、98打点で首位打者、打点王に輝くなど、初代「ミスタードラゴンズ」と呼ばれていた選手でもある。

1958年シーズンをもって現役を引退しているが、その際に背番号「15」を永久欠番とすることを条件に、現役を退いたとのことを後に杉下茂氏が語っている。この条件を出されたもうひとりが服部受弘選手だった。服部選手が背負っていた背番号「10」も翌年(1960年)に永久欠番となっている。

西沢選手は、1963年から1966年までのコーチ監督時代の間も背番号「15」を背負っているのだが、なぜか監督最終年である1967年は「63」だった。

1977年に野球殿堂入りを果たしたが、体調不良もあり同年12月に56歳の若さで亡くなっている。

「炎の中継ぎ」こと藤井将雄選手

1994年ドラフト4位で、日産自動車九州から福岡ダイエーホークスへと入団した藤井将雄選手。社会人出身の即戦力投手候補ということもあり、背番号「15」と期待の番号を託された。前身球団の南海ホークスでは、日本人メジャーリーガー第1号となる「マッシー村上」こと、村上雅則選手が着用していた背番号でもある。

藤井選手はその期待に応え、1年目から中継ぎとして登板し、4年目となる1998年には48試合、翌1999年には59試合に登板し、防御率2.89と中継ぎの柱へと成長した。

しかし、1999年終了後に肺がんで入院。2000年には二軍戦で登板できるほどまでに回復したが、一軍復帰は叶わず10月13日に死去。現役選手として登録中のできごとだった。

このできごとがあり、背番号「15」は翌2001年より準永久欠番扱いとされ、その後背負った選手はいない。また、本拠地であるヤフオクドームの15番ゲートは「藤井ゲート」と呼ばれており、藤井選手が入院中に残したメッセージが飾られている。

2010年のドラフト1位たち

2010年ドラフト会議は早稲田大学の斎藤佑樹選手(日本ハム)、大石達也選手(西武)らが注目を浴びていた。高卒でプロ入りを果たした同世代の田中将大選手(ヤンキース)、前田健太選手(ドジャース)、坂本勇人選手(巨人)らは既に活躍しており、大卒組にも大いに期待がかかっていた。

そのなかで6球団競合となった大石選手や、読売ジャイアンツが単独指名を果たした澤村拓一選手が、背番号「15」を与えられた。大石選手は肩の故障もあり、1年目は登板がなく2012年に一軍デビュー。中継ぎとして24試合に登板し、防御率2.75とまずまずの成績を残す。その後、2016年シーズンまで一貫として中継ぎ起用されているが、ドラフト1位として期待された成績を残しているとは言いがたい。今後の活躍に期待がかかる。

また中央大学から巨人へと入団した澤村選手は、初年度から11勝(11敗)を挙げ新人王を獲得。翌2012年も二ケタ勝利をマークし絶好のスタートを切った。2015年にはクローザーへ転向すると36セーブをマーク。翌2016年には37セーブで最多セーブのタイトルを獲得するなど抑えに定着した。

巨人の背番号「15」は「エースのジョー」こと城之内邦雄選手や、正捕手として長きにわたり活躍した山倉和博選手が着用した番号でもあるため、澤村選手にも今後の活躍に期待が掛かる。

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