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2球団で永久欠番!プロ野球における背番号15の選手たち

2020 7/29 18:53SPAIA編集部
巨人・澤村拓一(左)とロッテ・美馬学ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「15」

投手の番号として定着している背番号「15」。2020年各球団の背番号「15」は下記の選手が背負っている。

西武:宮川哲投手
ソフトバンク:不在
楽天:ジョン・トーマス・シャギワ投手
ロッテ:美馬学投手
日本ハム:上沢直之投手
オリックス:荒西祐大投手
巨人:澤村拓一投手
DeNA:井納翔一投手
阪神:西純矢投手
広島:永久欠番(黒田博樹)
中日:永久欠番(西沢道夫)
ヤクルト:大下佑馬投手

不在:1球団
永久欠番:2球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

2016年シーズン限りで現役を引退した広島の黒田博樹が背負っていた背番号「15」は日本シリーズ終了後に永久欠番として制定された。

中日の背番号「15」は西沢道夫がつけていたが、引退時に永久欠番となった。これが中日にとって最初の永久欠番でもある。西沢は監督、コーチ時代にも背番号「15」を着用した。

ロッテはFAで加入した美馬学が楽天時代と同じ「15」を背負う。ソフトバンクの背番号「15」は、ダイエー時代に藤井将雄が病死して以降、親会社が変わった今も誰もつけていない。

2016年に永久欠番になった黒田博樹の「15」

2016年シーズン限りで現役を引退した黒田博樹が、広島時代に背負っていた背番号「15」は引退後に永久欠番となった。

黒田は1996年ドラフト2位(逆指名)で専修大学から広島に入団し、背番号「15」を与えられた。広島の背番号「15」は過去に安仁屋宗八、入団当初の津田恒美らがつけていた番号でもあった。

黒田は初年度から先発として一軍で登板、4年目となる2000年に9勝をマークし、翌2001年から3年連続、2005年から再び3年連続で2ケタ勝利を挙げるなど、エースとして活躍した。また、2005年には最多勝(15勝)、2006年には最優秀防御率(防御率1.85)のタイトルも獲得している。

2008年からはメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキースでプレーし、7年間で79勝をマーク。メジャーでの背番号は「18」で、7年間にわたり着用していた。

広島は黒田が不在の間も背番号「15」を空き番として残し、最大限の誠意を表していた。これが、2015年の広島復帰に繋がった理由のひとつと言えるだろう。

初代「ミスタードラゴンズ」こと西沢道夫

中日の永久欠番で最も早く制定されたのが西沢道夫の背番号「15」である。

西沢は1リーグ時代の1937年に入団し、投手と野手の二刀流としてチームを支えた。1940年には20勝(9敗)、1950年には46本塁打をマークしており、日本プロ野球において20勝と40本塁打を達成したのは、西沢ただひとり。1952年には打率.353、98打点で首位打者、打点王に輝くなど、初代「ミスタードラゴンズ」と呼ばれた。

1958年シーズンをもって現役を引退したが、その際に背番号「15」を永久欠番とすることを条件に現役を退いたと後に杉下茂氏が語っている。この条件を出されたもうひとりが服部受弘で、服部が背負っていた「10」も翌1960年に永久欠番となっている。

西沢は1963年から1966年までのコーチ、監督時代も背番号「15」を背負っているが、監督最終年の1967年は「63」だった。1977年に野球殿堂入りを果たしたが、体調不良もあり同年12月に56歳の若さで亡くなっている。

「炎の中継ぎ」こと藤井将雄

1994年ドラフト4位で、日産自動車九州からダイエーに入団した藤井将雄。社会人出身の即戦力投手ということもあり、背番号「15」を与えられた。前身球団の南海では、日本人メジャーリーガー第1号となる「マッシー村上」こと村上雅則が着用していた背番号でもある。

藤井は期待に応え、1年目から中継ぎとして登板。4年目の1998年には48試合、翌1999年には59試合に登板し、防御率2.89と中継ぎの柱へと成長した。

しかし、1999年終了後に肺がんで入院。2000年には二軍戦で登板できるほどまでに回復したが、一軍復帰は叶わず10月13日に死去。現役選手として登録中の出来事だった。

以来、背番号「15」は準永久欠番扱いとされ、その後背負った選手はいない。また、本拠地である福岡ドームの15番ゲートは「藤井ゲート」と呼ばれており、藤井選手が入院中に残したメッセージが飾られている。

2010年のドラフト1位たち

2010年ドラフト会議は早稲田大学の斎藤佑樹(日本ハム)、大石達也(元西武)らが注目を集めた。高卒でプロ入りを果たした同世代の田中将大(現ヤンキース)、前田健太(現ツインズ)、坂本勇人(現巨人)らは既に活躍しており、大卒組にも大いに期待がかかっていた。

その中で6球団競合となった大石や、巨人が単独指名した澤村拓一が、背番号「15」を与えられた。大石は肩の故障もあり、1年目は登板がなく2012年に一軍デビュー。中継ぎとして24試合に登板し、防御率2.75とまずまずの成績を残したが、結局プロ通算5勝6敗8セーブ12ホールドに終わり、2019年限りでユニフォームを脱いだ。

また中央大学から巨人に入団した澤村は、初年度から11勝(11敗)を挙げて新人王。翌2012年も二桁勝利をマークした。2015年にはクローザーに転向して36セーブをマーク。翌2016年には37セーブで最多セーブのタイトルを獲得した。

巨人の背番号「15」は「エースのジョー」こと城之内邦雄や、正捕手として長きにわたり活躍した山倉和博らが着用した番号。最近はやや精彩を欠く場面もあるが、まだまだ活躍が期待されている。

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