プロ野球における背番号7の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号7の名選手たち


2017年現役選手の背番号「7」

2017年各球団の背番号「7」を見渡すと、内野手、外野手問わず主砲というよりは、アベレージを残すタイプの選手が着用することが多いようだ。

2017年シーズン背番号「7」を着用している選手はこちら

日本ハム:西川遥輝選手(外野手)
ソフトバンク:中村晃選手(外野手)
ロッテ:鈴木大地選手(内野手)
西武:欠番
楽天:松井稼頭央選手(外野手)
オリックス:欠番
広島:堂林翔太選手(内野手)
巨人:長野久義選手(外野手)
DeNA:石川雄洋選手(内野手)
阪神:糸井嘉男選手(外野手)
ヤクルト:欠番
中日:森野将彦選手(内野手)

不在:3球団
永久欠番:0球団
投手:0球団
捕手:0球団
内野手:4球団
外野手:5球団

3球団が欠番となっている背番号「7」。内野手、外野手のバランスはよく、若手選手が実績を残し主力になった際への昇格番号として使われることも多い番号だ。

埼玉西武ライオンズは脇谷亮太選手(現巨人)が2015年シーズン終了後に移籍したことで空き番となった。

オリックス・バファローズは糸井嘉男選手(現阪神)が2016年シーズン終了後にFAで阪神タイガースへ移籍。2017年シーズンは空き番のままとなっている。

東京ヤクルトスワローズも2016年シーズンまで田中浩康選手(現DeNA)が着用。退団したことで空き番号となった。

「世界の福本」こと福本豊選手

プロ野球において最多盗塁記録保持者でもある福本豊選手(元阪急)は、1968年ドラフト7位で松下電器から阪急ブレーブスへと入団。入団当時は背番号「40」を与えられており、2年目にレギュラーを獲得し盗塁王(75盗塁)を獲得。翌1971年も2年連続となる盗塁王(67盗塁)に輝くと、1972年から背番号「7」となった。

背番号を変更した1972年には、2017年現在も日本記録となっているシーズン106盗塁をマークしている。当時は、メジャーリーグ記録が104盗塁となっており世界記録にもなった。以降も俊足・巧打のリードオフマンとして活躍し、13年連続盗塁王となるなど20年間の現役生活において1065個の盗塁を積み上げた。また、115三塁打も日本記録となっている。

福本選手は「盗塁するためには、まず塁に出ることが大事」とも語っており、主に打撃を重視していた。一方で選球眼もよく、6シーズンでリーグ最多四球を獲得している。現役引退後の2002年には野球殿堂入りも果たし、背番号「7」は準永久欠番扱いとなっていたが、阪急からオリックスに親会社が変わったことでそれも消滅した。

広島一筋!野村謙二郎選手

駒澤大学から1988年ドラフト1位で広島東洋カープへと入団した野村謙二郎選手は、入団当初から期待は大きく、一桁の背番号「7」を与えられた。その野村選手は2年目となる1990年にレギュラーへ定着し、33盗塁で盗塁王に輝く。翌1991年も2年連続で盗塁王(31盗塁)のタイトルを獲得し、リーグを代表する選手へと成長した。

1995年には、生涯唯一の30本塁打超えとなる32本塁打をマークし、打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成している。2005年まで現役を続け2020安打を積み上げ、名球会入りも果たしている。

現役引退後は野球解説者を務めていたが、2010年に監督として広島に復帰し、その際に背番号は現役時代の「7」を重ね「77」とした。自身が監督期間中に、それまで空き番号となっていた「7」を堂林翔太選手へ禅譲している。監督期間中に優勝を果たすことはできなかったが、2013年にチーム史上初のクライマックスシリーズ進出を果たしており、翌2014年も2年連続でのクライマックスシリーズ出場を果たした。2014年で監督を退任しているが、2016年リーグ優勝の地盤を作ったといえる。

その後はテレビ解説等で活躍しているが、1966年生まれでまだ若いということもあり、再び監督として現場に戻ってくる可能性はあるかもしれない。

史上最強のスイッチヒッター!ミッキー・マントル選手

メジャーリーグにおいて史上最強のスイッチヒッターとして、名前が挙がるミッキー・マントル選手。メジャー通算536本塁打は、スイッチヒッターとして史上最多で、MVPを3回受賞している偉大な選手だ。

そのマントル選手は、1951年に背番号「6」でニューヨーク・ヤンキースでメジャーデビューしている。後に背番号を「7」に変更し、それは現役引退となる1968年まで変わることはなかった。

1950年代のヤンキースは、マントル選手ともうひとりの本塁打打者であったロジャー・マリス選手が在籍しており、ふたりの頭文字を取って「MM砲」として他球団から恐れられていた。

1956年には打率.353(533打数188安打)、52本塁打、130打点の成績で三冠王を獲得している。それはスイッチヒッターとして史上初めてのできごとで、通算で本塁打王4回、首位打者1回、打点王1回を獲得している。

輝かしい実績を残したマントル選手の背番号「7」は、引退の翌年にヤンキースで永久欠番として制定された。またアメリカ野球殿堂入りも、資格取得初年度に入会を果たしている。

主力選手へと受け継がれる巨人の背番号「7」

巨人の背番号「7」は主力選手に受け継がれているのが特徴だ。1951年に与那嶺要選手がつけ、1970年には「赤い手袋」こと柴田勲選手が背番号「12」からの変更で着用。その後スミス選手を挟み、1986年からは大ケガはあったものの吉村禎章選手が「55」から「7」となり、主力として活躍している。吉村選手は1998年に引退したが、同年ドラフト2位(逆指名)で入団した二岡智宏選手が受け継いだ。

二岡選手は2008年まで「7」を着用し、強打の遊撃手として実績を残している。2009年は空き番号となったが、2010年からはドラフト1位ルーキーの長野久義選手が背負うことになる。長野選手は巨人愛を貫き、ロッテと日本ハムのドラフト指名を拒否し、3度目の正直で入団を果たした苦労人でもある。その長野選手に巨人は、誠意を表す意味も含め、背番号「7」を与えたのだ。

その誠意に答えるように、入団2年目の2011年には打率.316(519打数164安打)で首位打者、翌2012年には173安打で最多安打のタイトルを獲得し、2013年には第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表にも選出されている。

巨人の王貞治選手の背番号「1」や長嶋茂雄選手の背番号「3」などが永久欠番となっていることは有名だが、このように名選手へ引き継がれる背番号も存在する。

長野選手には、この背番号「7」が更なる伝説の番号として引き継がれるよう、素晴らしい活躍をして欲しい。

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