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プロ野球における背番号7の名選手たち

2017 9/13 14:03cut
野球,ボール
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広島一筋の野村謙二郎選手

駒澤大学から1988年ドラフト1位で広島東洋カープへと入団した野村謙二郎選手は、入団当初から期待は大きく、一桁の背番号「7」を与えられた。その野村選手は2年目となる1990年にレギュラー定着し、33盗塁で盗塁王に輝く。翌1991年も2年連続で盗塁王(31盗塁)のタイトルを獲得し、リーグを代表する選手へと成長した。

1995年には、生涯唯一の30本塁打超えとなる32本塁打をマークし、打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成している。2005年まで現役を続け2020安打を積み上げ、名球会入りも果たしている。

現役引退後は野球解説者を務めていたが、2010年に監督として広島に復帰し、その際に背番号は現役時代の「7」を重ね「77」とした。自身が監督期間中に、それまで空き番号となっていた「7」を堂林翔太選手へ禅譲している。監督期間中に優勝を果たすことはできなかったが、2013年にチーム史上初のクライマックスシリーズ進出を果たしており、翌2014年も2年連続でのクライマックスシリーズ出場を果たした。2014年で監督を退任しているが、2016年リーグ優勝の地盤を作ったといえる。

その後はテレビ解説等で活躍しているが、1966年生まれで年齢的にも再び監督として現場に戻ってくる可能性はあるかもしれない。

史上最強のスイッチヒッター ミッキー・マントル選手

メジャーリーグにおいて史上最強のスイッチヒッターとして、名前が挙がるミッキー・マントル選手。メジャー通算536本塁打は、スイッチヒッターとして史上最多で、MVPを3回受賞している偉大な選手だ。

そのマントル選手は、1951年に背番号「6」でニューヨーク・ヤンキースでメジャーデビューしている。後に背番号を「7」に変更し、それは現役引退となる1968年まで変わることはなかった。

1950年代のヤンキースは、マントル選手ともうひとりの本塁打打者であったロジャー・マリス選手が在籍しており、ふたりの頭文字を取って「MM砲」として他球団から恐れられていた。

1956年には打率.353(533打数188安打)、52本塁打、130打点の成績で三冠王を獲得している。それはスイッチヒッターとして史上初めてのできごとで、通算で本塁打王4回、首位打者1回、打点王1回を獲得している。

輝かしい実績を残したマントル選手の背番号「7」は、引退の翌年にヤンキースで永久欠番として制定された。またアメリカ野球殿堂入りも果たしている。

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