国内通算7人目の200セーブ達成
大記録達成の瞬間を待ちわびたファンの前で、オリックスの平野佳寿が金字塔を打ち立てた。2日のDeNA戦でリーグトップの15セーブ目を挙げ、国内通算7人目となる200セーブをマーク。岩瀬仁紀(中日)、佐々木主浩(横浜)、藤川球児(阪神)ら名だたるクローザーと並び、球史に名を刻んだ。
2点リードの九回。オリックスの守護神は敵地・横浜スタジアムのマウンドに上がり、いつもと同じように鋭い眼光を打者へ向けた。ただ、幾多の修羅場をくぐり抜けてきたベテラン右腕は、「いつもより高揚していた」と心が波立っていた。それでも、自らをコントロールし、持ち味を発揮した。
先頭打者は、この日、先制のソロ本塁打を放っている蝦名達夫。その初球、134キロのフォークボールが決まる。2球目以降は全て真っすぐで押し、149キロで空振り三振に仕留めた。続く、宮崎敏郎は150キロの直球で内野ゴロに打ち取り、最後は4番の牧秀悟から空振り三振を奪って試合を締めくくった。
表情の和らいだ平野佳寿が、ヒーローインタビュー用のマイクを握る。「ここまで来られるとは思ってもみませんでしたし、僕一人の力では絶対にできなかった記録なので、関わってくださった皆さんに感謝したいですし、この場にこうしていられるのも応援してくださる皆さんのおかげです」。敵味方の垣根を越え、スタンドに拍手の輪が広がった。
フォークボールは肘への負担を考慮して大学4年まで封印
決して、野球エリートではない。甲子園の出場経験はあるものの、京都・鳥羽高では控え投手。進学した京都産業大で指導を受けた勝村法彦・前監督のもと、眠っていた才能が大きく花開いた。
関係者によると、猫背だった平野佳寿は勝村さんの指導で姿勢をただすことから始め、歩き姿から意識を変えたという。投球に関しては、体を真っすぐに使えないとスムーズな体重移動ができず、力のある球を投げられないという勝村さんの教えを実直に守った。
直線の上を鼻筋が重なるように走ったり、試合のイニング間には姿勢を整えるため、ベンチ裏でバランスボールに乗ったりもした。軸足にしっかり体重を乗せて投げられるフォームになったことで、球速もキレも以前とは比べものにならないほど、レベルアップした。
大学時代は1年の夏まで変化球を封印し、直球と制球力を磨き続けた。平野佳寿の代名詞とも言える落差の大きいフォークボールは肘への負担を考慮し、4年になるまで投げなかったというから驚きだ。
関西六大学リーグでマークした通算36勝、404奪三振の記録は、いまだに破られていない。即効性のない練習をコツコツと地道にできる。その積み重ねが今につながっているのだろう。
岡田彰布元監督に見出されてクローザー転向、見えてきた名球会
先発としてプロ野球選手としてのスタートを切ったが、転機になったのは、入団5年目の2010年だ。当時の監督で、阪神監督時代も藤川球児の適正を見いだした岡田彰布氏に見込まれた。
その年の7月28日に行われた日本ハム戦でプロ初セーブをマーク。14年には40セーブを挙げ、最多セーブのタイトルを獲得した。200セーブ達成者では唯一の現役で、38歳2か月はプロ野球史上最年長。まさしく、無事これ名馬だ。
「気持ちの切り替えが早いし、真っすぐもフォークも腹をくくって真ん中に放れるのが最大の強み」。球団関係者は、飛躍の理由をこんな言葉で表す。
プロ17年目。日米通算のセーブ数は208となり、名球会入りも現実味を帯びてきたが、平野佳寿が見据える目標は変わらない。
「いつも言っていますが、目指すのはチームの勝利だけ。だから、記録はおまけみたいなものだと思っている。優勝に向け、これからも投げていきたい」。150㌔の直球とフォークボールで打者をねじ伏せ、リーグ連覇を願うファンにこれからも勝利を届けていくつもりだ。
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