ヤクルト石川雅規はあと24勝
200勝が打者の2000安打と並ぶ「投手の生涯的な目標」になったのは、1978年に日本プロ野球名球会が発足し、その入会基準として「200勝」「2000安打」を設定してからだろう(のち250セーブも入会基準となる)。もちろんそれ以前から「節目の数字」として意識されてはいたが、名球会発足以後はよりその価値が高くなった。
現在、NPB単独の通算200勝投手は400勝の金田正一を筆頭に24人いる。しかし現役では1人もいない。
現役投手のNPB勝利数10傑が下記の表だ。西武の松坂大輔は今季限りの引退を表明したが、現役投手に含めている。
ヤクルトの石川雅規があと24勝まで迫っている。松坂世代より1学年上の41歳だが、今季も3勝。大台突破に果敢に挑んでいるが、かなり高いハードルであるのは間違いない。
続いて楽天の涌井秀章があと50勝、さらに松坂世代のソフトバンク・和田毅があと58勝と続いているが、200勝クリアが相当苦しいのは事実だ。
分業制やローテーションの確立、メジャー挑戦が要因
平成以降、200勝達成投手は村田兆治(ロッテ1989年5月13日)、北別府学(広島1992年7月16日)、工藤公康(巨人2004年8月17日)、山本昌(中日2008年8月4日)と4人いるが、山本昌以降13年も出ていない。また、平成以降のデビューでNPB通算200勝に到達した投手はいない。
なぜ、近年の投手は200勝に到達しなくなったのか?これは近年のプロ野球の変化が大きく影響している。
1.先発、救援の分業制確立
金田正一、稲尾和久など昭和中期の大投手は先発の合間に救援でも投げて勝利を挙げていた。1961年、西鉄の稲尾和久がNPBタイのシーズン42勝を挙げた時は、先発で24勝のほか救援で18勝を挙げていた。しかし現在では、先発投手が救援を掛け持ちすることはほとんどなくなった。
2.ローテーションの確立
かつての先発投手は中1日、2日で登板することも珍しくなかったが、今ではローテーションが確立されている。中6日が基本となっているため、シーズンの登板数は143試合制で25~27試合となる。最多勝は近年15勝前後だが、200勝を挙げるには最多勝に近い15勝を14シーズンも続けなければならない。かなり厳しくなっている。
3.トップクラスのMLB挑戦
1995年に野茂英雄が近鉄からドジャースに移籍して以降、各球団のエース級の投手の多くが、全盛期にMLBに移籍するようになった。このため、NPBのキャリアは100勝前後で中断することが増え、NPB単独での200勝はさらに難しくなっている。
これを考慮して、名球会は「日米通算」も入会資格に含めている。ただし「日本で初勝利を挙げてからの起算」となる。MLBで199勝を挙げた投手がNPBで1勝しても入会資格は与えられない。
楽天・田中将大はあと19勝
引退した投手で、日米通算150勝以上を記録した投手は5人いる。
名球会まで到達したのは黒田博樹と野茂英雄の2人だ。黒田は広島で103勝を挙げたのちにMLBにわたり79勝を挙げてから再び広島に復帰。2シーズンで21勝を挙げて野茂英雄以来の「日米通算200勝」をマークした。
現役投手の日米通算勝利数ランキングが下の表だ。
今季から楽天に復帰している田中将大は、日米通算ではあと19勝で200勝。大台が見えてきている。今季は勝ち星に恵まれないが、32歳の若さを考えれば十分に可能だ。
パドレスのダルビッシュもあと29勝、サイ・ヤング賞を争うクラスの投手なので、順調にいけば3年後くらいには達成可能だろう。
松坂大輔は松坂世代のフラッグシップ選手として大いに期待されたが、日米通算170勝で終わった。なお、松坂の日米通算170勝108敗2セーブは、奇しくも岩隈久志の記録と全く同じだ。
ツインズの前田健太も、MLBで先発投手として定着している。このまま投げることができれば大台到達も夢ではない。
日米通算記録はNPBの公式記録ではないが、現在のプロ野球を語る上では重要な評価基準になっている。次の200勝投手は誰になるだろうか?
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