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中村悠平がヤクルト15年ぶり「27」復活、歴代名捕手の背番号の系譜

2021 12/20 11:00山田ジョーンズ
ヤクルトの中村悠平,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

中村悠平と古田敦也の関係

ヤクルトの中村悠平が来季から背番号を「27」に変更することになった。選手兼任監督だった古田敦也が引退した2007年以来、空き番になっていた「準永久欠番」が15年ぶりに復活する。

古田は1990年から2007年まで実に18年間本塁を死守したが、プレーイングマネージャー時代は米野智人、小野公誠、福川将和らもマスクをかぶった。

中村が入団したのは古田プレーイングマネージャー退任2年後の09年。余談だが、あだ名は「ムーチョ」。独身寮で大好きなスナック菓子「カラムーチョ」をよく食べていたことに由来する。

高校出のプロ1年目に韋駄天・鈴木尚広(巨人)の二盗を刺したことから、肩の強さには若いころから定評があった。その後レギュラーに定着し、15年のリーグ優勝時にベストナインとゴールデングラブ賞に輝くが、以降リードに悩むことが多くなった。

高津臣吾監督と古田の縁で、21年春季キャンプに古田が臨時コーチとして参加。古田は中村に「捕手で勝つんだ」と、古田イズムを注入した。シーズン中、高津監督は古田に「おかげで中村のリードがよくなりました」と都度、報告したという。

中村は日本シリーズMVP・べストナイン・ゴールデングラブ賞に輝き、背番号は「52」から今年変更した「2」、さらに来季から古田の「27」を背負うことになったのである。

球団の背番号の決め方

ヤクルトの「背番号の系譜」的なものがある。「1」はチームの顔。若松勉、池山隆寛、岩村明憲、青木宣親、山田哲人と受け継がれてきた。

「17」は右のエース格。通算191勝・松岡弘、沢村賞・川崎憲次郎、新人王・川島亮、そして今季ホールド記録を樹立した清水昇、といった具合だ。

「27」はゴールデングラブ賞6度の強肩・大矢明彦が背負っていた。その27を背負った古田は捕手初の「新人ゴールデングラブ賞」受賞の快挙を成し遂げるのだが、アマチュア時代はゴールデングラブ4度の強肩・梨田昌孝(近鉄)に憧れていて、プロ入り時に「梨田さんの背番号8+野村克也監督の背番号19=27。とても気に入っています」とご満悦だった。

球団の背番号の決め方として、退団で空き番になった選手の背番号を付ける、または投手なら投手、捕手なら捕手で伝統のある番号を譲り受けたりするが、それに見合う選手が現れなければ空き番のままにしておく。だから古田退団後、準永久欠番扱いになっていた27は、07年以来の復活ということになる。

巨人には「1」王貞治、「3」長嶋茂雄、「4」黒沢俊夫、「14」沢村栄治、「16」川上哲治、「34」金田正一の6つが永久欠番になっているが、ヤクルトに永久欠番はない。

過去の名捕手の背番号

各時代に「名投手」はいるが、「名捕手」と称される捕手は投手ほど多くはない。それだけ経験を要するポジションなのだ。代表的な捕手の背番号を挙げる。

セ・リーグは土井垣武(阪神)19、森昌彦(巨人)27、田淵幸一(阪神)22、大矢明彦(ヤクルト)27、達川光男(広島)40、中尾孝義(中日)9、中村武志(中日)39、古田敦也(ヤクルト)27、谷繁元信(中日)27、阿部慎之助(巨人)10、矢野燿大(阪神)39。

パ・リーグは野村克也(南海)19、梨田昌孝(近鉄)8、伊東勤(西武)27、中嶋聡(オリックス)27、城島健司(ソフトバンク)2、里崎智也(ロッテ)22、甲斐拓也(ソフトバンク)19。

背番号「2」は高校野球から来ている。背番号「9」が捕手の番号として受け継がれるのは、戦後甲子園で活躍して巨人入りした藤尾茂という大物捕手がいたことに由来する。

背番号「22」は王貞治から本塁打王を奪った田淵幸一。背番号「27」は伝説の大投手・沢村栄治とバッテリーを組んだ吉原正喜からV9捕手・森昌彦が引き継いだ。背番号「39」は60年大洋日本一の正捕手・土井淳だ。

背番号は伝統を受け継ぐのはもちろんだが、自分なりの色を出して、その選手の「代名詞」となっていく。中村は来季以降、27を自分色に染めることができるか注目だ。

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