「昔は現金を入れた封筒が立った」
プロ野球のシーズンオフと言えば契約更改が大きな話題になる。大幅アップを勝ち取った選手が喜色満面でポーズを取るのは恒例行事だ。
今から35年前の1986年、2年連続三冠王を達成した落合博満(ロッテ)はオフに中日へのトレードが決まった。このときの年俸1億3000万円(推定)が「日本球界最初の年俸1億円超え」と言われている。
しかし、その「定説」を覆す発言を聞いたことがある。「年俸1億円はONや落合じゃなくて、実はオレだ。昔は月給を現金でもらっていたから封筒が立ったもんだ。気持ちよかった」。そう自慢げに話したのは故・野村克也氏だ。
「プレーイングマネージャー代も込み」との但し書きがつくそうだから、リーグ初優勝を遂げた73年のオフだと推測される。
73年ならもう半世紀も前。ちなみに王貞治(巨人)の最高年俸は80年の8160万円(推定)とされている。
その話をしたとき、73年に12勝を挙げてエースとして貢献した江本孟紀が「僕がプロ入り2年目に南海移籍したときの年俸が160万円。野村監督が乗っていた高級車リンカーンのタイヤ1個分だった」と苦笑していた。
2021年の年俸1億円以上は外国人を含めて113人。少し前までは「超一流の証」だったが、今では決して珍しくない。やはりプロ野球には夢がある。庶民にとっては羨ましい限りだ。
サッチーがノムさんにクレジットカードを渡した理由
1990年、ヤクルト監督就任当時の野村監督の愛車はベントレーだった。野村監督は「インタビュー取材の謝礼は手渡しでもらえないか。銀行振り込みだと女房の手に渡ってしまう。だから、このクルマのガレージにヘソクリを隠しておくんだよ」。そう冗談めかして話した。
野村監督は「サッチーに財布の紐を握られている」とか「オレはサッチーの支配下選手だから」と自虐していたが、おカネには無頓着だった。サッチーにキャッシュカードではなく、クレジットカードを持たされていた。
「オレはキャッシュカードの使い方が分からなくてなあ。なんでオレ以外は機械からおカネが出てくるか不思議だったよ。まあ、クレジットカードで買い物ができるからよかったけど。クレジットカードなら明細が家に届いて、オレが何を買ったかサッチーは分かるものな」
年俸アップで外車を買うのがステータス?
1987年、ヤクルトのドラフト1位・長嶋一茂は契約金8000万円、年俸840万円(いずれも推定)で入団した。
ヤクルトレディが1本100円くらいの飲料を一軒一軒届けている。当時のヤクルト選手は慎ましやかに国産車で、外車禁止という忖度があったのだが、一茂は国産で最高級車だったソアラを購入して、先輩たちに冷ややかな目で見られていた。
今年プロ2年目で13勝を挙げ、年俸870万円から5000万円(いずれも推定)に大幅アップを果たした宮城大弥(オリックス)は、「免許は持っていないけど、外車を買いたい」と記者会見で話した。クルマがプロ野球選手の一つのステータスというのは、昭和も令和も変わらないらしい。
契約更改交渉を担当していた某球団取締役が複雑な胸中を吐露したのを覚えている。
「例えば、年俸1億円の選手と年俸1000万円の選手が初めて打率3割を打ったとき、1億円の選手を10%アップさせると1億1000万円、1000万円の選手を100%アップさせても2000万円。一見、理にかなっているようにも感じるが、何を根拠と尺度に10%と100%アップなのか。アップ率のフォーマットを作ろうと思ったが、各選手条件が違うので一律にあてはめるのは難しすぎる」
アップとダウンは千差万別。納得と理不尽。羨望と嫉妬。だから契約更改交渉が世間の注目を集めるのかもしれない。
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