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「下剋上球児」の舞台・三重県高校野球の歴史 春夏とも甲子園優勝

2023 12/17 06:00SPAIA編集部
イメージ画像,ⒸmTaira/Shutterstock.com
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「下剋上球児」のモデルは2018年の白山高校

TBS系列で毎週日曜午後9時から放送されているドラマ「下剋上球児」は17日に最終回を迎える。弱小野球部が様々なトラブルを乗り越えて勝ち進むという単純明快でドラマチックなストーリーが話題を呼んでいるが、実はそのモデルとなった高校がある。

原案となっている菊地高弘氏の「下剋上球児」(カンゼン刊)は、2018年に甲子園初出場を果たした三重県立白山高校の軌跡を描いたノンフィクション。2013年に東拓司監督(当時)が就任した当時は部員が5人しかいなかった山間部の公立校が、夢の甲子園に出場するという嘘のようなホントの話だ。

三重県の高校野球と言えば、甲子園の常連でもある三重高校が有名。近年は津田学園やいなべ総合も躍進している。改めて三重県高校野球の歴史を振り返ってみたい。

1955年夏の甲子園で四日市が三重県勢初優勝

あまり知られていないが、実は1915年(大正4年)に大阪・豊中グラウンドで行われた第1回全国中等学校優勝野球大会、今で言う「夏の甲子園」に三重県から出場している。

三重四中(現宇治山田)が初戦で秋田中(現秋田)に1-9で敗戦。優勝は決勝で秋田中に延長13回サヨナラ勝ちした京都二中(現鳥羽)だった。

戦前の出場はこれが最初で最後。次に甲子園に出場したのは1947年センバツの富田中(現四日市)だった。この時は田辺中 (現田辺)に2-22で大敗したが、四日市に校名変更後の1955年には夏の甲子園で快進撃。準決勝で中京商(現中京大中京)、決勝で坂出商を破って全国制覇を果たした。これが三重県勢としては夏の甲子園唯一の優勝となっている。

その後、1950年代後半から60年代前半に春夏2回ずつ出場したのが松阪商。ドラマのモデルとなった白山高校が、2018年夏の三重県大会決勝で勝った相手でもある。

1966年には三重がセンバツ制覇

1965年夏には海星が夏の甲子園に初出場。甲子園で対戦経験もある長崎海星とは全く無関係だが、その後春2回、夏11回の出場を果たし、ベスト8に進出したこともある県内屈指の強豪となった。

翌1966年に春夏連続で初出場したのが三重。3年後の1969年センバツでは初戦から向陽(和歌山)、平安 (現龍谷大平安・京都)、尼崎西(兵庫)、浪商(現大体大浪商・大阪)と近畿勢に4連勝し、決勝では堀越(東京)を破って優勝した。

これがセンバツでは三重県勢唯一の優勝。三重は2014年夏の甲子園でも決勝で大阪桐蔭に敗れたものの準優勝するなど、春13回、夏14回の甲子園出場を果たしている。

1980年代には明野が台頭。1988年センバツを最後に甲子園から遠ざかっているが、春3回、夏5回の出場を果たした。ソフトバンクなどで活躍した大道典良も同校の出身だ。

高校野球ファンの脳裏に焼き付いているのが1991年に初出場した四日市工ではないだろうか。3回戦で上田佳範を擁する松商学園と対戦し、エース井手元健一朗が延長16回にサヨナラ押し出し死球をぶつけて敗れるという劇的な結末だった。井手元は同年ドラフト5位で中日に入団した。

西勇輝を擁して2008年夏の甲子園に出場した菰野

阪神の西勇輝が菰野のエースとして夏の甲子園に出場したのが2008年。初戦で仙台育英に1-4で敗れたが、西は同年ドラフト3位でオリックス入りし、通算118勝を挙げている。2018年の白山高校も3回戦で菰野を破っており、この時2年生だったのが現中日の岡林勇希だった。

2016年以降は三重、津田学園、いなべ総合の3強で甲子園を独占しており、2018年の白山は異彩を放っている。そのほか、宇治山田商、相可、桑名西なども三重県の高校野球史を彩ってきた。

名前を聞くだけで当時の思い出が甦るのも長い歴史を誇る高校野球の魅力。ちなみに2023年の秋季東海大会では宇治山田商が4強入りしており、2024年センバツに選ばれる可能性もある。新たに生まれるドラマを楽しみに待とう。

三重県勢の甲子園出場回数ランキング


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