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帝京高・前田三夫名誉監督はなぜ全国有数の強豪校に育て上げられたのか

2022 9/2 06:00小山宣宏
帝京高校の前田三夫名誉監督,Ⓒ上野裕二
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Ⓒ上野裕二

全国制覇3回、甲子園通算51勝の希代の名将が初めて明かす

50年間、帝京高校を率いてきた前田三夫氏が、『いいところをとことん伸ばす』(日本実業出版社)を7月15日に上梓した。まったくの無名校だった帝京を、全国有数の強豪校に育て上げたそのノウハウについて、余すことなく書き綴っている。今回は帝京がなぜ強豪校になっていったのか、その理由について本書から抜粋して紹介する。

隠れた素質を見抜き、最大限の力を見出す

どんなに実力が自分より劣っていても、その後の努力次第で自分自身のレベルをワンランクもツーランクも上げることができる。私が50年間、選手を指導して発見したことです。

私は一時期、マスコミを通じて「勝利至上主義の野球」と報道されていたことがありました。「勝つためには手段を選ばない」、そう言われたこともあります。

たしかに甲子園での優勝を目標に置いて選手を鍛え込んでいたのは事実ですが、これには大きな理由があるのです。

それは帝京に来る選手が、完成されていなくて荒削りな面が多かったから。

全国の強豪校には完成された選手を獲得するだけのノウハウの備わった学校もありますが、帝京に来るのは荒削りな選手ばかりです。こうした選手のレベルを引き上げるには、日々の練習の積み重ねしかありません。

勉強に例えるとお分かりかと思いますが、偏差値50の学生が偏差値70以上の学生と肩を並べるには、相応の勉強量が必要となってきます。つまり偏差値50の学生のレベルを上げるには、猛勉強することでその差を埋めていくことが最大の近道といえます。

野球も勉強と一緒です。まだ荒削りな選手がすでに完成された選手と肩を並べるには、走攻守の総合的なレベルアップが必要となってくる。そのうえでチームプレーを身につけ、状況に応じた野球を繰り広げていくことで、自分より力量が上の選手たちと対等に戦えるレベルに達していけるわけです。

たとえば試合において「送りバントを1球で決める」「スコアリング・ポジションに走者を進めたら、確実に点を取りに行く」ということは、頭ではわかっていても、実際は容易ではありません。

いかに「正しい努力」を身につけさせるか

そうは言っても、「春夏合わせて3度の甲子園優勝の経験があるのだから、選手のレベルだってそれなりに高かったのではないか?」と疑問に持たれる方もいるかもしれません。けれども80年代から90年代後半にかけて、帝京からドラフト指名された選手を見てください。高校から直近でドラフト1位指名された選手はゼロ、社会人を経由して1位指名されたのは、伊東昭光ただ一人だけです。

85年春のセンバツで準優勝した小林昭則は筑波大学を経て89年のドラフトでロッテに2位指名、87年春夏出場を果たしたときの芝草宇宙は、この年のドラフトで日本ハムに6位指名、89年夏に甲子園優勝を果たしたときのエースの吉岡雄二はこの年のドラフトで巨人に3位指名、92年春の甲子園で優勝したときの三澤興一は早稲田大学を経て96年のドラフトで巨人に3位指名、98年夏の甲子園に出場した森本稀哲はこの年のドラフトで日本ハムに4位指名と、手放しで高評価されていたわけではありません。「プロに入って努力を重ねていけば、ひょっとしたら戦力になるかもしれない」という評価だったのです。

80年代から90年代にかけてプロからドラフト1位指名された選手の多い高校と言えば、PL学園や横浜が代表的ですが、こうした学校の選手の力量と比べると帝京の選手ははるかに劣っていました。だからこそ私は、「現状の力量差を埋めるには、練習あるのみ」と考え、練習に練習を重ねた日々を過ごしていたのです。

その結果、高校からすぐにドラフト指名される選手もいれば、大学や社会人を経由して上位で指名されるような選手にまで成長していくことができた。つまり、すべては選手の努力によるところが大きいというわけです。

このとき大切なのが、「正しい方向の努力を積み重ねていく」ということ。どんなに努力をしていても、見当違いの方向では意味がありませんし、自分には合わないことを続けていても意味がありません。そのためにも指導者は、選手の特徴をつかんで、正しい方向に導くのが務めの一つであると、私は考えているのです。

いいところをとことん伸ばす

Ⓒ日本実業出版社


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