大阪桐蔭を破った下関国際が決勝進出
第104回全国高等学校野球選手権の準々決勝で、下関国際が大阪桐蔭に5対4で見事に逆転勝利を収めた。準決勝でも近江を破って初の決勝進出。仙台育英(宮城)と深紅の大優勝旗をかけて激突する。
大阪桐蔭戦の最終回は球場内が異様な雰囲気だったが、そもそも甲子園には魔物が存在するのだろうか。その真理について、『コロナに翻弄された甲子園』の著者である小山宣宏氏が、花咲徳栄の岩井隆監督に本書で聞いていたことについて抜粋して紹介する。
第104回全国高等学校野球選手権の準々決勝で、下関国際が大阪桐蔭に5対4で見事に逆転勝利を収めた。準決勝でも近江を破って初の決勝進出。仙台育英(宮城)と深紅の大優勝旗をかけて激突する。
大阪桐蔭戦の最終回は球場内が異様な雰囲気だったが、そもそも甲子園には魔物が存在するのだろうか。その真理について、『コロナに翻弄された甲子園』の著者である小山宣宏氏が、花咲徳栄の岩井隆監督に本書で聞いていたことについて抜粋して紹介する。
岩井は2001年夏に初めて甲子園に出場して以降、甲子園で勝つために必要なことは何かを考え続けていた。甲子園最多勝利監督(68勝)の智弁和歌山の高嶋仁監督はどうしてあれだけ勝てたのか。明徳義塾の馬淵史郎監督は春夏20回連続で甲子園の初戦を勝てたのはなぜなのか――。
15年は東海大相模に3対4、花咲徳栄が全国制覇した前年の16年は作新学院に2対6で敗れた。ともにその夏優勝した2校と互角に戦いながらの敗戦に、「違いは何か?」を追求していくと、1つの疑問にたどり着いた。
「観客の存在って何だろう?」
夏は白いシャツを着てスタンドから観戦している人が多い。それゆえに白い服ばかりだと白球が見えにくくなる。だからこそ、自分たちが試合をするときには白い服を着た人がどの位置に多くいるのか、スタンドを見てチェックする習慣がついた。
それだけではない。観客の声援が自分たちを応援していることがわかると、選手たちはそれまででは考えられなかった目に見えない力が途端に働き出し、とてつもない仕事をやってのけるということもたびたびあったし、外野フライが上がったときに、「ウワッ」という歓声が上がって投手が「今日は調子が悪い」と自己判断して、自ら調子を崩していくこともあった。
そうして行き着いた疑問が、「甲子園の魔物の正体とは何なのか」だった。岩井が導き出した答えは、「観客が作り出すもの」だった。
2017年の夏の甲子園。花咲徳栄はチームとして初めて決勝まで駒を進めた。対する相手は広陵。この大会で広陵の中村奨成(現広島)が、1985年の夏の甲子園でPL学園の清原和博(元西武、巨人、オリックス)がマークした一大会5本塁打の記録を32年ぶりに更新する6本塁打を記録し、この試合も中村が本塁打を打つのかに注目が集まっていた。
このとき岩井は、2つのことを考えていた。
中村と勝負するメリットとデメリット。中村と勝負しないメリットとデメリット。どれをとるべきか――。考えついた結論が、「中村と勝負するメリット」だった。
たしかに中村は一発長打がある。だが、よくよく見ると、内角から真ん中高めのボールをスタンドに叩き込んでいる。
「投手が低めをついて、投げミスさえしなければ心配ない」
こうして中村と真っ向勝負に行けば、「花咲、やるじゃないか」とスタンドの観客が応援してくれるはずだと岩井は考えていた。これとは逆に、中村を全打席敬遠しようものなら、スタンドからはブーイングの嵐となり、「広陵頑張れ」という雰囲気になっていく可能性が高かった。つまり、「中村と勝負しないデメリット」は、スタンドが広陵一色になりかねない。それだけは岩井は避けたかった。
広陵も夏の甲子園制覇は長年の悲願だった。センバツこそ3度(1926年、91年、2003年)優勝しているものの、夏は一度もない。近いところでは07年に決勝まで進出したものの、「がばい旋風」で盛り上がった佐賀北に、8回裏に満塁本塁打を打たれて逆転され、あと一歩のところで深紅の優勝旗を逃がした。それだけにこの大会は並々ならぬ思いで挑んでくることは明らかだった。
そのうえ清水達也(現中日)と綱脇慧(東北福祉大→ENEOS)の2人の投手の力量とコンディションを考えれば、2本も3本も続けて中村に長打を打たれるとは考えづらかった。このとき同時に思い浮かんだのが、岩井の前の監督だった稲垣人司の顔だった。
岩井の母校の桐光学園時代の恩師で、花咲徳栄時代はコーチとして稲垣を支えた。だが、2000年に練習試合中に心筋梗塞で急逝。野球に人生を懸けた稲垣が生前最後に遺した言葉が、「投手は逃げちゃいかん」だった。
その結果、2人の投手と捕手の須永光には、「中村とはいろんな球種を使って、彼と合っていないボールを見つけたら、その球種で勝負しなさい」とだけ伝えた。
決勝戦では花咲徳栄バッテリーはひるまず中村に攻めていった。先発の綱脇が1打席目は左中間に二塁打を打たれたものの、2打席目は三振に斬って取った。このとき、スタンドの雰囲気が「オオッ」とどよめきが起きた直後、拍手に変わった。広陵を応援する雰囲気から明らかに花咲寄りの応援に変わっていく。
5回途中から登板した清水も、中村に三塁強襲の内野安打を打たれるも、次の打席では三振、最後の打席で左中間に二塁打を打たれたが、勝負はほぼ決していた。結果、中村には2本の二塁打を含む3安打を打たれたものの、花咲徳栄が14得点を奪って広陵打線を4失点に抑え、見事に初の栄冠を手にした。
このときのスタンドは始めこそ広陵寄りの応援だったが、岩井の見立て通り中村と全打席勝負したことで、「花咲の投手は真っ向勝負を挑んでいる」という攻めの姿勢に共感し、試合の終盤には花咲寄りの応援に変わっていた。岩井はあらためて「甲子園で観客を味方につける大切さ」について学んだ。
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