「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

甲子園で減少する商業高校と増加する大学付属高校、最後の優勝校は?

2021 8/26 06:00SPAIA編集部
イメージ画像,Ⓒ7maru/Shutterstock.com
このエントリーをはてなブックマークに追加

Ⓒ7maru/Shutterstock.com

今夏は商業高校が6校出場も3回戦までに全滅

雨続きで順延の多かった高校野球もいよいよ準々決勝。前評判の高かった愛工大名電が初戦で東北学院に敗れ、東海大菅生は降雨コールド負けを喫し、菅生に勝った大阪桐蔭は2回戦で近江に逆転負けするなど、ここまでは波乱が多かったと言えるだろう。

あまり注目されていなかったが、実は今大会は久々に商業高校の出場が多かった。県岐阜商、高岡商、倉敷商、高松商、長崎商、宮崎商の6校が出場。夏の甲子園に出場した商業高校は2019年が4校、2018年も4校、2017年は1校、2016年は2校だったから、6校でも多いと言えるのだ。

しかし、新型コロナウイルスの感染者が出たため宮崎商が辞退し、3回戦までコマを進めていた高松商と長崎商も敗退。ベスト16で全滅してしまった。

1990年代から激減、夏は松山商、春は伊野商が最後の優勝

かつては甲子園で商業高校を見る機会が多かったが、最近は激減している。時代のニーズに応じて商業高校から総合的な高校に姿を変えたり、生徒数の減少によって統合されたり、様々な事情が絡み合っているのだろう。中京大中京や松商学園のように、元々「商業」だった学校が校名を変更した例も少なくない。

下の表は夏の甲子園でベスト4に入った商業高校を1950年代から10年ごとにまとめたものだ。あくまで校名に「商業」と入っている高校に限っている。

夏の甲子園で4強以上の商業高校


1950年代から70年代までは全国最多7度の優勝を誇る中京商(現中京大中京)や6度の優勝を誇る広島商、5度優勝の松山商などがたびたび上位進出。1950年代は4強以上に13校、60年代は14校、70年代は11校と全国トップレベルの商業高校が多かった。

80年代に入っても、決勝で金村義明を擁する報徳学園に敗れた京都商(京都先端科学大付)や、桑田真澄、清原和博が1年生だったPL学園に敗れて準優勝した横浜商、KKコンビが3年生になったPLに決勝でサヨナラ負けした宇部商など、4強以上は8校に減ったとはいえ、まだまだ健在だった。

ところが90年代に入ると、1994年に初優勝した佐賀商や1996年に「奇跡のバックホーム」で優勝した松山商など、4強以上は4校に激減。2000年代も4校で、しかも全て準決勝どまり。2010年代は明石商が2019年に準決勝進出したのが唯一だった。

夏の甲子園で商業高校が頂点に立ったのは、1996年の松山商が最後。センバツでは、1985年の伊野商までさかのぼる。

2000年代から急増した大学付属高校

逆に時代が進むにつれて増えてきたのが大学の付属高校。少子化の影響や経営的な観点から大学の傘下に入り、生徒自身やその親も大学進学を心配する必要がないことも増加の理由だろう。

下の表は夏の甲子園で4強以上に進出した、校名に大学名が入っている高校を10年ごとにまとめたものだ(実際は大学の付属校や系属校でも校名に入っていない学校は含めていない)。

夏の甲子園で4強以上の大学付属高校


1950年代、60年代は1校もなく、70年代になって初優勝した東海大相模や東洋大姫路が登場し、ようやく3校。80年代も1989年に1年生左腕・中川申也を擁してベスト4入りした秋田経法大付など3校だった。

90年代も森尾和貴の力投で全国制覇した西日本短大付や、1999年に岡山県勢初の決勝進出を果たした岡山理大付など4校と少なかった。

ところが2000年代から急増。2004、2005年と2連覇した駒大苫小牧や日大三、千葉経大付、京都外大西など10校が4強進出した。2010年代も東海大相模、東海大甲府、東海大菅生が躍進し、タテジマの「TOKAI」のユニフォームが甲子園を席巻。中京学院大中京など7校がベスト4入りしている。

世相を反映する甲子園。今や高校野球は各校にとって最高の広告塔であり、強豪校に、よりハイレベルの選手が集まる傾向にある。今大会は神戸国際大付がベスト8入りしており、どこまで勝ち進むか。また、今後、商業高校が全国制覇を果たす日は来るのだろうか。

【関連記事】
雨続きの夏の甲子園…中止、順延の判断基準と阪神園芸の職人技
高校野球史上2人しかいない甲子園で完全試合を達成した名投手
甲子園でサイクルヒットを達成した高校野球の「7人の侍」