「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

2センチ差で金メダルを勝ち取った小池祐貴。2位が定位置だった男が映し出すもの

2018 10/2 11:40SPAIA編集部
小池祐貴,桐生祥秀,Ⓒゲッティイメージズ
このエントリーをはてなブックマークに追加

Ⓒゲッティイメージズ

常に2位の男

アスリートの世界は光と影をはっきりと映し出す。勝者は強烈な輝きを放ち、敗れた者はその影へと追いやられる。

この夏、ジャカルタで行われたアジア大会陸上男子200メートルで、0秒002差で金メダルを獲得した小池祐貴という選手がいる。彼の存在を思うとき、この光と影のことが頭をよぎる。

小池に初めて会ったのは、2013年。彼が北海道の進学校、立命館慶祥高3年生の時だった。

彼は2位が定位置だった。当時、小池の100メートルの自己ベストは10秒38。例年なら、その年の高校王者になってもおかしくない記録だった。だが、同学年には、日本の期待を一身に背負うほどのスター選手がいた。京都・洛南高にいた桐生祥秀だ。

2013年、桐生はその時の日本歴代2位となる10秒01をマークした。圧倒的な速さだった。普通、1、2位の選手はライバル関係と呼べるが、小池にとって桐生はライバルと呼べるほど力が近くはなかった。誰も、小池と桐生がライバルだとは思えなかった。

その年の秋に愛知で行われた日本ジュニア選手権。200メートルを終えたインタビュールームでは、桐生の周りにマスコミが群がった。小池の取材をする記者はほとんどいなかった。そんな中で彼が放った言葉には、ある種の絶望にも似た感覚があった。

「ほぼ、確実に負けることが分かって試合に臨む。どうやって、モチベーションを保つかが難しい」

この年、小池は桐生に全く歯が立たなかった。100メートルはインターハイも国体も桐生に敗れて2位。200メートルもことごとく負けた。

それでも桐生に先着したい

桐生という強烈な光りは小池を悩ませた。

「彼の存在が常に練習でもちらつくんです」

それでも、小池は逃げなかった。現実から目を背けなかったし、腐りもしなかった。

「桐生が同じ世代で残念だとは思っていません。2、3年生で差が開いた。それは桐生にあって、自分にないものがあるのだと思います」

冷静に自分の置かれた状況を考えられる。小池という選手の聡明さが見えたような気がした。高校3年生で2位という地位を受け入れるのはたやすいことではない。でも、小池は考えた。

「2番だから負けたという意識だと、レースに臨むときにこれから負けにいくと思ってしまいます。だから、次はこのレベルまでいけばOKという基準をつくって臨んでいくようにしています」

時には一緒に走る桐生ではなく、目標のタイムと「勝負」することもあった。ただ、それだけではダメだとも分かっていた。

「桐生に勝たないと、世界で戦える選手になれません。自分のピークの年齢になったら、勝負したいです」

いつか、桐生に先着したい。その思いは捨てていなかった。

差をつけられた大学時代

その後、慶応大に進んだ小池だが、大学時代にスポットライトを浴びることはなかった。けがで苦しんだ時期もあり、自己記録もあまり伸ばすことができなかった。

かたや、桐生は高校時代以上にまばゆい輝きを放っていた。

2016年のリオデジャネイロ五輪では男子400メートルリレーで銀メダルを獲得。翌年には100メートルでは日本選手初の9秒台となる9秒98をマークし、日本人なら誰でも知り得るようなアスリートへと成長した。桐生と小池を映し出す陰影は、高校時代よりもコントラストを増した。ともすれば、小池はこのまま消えてしまう選手かと思われた。

しかし、小池は高校時代に語った「桐生に先着する思い」を消してはいなかった。2017年、大学4年の時、走り幅跳びの元日本記録保持者で1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪の代表だった臼井淳一氏の指導を受けるようになった。ちなみに桐生の高校時代の恩師の柴田博之氏は走り幅跳びのソウル五輪代表で、臼井氏とはライバル関係にあった。小池が臼井氏の指導を受けるというのは、ある種の因縁を感じる。

臼井氏の指導のもと、小池は練習量を増やした。ただし、スピードを落として、正しい動きや接地を身につけるようにした。これがはまった。

光と影は永遠にあらず

社会人1年目の2018年日本選手権、100メートルでは10秒17の自己ベストで桐生と100分の1秒差の4位。200メートルでは20秒42の自己ベストで2位となり、4位の桐生に先着した。

そして、200メートルでアジア大会代表となり、20秒23の自己ベストで、この種目としては日本選手12年ぶりの金メダルを獲得した。接戦を制するため、肩を突き出すようにゴールし、転倒した。

小池は「常に2位」という状況の中で、いつか自分がスポットライトを浴びる時がくると信じていた。その時はいつくるかも分からない。でも、彼は心の中の火を消さず、走り続けた。その思いが、1000分の2秒というわずか2センチほどの差を生んだ。

写真判定で優勝が決まった後、ガッツポーズする小池の姿がトラックにあった。その目には涙があった。このアジア大会、桐生は個人種目に出場できなかった。桐生の影に追いやられ続けてきた小池が、23歳にして激しい光を放った瞬間だった。

アスリートの世界は光と影を映し出す。それは間違いない。ただ、光と影は永遠ではない。時には交錯し、その光と影は入れ替わる。小池の存在が、そのことを証明している。