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【吉田沙保里と山本聖子】レスリング界のライバル関係に迫る

2017 6/13 12:41SOL
レスリング
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出典 Ahturner/Shutterstock.com

世界最高レベルにある日本女子レスリング界。金メダル獲得ラッシュに沸いた2016年のリオデジャネイロ五輪での活躍は記憶に新しい。本稿では、日本女子レスリング界の黄金期を支えた吉田沙保里選手と、彼女の強敵であり続けた山本聖子選手のライバル関係に迫る。

【レスリング・ライバル伝説】吉田沙保里選手のキャリア

吉田沙保里選手は三重県出身、レスリング選手としてのキャリアの始まりは3歳のころ。お父さんが開いていたレスリング道場でトレーニングを始めたことがきっかけだった。めきめきと実力をつけ、男子顔負けの強さを身につけるようになる。

ジュニア女子選手の頃には、国内のみならず世界的にもトップクラスの実力と評されるようになり、2000年、2001年に世界ジュニア選手権を連覇。2003年、世界選手権とワールドカップで優勝し、万全の状態で2004年に行われるアテネ五輪の選考会へと臨むこととなる。

【レスリング・ライバル伝説】山本聖子選手のキャリア

山本聖子選手は神奈川県出身、レスリング選手としてのキャリアの始まりは5歳。1964年の東京五輪に出場した山本郁榮を父に持ち、姉の美憂、兄の徳郁(のりふみ)とともにレスリング一家に生まれ育った。

10代のころからメキメキと頭角を現し、日本レスリング界を担う逸材として活躍。吉田選手よりは2歳年上だが、1999年から2003年にかけて、世界選手権の異なる3階級(51kg級、56kg級、59kg級)で4度も頂点に輝く。まさに選手として脂が乗り切った状態で、2004年に行われるアテネ五輪の選考会に挑戦することになった。

【レスリング・ライバル伝説】2004年アテネ五輪選考会で直接対決

女子レスリングはアテネ五輪から正式種目となった競技のひとつである。世界選手権では7階級に分けられていたが、オリンピックでは4階級のみの実施に決定し、レスリング大国だった日本代表選考は、メダル獲得候補をふるい落とす戦いになることを意味していた。選考会となった全日本選手権とジャパンクイーンズカップ55kg級で相対したのが吉田選手と山本選手。それまでの直接対決では、パワーに勝る山本選手が吉田選手に勝ち越していた。

しかし、この選考対象となる2大会ではいずれも決勝で対決し、吉田選手が勝利を収めることとなる。山本選手のパワーを封じたのはスピードあふれるタックル。相手の懐に素早く潜り込み、ポイントを確実に奪う戦術で吉田選手はアテネ五輪への切符を手にした。

【レスリング・ライバル伝説】吉田沙保里選手は世界最強に

天敵であり、ライバルだった山本聖子選手を破って出場したアテネ五輪で、吉田選手は悲願の金メダルを獲得。その後の活躍は周知の通りである。2008年の北京、2012年のロンドンと続くオリンピックでも金メダルを獲得し、セレモニーで日本選手団の旗手を務めるなど、まさに日本の顔として活躍する。世界選手権に至っては前人未到の10連覇を達成した。

その後「霊長類最強女子」との異名がついただけでなく、世界大会での13大会連続優勝の功績を称えられ、日本政府から国民栄誉賞を受賞するなど、まさに「向かう所敵なし」の10年間となる。

【レスリング・ライバル伝説】2016年リオ五輪でのリベンジ

2016年リオデジャネイロ五輪。ベテランの域に入った吉田沙保里選手は53kg級で日本代表に選出される。本大会でもオリンピック4つ目の金メダルを目指して勝利を重ねていった。

日本中が注目する一戦で相対したのは、アメリカのヘレン・マルーリス選手。なんと彼女のコーチをしていたのが山本聖子元選手だった。吉田選手とは異なり結婚・出産を経て2013年現役を引退。その後アメリカへ移住し、アメリカでナショナルチームのコーチとして活躍していた。山本がジュニア世代のコーチを務めていたころに指導していたのがマルーリス選手だった。

そんな吉田と山本の二人の数奇な運命が交錯する吉田・マルーリス戦は、第1ピリオドで吉田選手が1ポイントを先取。しかし第2ピリオドでマルーリス選手が4ポイントを奪い返し、逆転で金メダルを獲得。

もちろんマルーリス選手が入念な準備をしてきたことが金メダル獲得につながったことに間違いはないが、かつてのライバルだった山本選手が心血を注いで育成に努めた選手に吉田選手はオリンピック4大会連続の金メダルを阻まれ、国内外での連勝記録は206でストップさせられた形となった。

まとめ

90年代後半から2000年代にかけて熾烈な戦いを続けてきた二人だったが、ライバル関係は形を変え、奇しくも2016年、リオデジャネイロの地で人生がまた交錯することとなった。リオで金メダルを逃した吉田選手は、2020年の東京五輪を目指す意向を表明していたが、2019年に現役引退を発表。これからも両者の動向に注目したい。