川井梨紗子選手はレスリング界の“サラブレッド”
1994年11月21日に石川県津幡町に生まれた川井梨紗子選手。父親はグレコローマンレスリングの学生チャンピオン、母親は世界選手権に出場し7位の経験をもつというスポーツ一家だった。そんな両親から生まれた川井梨紗子選手は、まさにレスリング界の“サラブレッド”。母親は「金沢ジュニアレスリングクラブ」でコーチを務めており、川井梨紗子選手は小学校2年生のときにレスリングをはじめた。
母親の熱心な指導のもと練習を重ね、小学校6年生のときには「全国少年少女レスリング選手権大会」で準優勝を飾った。
環境が整った高校に進学した川井梨紗子選手
小学校を卒業し津幡町立津幡中学校に進学。3年生のときには「全国中学生選手権」で優勝。中学校を卒業後は本格的にレスリングに打ち込むため、地元を離れ練習環境が整った至学館高校に入学。高校2年生になると「全国高校女子選手権」や「ジュニアクイーンズカップ」などで優勝した。
そして活躍の場は世界へと広がり「世界カデット選手権」でも優勝を飾った。3年生になり「全日本選抜」出場。元世界チャンピオンの山本美憂選手に勝利するなど見事に優勝して世界選手権代表に選抜された。しかし、初めての世界選手権は7位。その後は階級を上げて「全日本レスリング選手権大会」に出場するも3位に終わった。
レスリングに打ち込むため大学へと進んだ川井梨紗子選手
2013年に高校を卒業後、そのまま環境の整った至学館大学へ進学。「ジュニアクイーンズカップ」では村田夏南子選手に勝利し優勝を飾るも、全日本選抜では決勝で村田選手に負けて3位となる。悔しさをバネに川井梨紗子選手はさらに練習を重ね、世界ジュニア大会で準決勝までフォール勝ちで進み、決勝もテクニカルフォールで優勝を決めた。
その後は59キロ級に階級を上げ「全日本レスリング選手権大会」に出場するも、準決勝で伊調馨選手に敗れて3位となった。
オリンピックを目指した川井梨紗子選手
2014年に開催されたワールドカップで全勝。2年生になり、ジュニアクイーンズカップで前年に続き優勝、アジア選手権でも優勝するなど躍進した。しかし、全日本選抜では、やはり伊調馨選手の壁が厚く、決勝で敗れて準優勝。続く世界ジュニアでは優勝。この時期に至学館大学の監督や両親などの勧めもあり、伊調選手を避けて、2階級上げてオリンピックを目指すことを決意した。
そして全日本選抜では見事勝利し、その後も好成績を残したことから世界選手権代表に選出。9月に開催された世界選手権で決勝に進むなどの活躍を見せ、12月の全日本選手権に出場すれば、リオデジャネイロオリンピックの日本代表選手に内定することとなった。
オリンピックに階級を上げて挑んだ川井梨紗子選手
出場すればオリンピックへの切符が手に入る、12月に開催された全日本レスリング選手権大会。60キロ級に出場した川井梨紗子選手は、決勝で妹の友香子選手に勝ちオリンピックへの扉を開いた。2016年2月に行われたアジア選手権でも優勝し、自信をつけてブラジル・リオデジャネイロへと旅立つ。
そして階級を上げて挑んだリオデジャネイロオリンピック。この階級での戦いは国際大会では3度目の出場だったが順調に決勝まで進み、マリア・ママシュク(ロシア)選手に勝ち金メダルを獲得。優勝直後に大学の栄監督を投げるパーフォーマンスが話題となった。
まとめ
初出場で見事にオリンピック金メダリストとなった川井梨紗子選手。伊調馨選手を避けたことは“逃げ”ではない。階級を上げるためさらに厳しいトレーニングが必要で、まさに自分自身との“勝負”だったのではないだろうか。彼女の努力もあって、オリンピック女子レスリングで4個の金メダルを獲得できたことは日本の誇りだ。川井梨紗子選手の今後にも注目したい。