ウエイトリフティング オリンピック全メダリスト紹介
ウエイトリフティングの歴史が、オリンピックが初めて開催された1896年アテネ大会より続いていることをご存知だろうか。
「力比べ」に起源を持つウエイトリフティング。現在の2種目(スナッチとクリーン&ジャーク)になったのは、1976年モントリオールからだ。
単純に「力が強ければ良い」と捉えがちだが、実際には強い筋力だけではなく、精神力も求められる競技。オリンピックのウエイトリフティングにおいて、過去にメダリストとして輝いた選手を紹介する。
【1960年 ローマ】
三宅義信 バンタム級 銀
【1964年 東京】
三宅義信 フェザー級 金
一ノ関史郎 バンタム級 銅
大内仁 ミドル級 銅
【1968年 メキシコ】
三宅義信 フェザー級 金
大内仁 ミドル級 銀
三宅義行 フェザー級 銅
【1976年 モントリオール】
安藤謙吉 バンタム級 銅
平井一正 フェザー級 銅
【1984年 ロサンゼルス】
真鍋和人 52キロ級 銅
小高正宏 56キロ級 銅
砂岡良治 82.5キロ級 銅
【2012年 ロンドン】
三宅宏実 女子48キロ級 銀
【2016年 リオデジャネイロ】
三宅宏実 女子48キロ級 銅
オリンピックで日本人男子が活躍したのは1984年ロサンゼルスまでで、その後は新たなメダリストが誕生することなく現在に至る。
女子が正式採用されたのは2000年のシドニー大会からで、2012年のロンドン大会では三宅宏実が念願の日本女子ウエイトリフティング界初のメダルを獲得。新しい時代の到来を予感させた。
過去のメダリストの中から、特に輝かしい結果を残した3選手を紹介する。
女子初のメダル・三宅宏実
1985年生まれの三宅宏実が初めてオリンピックに出場したのは、2004年アテネだった。ウエイトリフティング女子唯一の出場者として善戦するが、結果は9位。彼女のオリンピックへの挑戦はここからスタートした。
その後、北京にも出場したものの4位という結果で、メダルを逃してしまう。だが、自身3度目のオリンピック出場となったロンドン大会、遂にメダルを獲得。日本女子ウエイトリフティングの歴史を変える瞬間となった。
彼女の父・三宅義行も、1968年メキシコ大会でフェザー級銅メダルを獲得している。つまり、日本オリンピック史上初「父娘メダリスト」が誕生した。
「兄弟メダリスト」三宅義信
日本のウエイトリフティングの歴史を語る上で、欠かせないのが三宅義信だ。1960年ローマ大会で、ウエイトリフティング日本男子初のメダルを獲得。その後フェザー級へと階級を変え、東京とメキシコ大会でも連覇を果たした。
弟の義行と出場したメキシコでは共にメダルを獲得(義信が金、義行が銅)し、同一種目において日本初「兄弟メダリスト」となった。彼の活躍により、1960年代には多くの人々がウエイトリフティングに夢中になった。日本におけるレスリング競技の発展に、多大な貢献をした選手である。
メキシコ五輪銀メダル・大内仁
メキシコではミドル級に出場し、見事に銀メダルを獲得。1964年の東京大会にも出場しており、このときの記録は、トータル437.5キロであった。三宅義信・義行とは同世代であり、その活躍で多くのファンを魅了した。
1960年代のオリンピックで、黄金時代を迎えた日本男子ウエイトリフティング。今後の大会においても、新世代選手の活躍が望まれる。そして、東京2020大会においてもメダルの獲得が期待されている女子ウエイトリフティング。手に汗握る熱戦を期待しよう。
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