北京が最終目標だった
競技を終えた宏実は泣きじゃくっていた。
「こんな低い記録で恥ずかしい。今までやってきた中で一番悔しい」
最後は嗚咽をもらした。
泣きじゃくる理由はあった。中学3年で重量挙げを始めたときから、北京五輪が最終目標だと、二人三脚でやってきた父義行とともに決めていたからだ。
宏実は北京五輪への意気込みを聞かれると、いつもこう答えていた。
「思いっきり勝負する」
父義行は宏実の体が壊れないようにコントロールしながらやってきた。減量は厳しいし、過度なトレーニングはケガを招く。だから、2004年のアテネ五輪でさえ通過点と思ってきた。そのアテネは9位。順調に階段を一つ一つ上がってきたはずだった。
それまでずっと限界を超えさせなかった父義行は北京に向けて、「今回だけは、ぶっ壊れてもいいから勝負をさせたい」と話していた。でも、最終目標と位置づけた場で限界に達することはなかった。