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二つの東京五輪 日本人金メダル1号の重圧を背負う三宅家<3>

2017 6/16 14:05きょういち
重量挙げ
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出典 YanLev/shutterstock.com

二つの東京五輪 日本人金メダル1号の重圧を背負う三宅家<2>


 競技をする舞台の上で、三宅宏実が今にも泣き出しそうな表情になったことが思い出される。今から9年前のこと。宏実は2度目の五輪となった2008年北京五輪で苦渋を味わっていた。

 重量挙げは前半が一気に頭上に持ち上げるスナッチ、後半は肩の高さで一度止めてから頭上に持ち上げるジャークが行われる。そのジャークの最後の3回目、自己ベストの110キロを全く持ち上げることができず、天を仰いだ。目は真っ赤だったと思う。

 トータルは自身が持つ当時の日本記録に6キロ及ばない185キロ。6位入賞に終わった。

北京が最終目標だった

 競技を終えた宏実は泣きじゃくっていた。

「こんな低い記録で恥ずかしい。今までやってきた中で一番悔しい」

 最後は嗚咽をもらした。
 泣きじゃくる理由はあった。中学3年で重量挙げを始めたときから、北京五輪が最終目標だと、二人三脚でやってきた父義行とともに決めていたからだ。

 宏実は北京五輪への意気込みを聞かれると、いつもこう答えていた。

 「思いっきり勝負する」

 父義行は宏実の体が壊れないようにコントロールしながらやってきた。減量は厳しいし、過度なトレーニングはケガを招く。だから、2004年のアテネ五輪でさえ通過点と思ってきた。そのアテネは9位。順調に階段を一つ一つ上がってきたはずだった。

 それまでずっと限界を超えさせなかった父義行は北京に向けて、「今回だけは、ぶっ壊れてもいいから勝負をさせたい」と話していた。でも、最終目標と位置づけた場で限界に達することはなかった。

名門の重圧がのしかかる

 宏実との戦いは、バーベルだけでなかった。北京五輪の1カ月前、母に打ち明けていた。

 「最近眠れないの」

 2時間おきに目が覚めたのだという。夢の中でもバーベルを持ち上げていた。そこには、金メダリストの伯父、銅メダリストの父という名門三宅家の重圧があった。

 練習も最悪の状態だった。自己ベストの80%ぐらいの重さでも落としてしまい、練習場の片隅で泣いた。毎日つけていた練習ノートも空白が続き、つらさが増すからと、父でコーチの義行氏と話すこともなくなっていた。

筋肉がそげ落ちる

 北京の試合当日、計量では47・35キロだった。出場14人中3番目の軽さ。父義行が「アテネ以降では一番軽い」という体重だった。

 当時の宏実は47・60~47・70キロがベストだった。その差わずか数百グラム。だが、研ぎ澄まされたアスリートにとって、この数百グラムが命取りだった。筋肉がそげ落ちてしまった。本来のパワーが出ない。結果的に1回目の試技の重量を下げざるを得なかった。

 競技の結果、同じ記録なら体重が軽い方が勝つ。だから、意図的に体重を落とすこともあるが、この時は違った。

「精神的なものだろう」

 父義行はそう説明した。北京の前、「(メダリストになって)伯父と父の仲間に早く入りたい」と宏実は語っていたが、当時22歳だった宏実にはすべてが重かった。

今は考えられない

 北京での競技を終えた直後、父も娘も茫然としていたのを思い出す。

 そんなときに、親子の二人三脚が2012年ロンドン五輪まで続くのかを聞いた。

   「今は考えられない」

 そう父と娘は口をそろえた。

 だが、2人はへこたれなかった。4年後、父と娘はたくましさを増して、五輪の舞台に戻ってくる。(続く)

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