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その奇跡は後世にまで語られる!卓球のスゴイお話

2017 3/8 20:01ゆうり
卓球
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Photo by testing / Shutterstock.com

どんなスポーツにも、後世に語り継がれていくのにふさわしい、奇跡のようなプレーや伝説に残る試合、エピソードなどがある。もちろん卓球というスポーツでも、信じがたい出来事は少なくない。今回は卓球における奇跡のような話をいくつか紹介する。

エースの代わりに監督が出場

記念すべき第1回世界選手権での出来事だ。男子団体に出場していたのは7チーム、総当たりのリーグ戦で共に5勝1敗、首位に並んだハンガリーとオーストリアのプレーオフが行われようとしていた。
この時ハンガリーのエースで男子シングルスの優勝者、ジャコビのもとに「父、死ス」という電報が届き、ジャコビがプレーオフに参加せずに帰国してしまったため、代わりに監督のカーリングが出場することに。
カーリングは有名なテニスプレーヤーだったのだが、信じられないことにオーストリアのエースのビリンガーを破り、奇跡的な勝利をハンガリーにもたらした。

2日がかりで行われた超長時間試合

今でこそ卓球は促進ルールというものがあり、長時間に及ぶ試合はなくなったが、まだそのようなルールが決められていなかった時代の出来事だ。1936年の第10回世界選手権プラハ大会で行われた男子団体決勝は、オーストリアとルーマニアの対決だった。夜9時30分に始まった決勝戦は、午前3時30分を過ぎてもやっと2対2。あまりにも長い時間がかかったため、同じ週の別の日に試合が持ち越され、結局11時間かかってオーストリアが5対4で初優勝を決めた。
ネットが今より1.9cmほど高く、現在のような威力の攻撃球が出せるラバーがなかった上、守備が有利とされる時代であったため、ツッツキでの粘り合いの試合が多かったようだ。

伝説の「12連発スマッシュ」

1961年、卓球の聖地といわれる北京工人体育館で行われた、第26回世界卓球選手権北京大会。男子団体決勝は、当時の2大勢力中国と日本の対決になった。日本リードのセットカウント1-2、第4戦は中国のエース徐寅生氏と、日本の星野展弥氏の対戦。両者対等の1対1で第3セットに入り、ポイント20対18で徐寅生氏がマッチポイントを迎えた時、主導権を握る徐寅生氏が連続して強烈なスマッシュを星野氏に打ち込む。
会場一体となって数を数えた星野氏の返球は、12回目ついにアウトとなったが、2人が見事なラリーを繰り広げたこの対戦は「12連発スマッシュ」と呼ばれ、卓球界伝説の試合のひとつになっている。

1セットも落とさない完全優勝

1997年に開催された第44回世界選手権のマンチェスター大会で、スウェーデンの元卓球選手ヤン=オベ・ワルドナー氏が、天才的と評されるゆったりとした的確なプレーで、シングルス戦で1セットも落とさずに優勝を果たした。男女合わせた卓球競技7種目のうち、男子シングルス以外の6種目はすべて中国が制する中での優勝だった。
ヤン=オベ・ワルドナー氏は「100年に1人の天才」「キング・オブ・テーブルテニス」「卓球史上最高のプレーヤー」などと称賛され、世界選手権の男子シングルスで2回の優勝を誇り、バルセロナオリンピックにおける男子シングルスの金メダリストでもある人物だ。

日本のエースが魅せた 日本男子団体初のメダル獲得

2016年に開催された、リオデジャネイロオリンピック卓球男子団体戦で、日本の男子が初めてメダルを獲得。決勝戦で中国に1-3で敗れ、メダルの色は銀だったが、世界ランクの上位を独占している「中国ビッグ4」の一角を、世界ランク6位、日本のエース水谷隼選手が崩した。第2試合のシングルスにおいて、世界ランク3位の許シン選手を最終ゲーム7-10からの5連続得点で下し、過去の対戦成績12戦12敗だった相手にとても大きな1勝を挙げた。
水谷選手は試合後、決勝戦でビッグ4と呼ばれる選手に勝てたことはメダル以上の価値がある、とコメントしている。

まとめ

信じがたい奇跡のような卓球のエピソードは、いろいろとあるものだ。今後も伝説は生まれ続けるだろう。その目撃者になることを期待しながら、卓球観戦するのも楽しいのではないだろうか。

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