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リオ五輪代表落ちした平野美宇がひたむきに努力を続けた日々

2017 3/22 18:28イシカワヒロキ
平野美宇,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

「第2の愛ちゃん」と呼ばれて注目を浴びた平野美宇。彼女は厳しい環境に身を置くことで、卓球の実力を身に付けてきたストイックプレーヤーだ。

静岡県生まれ、山梨県育ちの平野美宇

平野美宇は2000年4月、静岡県沼津市で生まれた。2歳からは山梨県中央市で育ち、3歳から卓球をスタート。「平野英才教育研究センター卓球研究部」で母親から厳しい指導を受けて、泣きながら練習に明け暮れる日々が続いた。

その練習風景が幼い頃の福原愛選手を連想させることから、「第2の愛ちゃん」と親しまれるようになった。厳しい練習に耐え、2007年の全国小学生大会で1年生ながら優勝を果たした。

世界レベルになったのは2014年の大会から

幼少期の頃から平野美宇とともに「みうみま」コンビとして親しまれていたのが伊藤美誠。2人は同い年であり、ライバルでもある。伊藤美誠が2011年から世界大会で優勝していく中で、平野美宇はなかなか優勝を掴むことができなかった。

しかし、2014年12月、ワールドツアーグランドファイナルのダブルスで「みうみま」コンビとして優勝を果たしてから、平野美宇にも勢いがつき始める。

3連覇中の石川佳純を破る

平野美宇は2015年の全日本卓球選手権大会でシングルス準優勝、2016年のワールドツアーグランドファイナルではシングルスベスト4に選ばれた。また、2016年の全日本卓球選手権大会では3連覇中の石川佳純を破り、見事に優勝を果たした。

世界ランクや過去の実績から見ても石川佳純の方が格上だったため、平野美宇の勝利は大きな注目を浴びた。「みうみま」コンビとしてだけではなく、シングルス選手としても頭角を現し始めた。

リオの代表に選ばれず、耐え忍ぶ日々

2016年に石川佳純に勝利するまでに、平野美宇は数々の変化を遂げてきた。まず、2016年のリオデジャネイロオリンピックの代表選考に落ち、プレースタイルを大きく変えた。

中澤鋭コーチの指導の下、守備主体の卓球から、高速ラリーを得意とする攻撃主体の卓球に変更。同時に、リオデジャネイロオリンピックが始まるまでの間、代表に選ばれた石川佳純の練習相手になるなど、裏方の仕事に徹する日々が続いた。

ストイックな卓球人生を送る平野美宇

さらに石川佳純との対戦までの期間に、「中国スーパーリーグ」で武者修行。平野美宇は、3歳のときに「平野英才教育研究センター卓球研究部」で卓球を覚え、8歳のときに「ミキハウスJSC」で練習に明け暮れた。

16歳になっても「中国スーパーリーグ」でストイックに特訓してきたからこそ、石川佳純に勝利したのだろう。それまでの努力が実り、2016年に「国際卓球連盟ブレイクスルースター賞」「中央市スポーツ栄誉大賞」を受賞した。

平野美宇は可愛らしい見た目とは裏腹に、とても芯の強いストイックな選手だ。東京オリンピックで彼女の名前が全世界に広がることを期待したい。