パラ卓球「ジャパンパラオープン」
パラ卓球の「ジャパンパラオープン2023」が8月30日から9月2日まで東京体育館で開催され、筆者はスポーツカメラマン人生で初めてとなるパラ競技を撮影する機会に恵まれた。
オフィシャルカメラマンの要請があったのは8月20日前後。電話連絡で快諾し、選出理由に「日本代表のカメラマンとしてパラ卓球の真髄を伝えてほしい」と言われて本当に嬉しかった。
ただ、それまで健常者の卓球でさえ数回しか撮影したことがなく、選手の名前やプレイスタイルも知らない状態でどのように撮影したらいいのか不安が増大。ウェブサイトやYouTubeで確認し、開幕前日の練習に向かった。
東京体育館に入って大会本部に行くと、実行委員から選手と同じウェアを手渡され、「大会期間中は選手たちと一緒に日の丸を背負って戦ってください」と伝えられた時は正直震えた。しかし、いざ会場に入ると、以前から面識のあった立石アルファー裕一とは唯一話すことができたが、他の選手にはどこまで踏み込んでいいのか分からず、話しかけていいのかすら分からなかった。
午前9時に会場入りしたにもかかわらず、昼頃には会場を出て一人になりたいと思った。逃げ出したいという気持ちも少しあったが、それ以上に大会期間中、選手とどのようにコミュニケーションを取ればいいか分からなかったからだ。不自由なく動く身体を持っている僕とは接しづらいのではないかという気持ちを勝手に抱いていた。
忘れられない八木克勝の言葉
そこに一人の女性と一人の男性が現れた。パラ卓球界のバタフライ・マダムこと、75歳のレジェンド・別所キミヱと中村亮太だった。
僕がカメラを向けた瞬間、二人は笑顔でこちらを向いてくれ、救われた気持ちになった。スポーツ現場でそういう感情を抱いたことはなかったし、自分自身が本当に情けなく感じた。
この瞬間から、ただ撮影するのではなく、選手の障がいを理解してパラ卓球の本質を伝えようと思った。それから積極的に話しかけてみると、選手たちは気さくで、少なくともプレイしている時にネガティブな要素は感じられなかった。
午前中の練習を終えて午後の練習の準備をしているとき、八木克勝と実行委員が話していたところこに加わった。パラ卓球の面白さ、クラスの分け方やルール、八木自身の思いなどを聞くことができた。
八木克勝と話して特に印象深かったのは、「障がいは個性という人もいますが、自分はそうは思わない。だって生まれ変われるなら健常者で生まれたいから」という言葉。私はどの競技でも選手の思いなどを聞いて撮影に挑むのだが、八木の言葉は今大会で一番印象に残った。
八木克勝・筆者提供
練習が終わると、東京体育館から大会期間中に滞在するホテルへ関係者専用バスが走る。驚いたのは、リフト付き介護福祉車両に車椅子の選手が乗ったまま乗降できる貸切バスで、車椅子スペースも6台くらいあったことだ。
ホテルは世界中の車椅子の選手が宿泊するためバリアフリーでなければならない。しかし、それほど大人数を受け入れられるホテルは日本には少なく、大会を開催するにはホテル選びが大変という。廊下の広さ、トイレの大きさ、部屋の扉の内開き、外開きなど、健常者は気にしない点に気を配る必要があり、ホテル側の協力も不可欠なのだ。
障がいによって戦術も変わる奥深さ
大会が始まってしまえば、選手の特徴を見つけてその一瞬を連続シャッターではなく一枚で切り撮ることは容易だった。
初日の午前中は撮影で頭がいっぱいだったが、午後からあることに気付いた。それは障がい者の撮影をしているという意識が全くなく、いかにして目の前にいるアスリートの最高の瞬間を切り撮るかだけに集中していたことだ。
選手たちにネガティブな要素はなく、いかに自分のハンデから来るウィークポイントを突かせずに相手のウィークポイントを突くかという戦術争いをしている。同じクラスでも、足に障がいを持つ選手もいれば、手や腕に障がいを持つ選手もおり、対戦相手によって戦術も変わる。
同じ選手を撮影していても、相手が違うと戦い方も違うため、撮影ポイントも変わる。あくまでも選手とパラ卓球の素晴らしさを伝えることだけに集中し、試合ごとに世に出ていく私の写真を見た選手や関係者からお褒めの言葉を聞くたびに、どんどん撮影意欲が湧いた。
「パリでまたお会いしましょう」
日本勢でシングルス優勝したのが男子クラス10(立位)の舟山真弘、男子クラス7(立位)の八木克勝、女子クラス11(知的)の櫨山(はぜやま)七菜子だった。優勝した翌日夜、舟山と八木の2人と一緒に食事する機会に恵まれ、パリパラリンピックやパラ卓球への思いを聞いた。
舟山は言った。自分には嘘はつけないし、優勝しても練習量が減ることはない。仮にメダルを取ったとしても健常者のメダリストに負けないぐらい努力をしたと自分に自信を持って言えるぐらいになりたいと。
八木も同様に強い意志を持って世界と戦っており、日本人として本当に誇らしく感じた。
また、あまり話はできまなかったが、岩渕幸洋からも大会が終わって体育館を後にする時に「パリでまたお会いしましょう」と言葉をかけられた。
カメラマンの世界もオリンピックやワールドカップの撮影をすることがどれだけ難しく、狭き門かは自分自身が一番理解している。それでも彼らとともにパリパラリンピックを目指したい。心からそう思えた。
岩渕幸洋・筆者提供
《ライタープロフィール》
小中村政一(こなかむら・まさかず)1979年6月18日、兵庫県西宮市出身。MLB(メジャーリーグ)、FIFA(国際サッカー連盟)、USGA(全米ゴルフ協会)から公認を受け、3団体の主催試合を撮影できる世界でも数少ないフリーカメラマン。サッカーワールドカップやイチロー、ダルビッシュらも撮影。
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