「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

日本のバタフライと自由形を牽引してきた水泳の松田丈志選手の功績

2016 11/29 21:30
水泳
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by BrunoRosa / Shutterstock.com

2016年9月に引退を発表した松田丈志選手。日本のバタフライと自由形を牽引してきたといっても過言ではない成績と、その人柄から選手の信頼も高かった水泳選手だ。そんな人望からロンドンオリンピックでは水泳チームのキャプテンをつとめた松田丈志選手の生い立ちや功績を紹介する。

恵まれた環境ではなかった幼少期の松田丈志選手

1984年6月23日に宮崎県延岡市に生まれた松田丈志さん。4歳からはじめた水泳だったが、地方都市ということもあり幼少期は恵まれた環境ではなかった。育った地方には本格的なスイミングスクールはなく、通っていた東海スイミングクラブにはビニールハウスで囲まれたプールがあるだけだった。
しかし唯一の救いだったのは元競泳選手の久世由美子コーチと出会ったことだった。優れたコーチのもと松田丈志選手は実力を伸ばしていく。

「ビニールハウスのヒーロー」と呼ばれた松田丈志選手

延岡学園高等学校に進んでも水泳の環境は変わらなかったが、久世由美子コーチの指導を受け松田丈志選手は日々練習を重ねて行った。
やがては日本選手権で才能を発揮し日本代表選手となると、一躍注目をあびることとなった。その水泳の環境にも着目され松田丈志選手は「ビニールハウスのヒーロー」と称された。
高校を卒業し2003年に中京大学に進学。それまでとは違い恵まれた環境のもと、さらに実力を伸ばしていく。

大学に進学しても久世由美子コーチを指導を続けた松田丈志選手

中京大学に進学すると同時に地元を離れることとなった松田丈志選手。それは長年指導を受けてきた久世由美子コーチとの別れでもあった。
しかし松田丈志選手は高校を卒業しても久世由美子コーチの指導を受けたいという思いが強く、大学進学を諦めることさえ考えた。
結局は久世由美子コーチが折れて一緒に上京。コーチと共同生活を送りながら恵まれた環境で練習を続け、国際競技大会日本代表としてアテネオリンピックや世界選手権などで活躍した。

大学を卒業した後も世界で戦う松田丈志選手

中京大学を卒業した松田丈志選手はミズノへ入社。「ミズノスイムチーム」の一員として水泳を続けていく。北京オリンピックにも出場し、200mバタフライでは自身の持つ日本記録とアジア記録を更新し銅メダルを獲得した。
2008年に所属していたミズノスイムチームから離れ、2009年にはレオパレス21と契約。2010年には地元延岡市創業のコスモス薬品に所属。広州アジア大会では自身初となる200mバタフライ金メダルを獲得した。

オリンピックで数々のドラマを生んだ松田丈志選手

2012年に開催されたロンドンオリンピックでは二大会連続となる銅メダルを獲得した松田丈志選手。400mメドレーリレーでも日本男子史上初の銀メダルを獲得する快挙を達成。これについては個人でのメダル獲得を逃した北島康介選手を「手ぶらで帰らせるわけにはいかないと思いました」と有名なコメントを残している。
引退かと思われた2012年の暮れ、松田丈志選手は現役の続行を決める。そして2016年のリオオリンピックでは800mフリーリレーに出場。アンカーを泳ぎきり銅メダルを獲得した。その後同年の9月に引退を発表、競泳生活に幕を下ろした。

まとめ

選手生活にピリオドをうった松田丈志さんの生い立ちや功績を紹介した。オリンピックに4回続けて出場し、数々のドラマを生んだ松田丈志選手。日本競泳界の歴史に残る名選手として名が刻まれるとともに、引退を発表した後の動向も注目されている。

関連記事

おすすめの記事