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浦和レッズの歴史とレジェンドナンバー背番号9番

2017 11/10 12:24Aki
浦和レッズサポーター
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アジアを代表するサッカークラブ、浦和レッズ

ホームスタジアムには常に3万人を越える観客を動員し、毎年の様に上位争いを繰り広げる日本を代表するクラブの1つである浦和レッズ。
リーグ優勝こそ2006年の1度だけだが、YBCルヴァンカップでは2004年、2016年の2度優勝。天皇杯でも2005年、2006年に連覇を達成している。2007年には現行のフォーマットとなって以来、日本のクラブとしては初めてのAFCチャンピオンズリーグを制覇。今やアジアを代表するサッカークラブの1つと言っても良いだろう。

そんな浦和レッズだが、かつてはJリーグ開幕初年度順位は10クラブ中で最下位の10位という結果で、決して今のような強豪チームではなかった。
クラブが強豪クラブへと成長した歴史とともに、そのチームを支えた背番号9番を振り返ってみよう。

浦和レッズ誕生までの流れ

浦和レッズは、Jリーグ(1993年開幕)に参加する10クラブの1つとして1991年に誕生した。日本サッカーリーグ時代から強豪チームであった、創部1950年の三菱重工業サッカー部(後に三菱自動車工業へ移管され三菱自動車工業サッカー部となる)をルーツにしている。
今では浦和レッズと密接に結びついているホームタウンだが、浦和レッズとなるまでにホームゲームを行っていたのは、旧国立競技場や西が丘サッカー場などの東京都内だった。そもそも三菱重工業や三菱自動車工業は東京丸の内に本社があるため、現在のホームタウンである”さいたま市(当時の浦和市)”とは特に関係が無かったのだ。

浦和レッズが発足するきっかけは、浦和高校や浦和南高校など高校サッカーの名門校が沢山ありサッカーが盛んだった当時の浦和市が、Jリーグクラブを誕生させようと積極的に働きかけていたからだ。
しかし当時、埼玉県をホームとし全国リーグを戦っていた日本サッカーリーグ1部所属で埼玉県狭山市に別チームを持っていた本田技研や、2部に所属していたNTT関東サッカー部(後の大宮アルディージャ)の2クラブは、Jリーグ不参加を決定した。そのため浦和市は移転可能なクラブを探しており、そこで出会ったのが三菱自動車工業サッカー部だったのだ。
Jリーグは、それまでホームスタジアムとして使用していた旧国立競技場を、特定チームのホームスタジアムとは認めない方針を発表していたため、三菱自動車工業サッカー部がJリーグに参加するためには、ホームスタジアムの移転が必要になったのだ。

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