サンフレッチェ広島の歴史の中心にいた背番号7番と8番|【SPAIA】スパイア

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サンフレッチェ広島の歴史の中心にいた背番号7番と8番


日本有数のサッカー王国、広島

Jリーグオリジナル10と呼ばれる、1992年のJリーグ発足時に加盟した10クラブ。この10クラブの中で最も長い歴史を持っているのは、1938年に誕生した東洋工業(現マツダ)サッカー部をルーツに持つサンフレッチェ広島だ。
今でこそサッカー王国といえば静岡県のイメージが強いが、かつては埼玉県や兵庫県などと並んで広島県もその1つだった。日本サッカー界において広島は中心的な存在だったのだ。

広島でサッカーが盛んになったのは、第一次世界大戦の敗戦国となり広島に収容されたドイツ人捕虜との交流がきっかけである。
ちなみにサンフレッチェ広島のチームカラーである紫は世界的にも珍しい色だが、当時の広島サッカー界で中心的な存在であった広島中学(現広島県立広島国泰寺高等学校)のスクールカラーからとられたものだ。
近年は同じ紫をクラブカラーとする京都サンガFCとの住み分けもあり、紫の中でも青みがかったバイオレットをクラブカラーとしている。青は東洋工業(現マツダ)サッカー部のチームカラーだ。

こうした長い歴史を持つ広島は、選手として活躍した人物だけでなく、日本サッカー協会会長をはじめ、元日本代表監督、複数のクラブ創設者、Jリーグ創設における功労者など、日本サッカー界を支えた人物を多く排出している。
現在の広島サッカーを代表する存在であるサンフレッチェ広島は、そんな100年以上前から積み重ねてきた広島サッカーの歴史を受け継いでいるのだ。

サンフレッチェ広島の特別な番号

1992年に誕生したサンフレッチェ広島が重ねてきた歴史の一部は、これまで選手がつけてきた背番号で振り返ることが出来る。
例えばサンフレッチェ広島の背番号1番。サッカーにおける守護神がつけるこの番号は、固定番号制となった1997年以降、前川和也氏、下田崇氏、西川周作選手が背負い、現在は林卓人選手がつけている。

この4人に共通しているのは、全員が日本代表選手であることだ。Jリーグの歴史の中で、毎年、常に誰かが背負っていた番号でありながら、その全員が日本代表選手となっているのは、サンフレッチェ広島の1番しかない。
他にサンフレッチェ広島の特別な番号となっているのは17番だ。フィールドプレーヤーとしてはJ1史上初の100試合連続フルタイム出場を達成し、サンフレッチェ広島の選手として初のJ1通算350試合出場を達成した「鉄人」服部公太氏がつけた番号である。

しかしこれらの番号以上に特別な番号だといえるのが「7番」と「8番」。 サンフレッチェ広島でこの2つの番号は、他の番号とは異なる意味を持っている。

初代7番、森保一氏

Jリーグ開幕戦で背番号7番を背負ったのは、森保一氏だった。
森保氏は2012年にサンフレッチェ広島の監督に就任し、クラブを史上初の年間チャンピオンに導いた。そこから4年間で3度の優勝を達成、2020年の東京オリンピック代表監督に就任した名将だ。
近年、日本人監督として目覚ましい活躍を見せている森保氏だが、選手としてはそれ以上とも言えるぐらいの功績を残している。
Jリーグ開幕直前の1992年。マツダサッカークラブの元監督であるハンス・オフト氏が日本代表監督に就任し、森保氏は日本代表に選出されるが、他の選手が存在も知らない、名前の読み方もわからないほどの地味な存在だった。

しかし、オフト体制初戦のアルゼンチン戦に先発出場すると、守備的ミッドフィルダーのポジションでチームに貢献する。
この時のアルゼンチン代表は、監督は名将アルフィオ・バシーレ氏。選手はガブリエル・バティストゥータ氏やクラウディオ・カニーヒア氏など、当時の世界的なスター選手が多く参戦していた。

そんなアルゼンチン代表から、最も高く評価された日本人選手が森保氏だったのだ。 ここから森保氏は日本代表に定着することになる。
守備的ミッドフィルダーの役割を日本のサッカーファンやメディアに浸透させたのも、「ボランチ」という言葉を日本サッカー界に定着させたのも森保氏と言っても過言ではない。

初代8番、風間八宏氏

Jリーグ開幕戦。森保氏の隣のポジションで、8番を背負って先発したのは風間八宏氏だった。
引退後はサッカー解説者として人気を集め、2012年に川崎フロンターレの監督に就任すると、「風間革命」とも呼ばれた独自の理論で作られたサッカーで、チームをJリーグで最も攻撃的なクラブの1つへと変革した。2017年からは名古屋グランパスの監督を務めている。

風間氏の日本代表選手としてのキャリアは、ほぼ筑波大学在籍時の1980年~84年に限定されるのだが、これは大学卒業後海外でのプレーを希望し、西ドイツ(当時)へと活躍の場を移したからである。
現在はあたり前のように海外のクラブでプレーする日本代表選手がいるが、当時は海外に移籍するということは日本代表から外れることであった。
同時期に西ドイツでプレーしていた奥寺康彦氏や、尾崎加寿夫氏らも、西ドイツでプレーしていた時は日本代表には選出されていない。

風間氏の海外でのプレーで特徴的なのは、同時期に西ドイツでプレーした2人の様に、日本代表として実績を作り、対戦したチームからスカウトされる形ではなく、自ら現地に飛び込んでの移籍であったことだ。
それゆえアマチュア契約からのスタートとなったが、5年間で2部のチームでプレーするまでステップアップを果たした。
風間氏が1989年に日本復帰をするにあたって選んだのが、当時のマツダサッカークラブだった。世界基準を知る頭脳派のミッドフィルダーとしてすぐにチームの中心選手となった。

ちなみに、サンフレッチェ広島のリーグ戦初ゴールは、Jリーグ開幕戦の1分に風間氏が決めたゴールであり、同時にこれがJリーグでの日本人選手初ゴールでもある。

7番と8番をより大切な番号とした森崎兄弟

森保氏、風間氏が最初につけたサンフレッチェ広島の7番と8番は、後に10シーズン以上に渡って双子の兄弟が背負う事になる。2000年に2人同時に下部組織からトップチームに昇格すると、プロ2年目となる2001年に兄、森崎和幸選手が8番を、プロ3年目となる2002年に弟、森崎浩司氏が7番をつけはじめると、この番号は森崎兄弟を象徴する番号となっていった。

左利きのアタッカーとして、正確なキックでセットプレーのキッカーとしても活躍した7番の弟、浩司氏。
右利きで、守備的ミッドフィルダーを中心にプレーし、ペトロヴィッチ氏の特徴的な可変システムを完成させた高い戦術理解力は、「ドクトル(ドイツ語で博士)」といわしめた8番の兄、和幸選手。
2人ともフル代表に選出されることは無かったが、サンフレッチェ広島一筋で、チームを牽引した。

また浩司氏はオーバートレーニング症候群、和幸選手は慢性疲労症候群と病気に苦しめられる期間も長かったが、サンフレッチェ広島を語る上で欠かせない選手である。
浩司氏は2016年シーズンをもって引退し、7番は茶島雄介選手に引き継がれた。 そして8番も遠くない将来に誰かに引き継がれる事になるだろう。
引き継いだ新たな7番と8番がチームの中心選手となる時、再びサンフレッチェ広島の黄金期が始まる。

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