エースナンバー、背番号10番
サッカーにおいてエースナンバーといえば背番号10番。かつてはポジションを表す番号でしかなかった背番号だが、サッカーの王様と呼ばれたペレ氏がブラジル代表で背番号10番を背負った事で、世界的にエースナンバーとして知られるようになった。
しかし、そのポジションを表す番号であった事を今に残している部分もある。
それは世界的に背番号10番をつける選手のプレースタイルが国によって異なることで、同じエースナンバーではあるが、ゲームメーカータイプの選手とストライカータイプの選手に大きく二分される。
もともと10番がミッドフィルダーの番号だった南米ではゲームメーカータイプの選手が、フォワードの番号だったヨーロッパではストライカータイプの選手がつける傾向にあるのだ。
そんな中で大宮アルディージャは、これまでストライカータイプの選手に10番を託してきたクラブ。これは、大宮アルディージャがクラブ設立時からオランダ人指導者を多く招いており、ヨーロッパサッカー、特にオランダサッカーの影響を強く受けているからこそなのだろう。
大宮アルディージャで10番をつけた選手たち
大宮アルディージャでこれまで背番号10番を背負ってきた選手を振り返ってみよう。
J2に加盟した1999年、10番を背負っていたのは当時としては珍しかったカメルーン国籍のエドウィン氏。しかしシーズン途中に退団すると、イングランド出身のマーク氏へと引き継がれる。
その後パナマ国籍のアンデルソン氏、ブラジル国籍のジョルジーニョ氏と引き継がれるが、彼らはいずれも1年を越えて背番号10番を背負い続けたことは無かった。
クラブ史上初めて2シーズンに渡って10番をつけたのは、クラブ史上初の日本人10番である黒崎 比差支(現黒崎久志)氏。
Jリーグ創成期に鹿島アントラーズのストライカーとして活躍した黒崎氏がキャリアの晩年に選んだクラブが大宮アルディージャで、2002年、2003年と2シーズンに渡って主力としてプレーした後に引退。2013年から2017年シーズン途中まで、大宮アルディージャでコーチも務めている。
その後、ブラジル国籍のダニエル氏が10番を背負うもシーズン途中で退団。J1に昇格した翌2005年は川崎フロンターレやFC東京、浦和レッズでもプレーしたトゥット氏。2006年はマルティネス氏、2007年はエニウトン氏とつけ、2008年からの2シーズンはデニス・マルケス氏。そして、2010年から2012年途中までの2シーズン半はラファエル選手。2017年現在までこのラファエル選手が10番をつけた2年半が最長記録となっている。
大宮アルディージャの10番にみられる特徴
こうして2012年までの大宮アルディージャで10番をつけた選手を振り返ると、大きく2つの特徴が見られる。
その1つは外国籍選手が多い事。Jリーグ(J2)入りした1999年から2012年までで、10番をつけた日本人選手は黒崎氏のみだ。
これは大宮アルディージャというクラブ自体が、伝統的に外国人ストライカーを多く起用してきたクラブであるからだ。例えば、同様にストライカーがつけることが多い背番号9番でも、ガンバ大阪やコンサドーレ札幌(当時)でプレーした吉原宏太氏や、2017年はベガルタ仙台でプレーする石原直樹選手もいるが、半数は外国籍選手となっている。
2つめの特徴は、10番をつけた選手の数がかなり多い事だ。最長がラファエル選手の2年半(2010年から2012年途中まで)という事からわかるように、1999年から2012年までの14年間で実に11人もの選手が10番をつけている。
同期間でみると、ライバルである浦和レッズが半数以下の5人で、例えば横浜F・マリノスには4人しかいない。また、大宮アルディージャと同じ1999年にJリーグ(J2)入りを果たした同期のFC東京の5人、川崎フロンターレの7人、ヴァンフォーレ甲府の6人と比較してもその多さは際立っているといえるだろう。
大宮アルディージャの歴史を表している10番
大宮アルディージャの10番にみられる特徴2つ、実はリンクしている。
外国籍選手は母国でどれだけ実績があったとしても、日本サッカーへの適応できるかどうかの問題があり、実際に活躍するかどうかは来日してみないとわからないところがある。
実際にこれまでに紹介した大宮アルディージャで10番を背負った11人のうち、初代10番のエドウィン氏、アンデルソン氏、ダニエル氏、マルティネス氏、エニウトン氏の5名は、加入時に期待を集めて背番号10番を背負うものの、ほとんど活躍することなくシーズン途中に退団。
1シーズンを越えて在籍した選手はジョルジーニョ氏、トゥット氏、デニス・マルケス氏、ラファエル選手の4人しかいない。
そしてこの1シーズンを越えて在籍した4人の選手のうち、トゥット氏、デニス・マルケス氏、ラファエル選手の3人に共通しているのは、開幕前ではなくシーズン途中にチームに加入しており、加入時から10番を背負っていた訳ではないということだ。
大宮アルディージャは2005年にJ1昇格以降降格したのは2014年の1度だけだったが、ほとんどのシーズンで残留争いを戦っている。
彼ら3人がチームに加入したのは、残留争いが本格化しはじめた夏頃。降格を回避するために補強した点取り屋が彼らで、活躍を見せ無事J1残留を達成すると、翌年から10番を背負う事になったのが彼ら3人なのだ。
新しい10番の形
大宮アルディージャの歴史を感じさせる歴代の背番号10番。2012年まで10番をつけた選手11人中、日本人選手はたった1人しかいなかった。しかしラファエル選手が退団後は、これまでとはスタイルが異なる選手が10番をつけるようになっている。
ラファエル選手が退団した翌2013年には一時空き番号となったが、2014年に現カマタマーレ讃岐の渡邉大剛選手が背負ったことを始めとし、岩上祐三選手、大前元紀選手と3人続けて日本人選手が10番を背負っているのだ。
そしてもう1つ、彼ら3人がこれまでの10番の選手と異なるのが、いずれもチャンスメーカーであるということ。
大前選手はポジションこそフォワードで、過去に所属した清水エスパルスでは3度の2桁得点を記録しているように得点力も持っているが、これまでの10番のような典型的なストライカータイプではない。
この変化が起こった2014年はクラブ史上初めてJ2に降格してしまうという、大宮アルディージャにとって忘れられないシーズン。クラブはこのシーズンをきっかけにチームのあり方、10番のあり方を改めたのかもしれない。
渡邉選手は2シーズンに渡って10番をつけたが、岩間選手が10番を背負ったのは2016年の1シーズンのみ。2017年からは大前選手へと変わったように、まだ10番の選手を固定しきれていない。
しかし、クラブとしては10番をクラブの象徴となる日本人選手につけてもらいたいという考えがあるのだろう。
2017年現在10番をつけている大前選手が、クラブの歴史に残る新たな一歩を踏み出せるのか、注目したいところだ。