鹿島アントラーズの土台となった偉大な背番号10 ジーコ
まだ鹿島アントラーズが住友重工だった時代。Jリーグ開幕前にまだ3部リーグに所属していたチームに、ブラジルの黄金のカルテットと呼ばれた一人であるジーコがやってきた。
ジーコは鹿島、そして日本にサッカーというものは何かを伝え、サッカーチームとはどうあるべきか、サッカー選手とはどうあるべきかなど、基礎からサッカーを伝えてくれた。
鹿島アントラーズは、今でもジーコスピリッツとしてチームの土台として考え、その教えに沿ってチームを創っている。
サッカーの背番号にはさまざまな意味合いが隠されているが、中でも背番号10番に思い入れがある人も多い。
今回は、鹿島アントラーズで背番号10番を背負ってきた選手たちを紹介する。
まだ鹿島アントラーズが住友重工だった時代。Jリーグ開幕前にまだ3部リーグに所属していたチームに、ブラジルの黄金のカルテットと呼ばれた一人であるジーコがやってきた。
ジーコは鹿島、そして日本にサッカーというものは何かを伝え、サッカーチームとはどうあるべきか、サッカー選手とはどうあるべきかなど、基礎からサッカーを伝えてくれた。
鹿島アントラーズは、今でもジーコスピリッツとしてチームの土台として考え、その教えに沿ってチームを創っている。
Jリーグが開幕し、世間の注目の中心にいたのはヴェルディ川崎だった。
その活躍の中心選手の一人であったビスマルクが鹿島アントラーズに移籍し、背番号10を付けプレーしていた。
ブラジル代表として活躍し、ブラジルの英雄でもあるジーコに憧れていたビスマルクは、ジーコの後を継いで10を背負った。
5年にわたり鹿島アントラーズの背番号10を務め、強き鹿島の象徴の一人として活躍した。
ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズと当時の2大強豪クラブでプレーしたビスマルクは、Jリーグ初期の重要人物だ。
ブラジル代表のスーパープレーヤーのレオナルドが鹿島加入となったのは、憧れのジーコの背中があったからだ。
素晴らしいプレーヤーであり、テクニックだけでなく人間性も素晴らしく、「貴公子」のイメージが強かった選手だ。
本来はトップ下を得意としていたが、チームへの貢献度が高く、どのポジションでも高いレベルでこなせることが日本サッカー界に衝撃を与えた。
鹿島アントラーズのレベルの向上にも大きな貢献をした選手だ。
高校サッカー選手権大会にて東福岡で優勝した時には、すでに次世代の日本を背負う選手になるはずだと絶賛されていた本山雅志。
独自のリズムを持ったドリブルとボールをおさめ操るそのプレーは、多くの人々を魅了した。
途中、病気を患ってサッカー選手生命の先が見えなくなる時期を体験しながらも、素晴らしい人間性を持って鹿島アントラーズを引っ張り、多くのタイトルを獲った。
黄金世代と言われる世代の代表でもあった背番号10は、鹿島アントラーズの歴史の中で欠かせない存在だ。
高校サッカー選手権大会では高校2年生の時から天才現ると世間の注目を集め、世代別代表でも常に注目される存在であった柴崎岳。
鹿島アントラーズで成長し進んできた柴崎だが、2015シーズンにはキャプテンマークを巻くまでにチームの信頼を得て、活躍によってチームを引っ張る存在にもなった。
長年背番号10番を務めた本山選手が移籍となり、新たに10番を背負うと発表されたのが、日本代表にも選出されるなど実力は充分な柴崎選手だった。
しかし2017年。柴崎選手は海外へ移籍してしまう。
Jリーグ初年度から常に強きチームとして君臨してきた鹿島アントラーズ。日本に本場のサッカーを伝えたジーコがつけていた10番だけに、その背番号は重く特別なものだ。
サポーターが着ているユニフォームも、背番号10番のユニフォームが多く、伝統的な背番号となっている。次に「10」を背負う選手は誰なのか?鹿島アントラーズの今後に注目したい。