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東京五輪選手村は各国から酒類持ち込み原則OK?過去に禁断のロマンスも

2021 6/13 06:00田村崇仁
東京五輪の選手村Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

「自宅」で部屋飲みの位置付け、物議も

新型コロナウイルス感染症による逆風に揺れ動く東京五輪・パラリンピックで、大会組織委員会が選手村に入る1万人規模の各国選手団が自国から酒類を持ち込むことを原則容認する見通しが判明し、物議を醸している。

現状では一つ屋根の下で生活する選手村内で酒類の販売は行わないものの、国民も自宅で飲酒はできる位置付けや各国交流も踏まえ「持ち込み」は原則可能だ。

しかしコロナ禍で緊急事態宣言が長引き、酒類提供や営業を自粛している飲食店や国民からは「なぜ五輪だけ特別扱いなのか」など否定派の不満も噴出。国会の論戦では「選手村は飲酒可能特区か?」「国民に外食自粛をと言っておきながら理解が得られない」などと野党側から感染リスクが高まるとして見直しを求める意見も出ており、主催者の丁寧な説明が求められそうだ。

6月中に「飲酒ルール」策定へ

国際オリンピック委員会(IOC)理事会で最終準備を報告した大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は6月9日の記者会見で、アスリートの選手村での「部屋飲み」について「これは我々が自分の家でお酒を飲むのとほとんど同じ、ホテルに泊まった時にホテルの自室で飲むのと同じようなこと。これを禁止するのはあまり考えにくいのではないか」との見解を示し、6月中に持ち込みも含めた「飲酒ルール」を明確にする考えを表明した。

一方で「緊急事態宣言下では街の中でもお酒を飲めない。緊急事態宣言下であれば(ルールを)尊重するのが普通であろうと思います」とも述べ、賛否渦巻く中で難しい判断を迫られている。

組織委担当者は「節度を持って行動してくれるはず」と「性善説」に基づいて選手らのマナーに期待しているが、過去大会ではメダルを獲得した選手の「祝勝会」が選手村のメインダイニングなどで大人数を集めて行われた事例もあり、選手村でのケータリングサービスを許可するのか、飲酒エリアや時間を限定するのかなど「密」にならない感染対策が求められそうだ。

ロシア選手団はウオッカやキャビア持参も

世界各国の選手団が一つ屋根の下で生活する五輪選手村は、国際交流や平和の祭典を求める「オリンピズム」を体現できる特別な空間でもある。

2002年ソルトレークシティー冬季五輪ではロシア選手団が名物のキャビアとウオツカを持参。モルモン教会の宗教上の理由から酒類の入手が難しいため一人当たりウオツカ2本とキャビア2缶を選手村に持ち込んだ。

テロ防止の観点などから酒類を禁止した2012年ロンドン五輪などの例もあり、ルールは大会ごとに異なるが、今大会はコロナ禍という非常事態。海外から来日する報道関係者などに加え、選手も衛星利用測位システム(GPS)による行動管理の対象になるとの方針が示されており、感染対策のルールブック(規則集)に基づいて外出禁止などの行動管理に違反すれば資格剥奪など厳罰が下される見通しだ。

選手村は交流の場、1964年東京五輪では結婚式も

選手村は1924年パリ五輪で初登場し、海外選手が移動や宿泊先探しに苦労しないように会場近くに建てられたのが始まりといわれている。敷地内には宿泊所のほか、レストランやコンビニ、トレーニングマシン、床屋なども設置され、一つの町のような設備が整う。

公式に「選手村」がオープンしたのは、1932年ロサンゼルス五輪からで当時は男子のみだった。1948年ロンドン五輪から男女共用になり、各国・地域選手の異文化交流の場として多くのカップルも誕生している。

「禁断のロマンス」として語り継がれるのは、東西冷戦下の1956年メルボルン五輪陸上男子ハンマー投げ金のハル・コノリー(米国)と女子円盤投げ金のオルガ・フィコトワ(当時チェコスロバキア)の結婚だろう。

選手村のホールで会って以来、二人の仲は急速に深まったが、当時東側の国は五輪時に亡命する選手も多く、統制は厳しかった。それでも東西の間に横たわった「鉄のカーテン」を乗り越え、2人は両国政府の許可を得ることに成功して結ばれた。

1964年の東京五輪では選手村で史上初となる結婚式も。ブルガリアの体操選手と陸上選手で、当初は五輪後に結婚式を執り行う予定だったが、組織委の粋な計らいでウエディングケーキが用意され、開催期間中の選手村で行われたという。

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