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羽生結弦の引退に見る「プロ転向」と「プロ入り」の根本的な違い

羽生結弦,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

「プロスケーター」ではなく「プロアスリート」と表現した羽生の真意

フィギュアスケートの羽生結弦がプロ転向を表明し、世界中から反響が寄せられている。日本にとどまらず世界を魅了してきた五輪2連覇のスケーターの人気が改めて証明された。

各メディアでは「引退」「第一線を退く」といった文字が踊る。羽生自身が違和感を口にしていたが、アマチュアからプロになるのに「引退」とはどういうことか、プロは「第一線」ではないのかと感じたファンも多いだろう。

その疑問を解決するひとつの手がかりは「プロ転向」という言葉にある。例えば、高校球児がドラフト会議で指名された場合「プロ入り」と表現するが、「プロ転向」とは言わない。なぜだろうか。

野球だけでなく、プロリーグやプロ選手が存在するスポーツの場合、アマチュアで経験を積んでプロになることがほとんどだ。技術レベルだけで言えば、ピラミッドの頂点にプロがある。

しかし、フィギュアスケートはそうではない。まだ競技自体の歴史が浅く、芸術性で観客を魅了するという特性もあるが、ライバル選手たちと得点を競い合うのはアマチュアのみに限定されている。かつては世界プロフィギュア選手権が開催され、女子シングルで伊藤みどりや佐藤有香が歴代の優勝者に名を連ねているが、現在は開催されていない。

五輪で金メダルを獲得することが最大の名誉であり、選手たちの目標となっている以上、プロスケーターを夢見る若者が大幅に増えることは望めないだろう。そういった観点から「第一線を退く」という表現になっているのが実情だ。

しかし、羽生は「プロスケーター」ではなく「プロアスリート」になると言った。アイスショーなどで魅了するのももちろんプロの仕事だが、あくまで「スポーツ」としてフィギュアスケートに取り組むことを強調している。道半ばのクワッドアクセルへの挑戦は終わらないのだ。

プロとアマで似て非なるボクシング

フィギュアスケートと同じく「プロ転向」と表現するスポーツにボクシングがある。拳二つだけで戦う、歴史のある競技で「プロ入り」ではなく「プロ転向」と表現するのはなぜか。

そこにはプロアマのルールの違いがある。ラウンド数、採点方法、グローブの大きさ。かつてのアマチュアはヘッドギアをつけて戦っていた時代もあり、同じボクシングでも似て非なる競技なのだ。ボクシングにおいてはピラミッドの頂点にプロがあるとは言えず、実際、プロで4団体の世界ミニマム級王者になった高山勝成はアマチュアに復帰して東京五輪出場を目指したが、予選で敗退した。

ボクシング界ではアマチュアを経験せずにプロになるボクサーも多い。「最もプロになるのが簡単なスポーツ」と言われる所以だ。

野球やサッカーなどほとんどのスポーツでは学生時代の部活や地域のクラブチームなどで技術を磨き、体力をつけてプロになるが、互いを殴り合うボクシングは幼少期から取り組む例が少ないこともあり、競技自体を始める年齢が他の競技より高い。その割に選手寿命は短く、ほとんどのボクサーは20代で引退する。

元世界スーパーウェルター級王者・輪島功一は土木作業員として働いていた20代の頃、通りがかった三迫ボクシングジムに入門し、プロデビューしたのは25歳だった。もちろんアマチュア経験はない。そこから猛烈な努力を重ねて28歳で世界タイトルを獲得したのは有名な話だ。

短いボクサー人生の中で「似て非なる競技」であるアマチュアからプロに転向するには、あまりにも時間が少ない。井上尚弥や亀田三兄弟のように父親の影響で幼少期からボクシングに取り組んでいた選手は別だが、裏を返せば、幼い頃から積んできた経験はそれだけアドバンテージになるとも言える。

重要なのは「プロの魅力」

それでもアマチュアから「プロ転向」するボクサーが多いのは、プロに魅力があるからだ。ファイトマネーだけではない。アマチュアでは五輪に出場しただけでは注目度が低く、メダルを獲ってようやく日の目を浴びる。

しかし、プロでは世界タイトルに挑戦するだけでも注目度は各段に上がる。今でこそテレビ中継も減ったが、かつては国を代表して世界の強者と戦うヒーローだった。リング上で君が代を聞くのはボクサーにとって勲章でもあった。

ましてや井上尚弥のように海外で名前が売れれば、多大な名誉と金が手に入る。アマチュアにこだわって五輪で金メダルを目指すボクサーもいるが、プロのリングに舞台を移すのは十分に理解できる。

翻ってフィギュアスケートはどうだろうか。金銭面は別にして、悲しいかな、注目度はアマチュアの方が高いのが現実だ。

羽生が「プロアスリート」を強調したのは、そういった状況を打破したいという思いもあるのではないだろうか。エンターテイナーとしてのアイスショーだけでなく、プロとしてもっとファンを魅了する方法はあるはずだ。それにはフィギュアスケート界を挙げて取り組む必要もあるだろう。

世界中を魅了してきた羽生結弦は「日本スポーツ界の宝」と言っても過言ではない。偉大なるアスリートのスケート人生第2章が、これまで以上に輝きを放つことに期待したい。

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