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羽生結弦のクワッドアクセル「世界初認定」でフィギュア界に新たな歴史

2022 2/14 06:00田村崇仁
北京冬季五輪で4回転半ジャンプに挑んだ羽生結弦,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

基礎点は最高12.50点、回転不足も「4A」と表記

フィギュアスケート男子の羽生結弦(ANA)が2月10日、北京冬季五輪の男子フリーで挑んだ前人未到の超大技クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)は、回転不足と判定されて成功こそならなかったが、国際スケート連盟(ISU)に初めて挑戦を認定された。

五輪や世界選手権などの主要大会で4回転半への挑戦は史上初めてとなり、フィギュア界で新たな歴史を切り拓く大きな一歩になった。

フィギュアの全6種類のジャンプの中で1回転半の「アクセル」は唯一、前向きに踏み切り、他のジャンプよりも半回転多い分、最も難度が高いとされる。4回転半は基礎点が最高の12.50点に設定され、まだ誰も成功したことがない「夢のジャンプ」でもある。

羽生は昨年12月の全日本選手権で4回転半に初挑戦したが、回転が「2分の1以上」不足していたダウングレードと判定され、記録上は「3回転半」(基礎点8.00点)として扱われた。

今回の北京冬季五輪では転倒したものの「2分の1回転未満」の回転不足とアンダーローテーション判定されて4回転半の基礎点をベースに採点された。

演技後に本人も「今できる羽生結弦のアクセルのベスト」というジャンプで、採点表は回転不足をとられたために基礎点が12.50点の80%の10.00点となったが「4A=4回転半ジャンプの略号」と表記。転倒により、GOE(出来栄え点)では5.00点の減点を受け、このジャンプの得点は5.00点とされた。

初のアクセルは1882年の選手名に由来

「アクセル」の呼称は1882年にウィーンで開かれた国際大会で初めて披露したノルウェーのアクセル・パウルゼンに由来する。スピードスケートでも活躍した名選手だ。

フィギュアの歴史が始まってまだ間もない時代、パウルゼンはスピードスケートの靴で「1回転半」に成功し、ジャンプ名は彼の名前から「アクセル」とつけられた。

ダブルアクセル成功はディック・バトン

ダブルアクセル(2回転半ジャンプ)の成功は、それから66年後。ディック・バトン(米国)が1948年サンモリッツ冬季五輪で決めた。当時18歳のバトンはフィギュア男子シングル史上最年少の金メダリストでもあった。

バトンは1952年オスロ冬季五輪で2連覇を達成し、世界選手権も5度制覇した偉大なスケーターとして知られる。

トリプルアクセルの初成功は1978年のバーン・テーラー

そして大技トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)は、1978年の世界選手権でカナダのバーン・テーラーが初めて成功させた。

パウルゼンのアクセル第一歩から96年。ダブルアクセルから30年。羽生が師事するブライアン・オーサーコーチもかつて選手時代に1984年サラエボ五輪で大会初のトリプルアクセルを成功させ「ミスター・トリプルアクセル」の異名を取っている。

アクセルジャンプ誕生から140年

1回転半ジャンプのアクセル誕生から140年。テーラーが初めて跳んだトリプルアクセルから44年。いまだ誰も成功していない「プラス1回転」に、北京五輪で羽生が挑んだ4回転半ジャンプは、メダルの色や点数以上に計り知れない価値がある。

前人未到の4回転半の基礎点は12.50点で、ルッツの11.50点と1点しか違わない。まさに「ハイリスク・ローリターン」ともいえる現状だ。それでも幼い頃からの夢の実現こそが、羽生のモチベーションであり、使命感なのだろう。

主なジャンプの基礎点


94年ぶりの3連覇の夢はついえたが、4種類の4回転ジャンプを全て成功させて金メダルに輝いた「4回転キング」ネイサン・チェン(米国)は海外メディアに、羽生の挑戦を「神の領域」と敬意を込めて語った。

その「神話」は輝きを失うことはない。羽生の挑戦はフィギュアの世界に新たなページを開いたことは間違いない。

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